現実の壁にぶつかるミュージシャンと生活苦で迷走する警官の人生が交錯する、”End SARS”運動にインスパイアされた24時間のドラマ、ナイジェリア映画『Collision Course』

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ナイジェリアの女性監督ボランレ・オーステン=ピーターズが手がけた『Collision Course』(2021)は、2020年10月に大きな盛り上がりを見せた”End SARS”運動にインスパイアされた作品だ。

ナイジェリア映画『Collision-Course』

● ナイジェリア映画『Collision Course』(2021) ボランレ・オーステン=ピーターズ監督

SARSとは、ナイジェリア警察の特別強盗対策部隊(Special Anti-Robbery Squad)のことで、”End SARS”はその廃止を求める運動。SARSは、強盗、誘拐、その他の暴力犯罪を取り締まるために1992年に創設された。彼らは、私服で普通の車両を備えた覆面警察部隊だった。そのSARSは当初は成果をあげていたようだが、やがて腐敗し、恐喝や脅迫を行うようになった。アムネスティ・インターナショナルの2016年と2020年の報告書では、被拘留者の脚を撃つ、模擬処刑、絞首刑、身体的暴行などの人権侵害が指摘され、2017年1月から2020年5月のあいだにSARSが行った虐待や超法規的殺害の実例82件が記録されていた。そして2020年10月3日には、SARSの警官が若者を射殺し、彼のレクサスSUVを奪った事件を撮影した動画がSNSで拡散され、大規模な抗議行動がナイジェリア全土に広がり、暴動や治安部隊との衝突にまでエスカレートした。

『Collision Course』では、大都市ラゴスを舞台に、ふたりの人物の24時間のドラマが描かれるが、冒頭にそのプロローグとなるエピソードが盛り込まれている。若者が夜間に赤いスポーツタイプの車を運転していると、突然、背後から現われた車に道を遮られ、降りてきた男たちに車から引き出され、拉致される。闇に包まれた岸辺に連行された彼は、銃を突きつけられ、スマホで金を送金するように命じられる。彼のすぐそばでは、同じ目にあっている男が、射殺されて海に投げ込まれる。その男には送金する金がなかったのだ。

そんなプロローグから3週間後という設定で、ふたりの人物を主人公にした24時間のドラマがはじまる。ひとりは若いミュージシャンのミデ、もうひとりは妻と3人の子供と暮らす警察官のマグナス。ここで、プロローグで拉致されたのが、ミデだったことがわかる。それぞれの人生には、24時間のうちに大きな変化があり、やがて交わるときに影響を及ぼすことになる。

▼ ボランレ・オーステン=ピーターズ監督『Collision Course』予告編

ミデは裕福な家庭で育ち、イギリスに留学して法学の学位を取得している。本作には、ミデが実家に立ち寄る場面があり、父親と口論になる。ミデは父親を満足させるために法律を学んだが、将来は音楽の道に進むと決めていた。父親は音楽では食べていけないと考え、実際ミデは経済的な問題を抱えている。ミデの恋人は妊娠しているが、彼は結婚を先延ばしにしている。プロローグの一件もそんな事情に追い打ちをかけているのだろう。だが、ミデがその日に受けた面接で、さっそくその晩、人気のクラブに出演する話がまとまる。

警察官のマグナスは、妻と3人の子供と、雨漏りのする部屋で極貧の生活を送っている。稼ぎの少ない夫に業を煮やした妻は、子供を連れて実家に戻ると彼を脅かす。マグナスは家族を養うために、養育費を使ってTARSに転属できるように裏から手を回していた。それが、プロローグでミデを拉致した集団で、本作では、SARSではなくTARSと呼ばれている。その日、マグナスはTARSの指揮官に会いにいくが、そこで行われている生々しい拷問や捏造に怖気づき、自分にはできないと思い、その場をあとにする。

その晩、ミデとマグナスがそれぞれに期待していたことは、最悪の結果につながる。不完全燃焼のままステージを降り、クラブのマネージャーと衝突したミデは、不満を抱えたまま、恋人と彼女の友人を乗せて、ラゴス島から本土に戻るために第三本土橋を進む。一方、電話で妻から三行半と突きつけられたマグナスは、自暴自棄になり、同僚と勝手に検問を張り、本土に戻ってくる人々から金をせびる。そして、ミデとマグナスが出会ったとき、彼らは負のスパイラルに巻き込まれ、予想外のトラブルに発展していく。

第三本土橋を進むミデが、マグナスと遭遇する少し前に、同乗する彼の恋人ハンナが印象的なことを語る。第三本土橋は単なる連絡橋ではなく、社会階層化のメタファーになっている。島にはブルジョワが暮らし、本土の人々はその成功に憧れ、さらに橋の下にはスラム街に暮らす人々がいて、この橋にはそんな三つの側面がある。

ラゴスを舞台にした本作には、そんな視点がドラマに反映されているようにも思える。ミデの父親は、ラゴス島の大きな邸宅に暮らしている。そこには桟橋もあり、父親がクルーザーで家に戻ってくるシーンも盛り込まれている。経済的な問題を抱えるミデは、本土に暮らし、恋人のハンナは、彼が音楽で成功し、向こう側に家を建てることを夢見ている。さらに、第三本土橋からは、水上スラムのマココを見下ろすことができる(マココについては、「マココ、コンピュータ・ビレッジ、ダンフォ、エコ・アトランティックなどから、ナイジェリアのメガシティ、ラゴスの現在と未来を展望する――ベン・ウィルソン著『メトロポリス興亡史』」)。マグナスと妻子が住んでいるのは、マココのようには見えないが、本作のなかではそれに近い立場といえる。

本作では、SARSをモデルにしたTARSの存在が、ミデやマグナスの人生に影響を及ぼすことで、負のスパイラルが巻き起こり、悲劇に向かって階層が複雑に絡みあっていくことになる。