映画『ブルゴーニュで会いましょう』を観て考えたこと

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ジェローム・ル・メール監督のフランス映画『ブルゴーニュで会いましょう』では、ワインの産地ブルゴーニュを舞台に、ドメーヌ存続の危機を乗り越えようとする家族の姿が描かれる。

フランス映画『ブルゴーニュで会いましょう』

フランス映画『ブルゴーニュで会いましょう』 2016年11月19日公開 © ALTER FILMS – TF1 FILM

20歳で故郷ブルゴーニュを離れ、著名なワイン評論家として活躍するシャルリは、実家のドメーヌが経営不振で買収寸前であることを知る。ドメーヌの大黒柱だった父親フランソワは、離婚をきっかけにワインへの情熱を失ってしまっている。昔から父親と折り合いが悪かったシャルリは、悩んだあげく自身の手でドメーヌを再建しようと決意する。

テイスティングには秀でていても、ブドウ栽培やワイン造りについてはまったくの素人である彼は、父親の反対を押し切ってワイン造りの原点に立ち返るようなアプローチを取り入れる。そして、トラブルに見舞われながらも、試行錯誤を繰り返し、土地や風土と結びついたワイン造りの奥深い世界を究めていく。

この映画を観ながら筆者は、ジェラルド・アシャーの『世界一優雅なワイン選び (集英社文庫)』のことを思い出していた。そこにはワインについて以下のように書かれている。

「所詮ワインは、いくらアルコールやpH、残糖の量や度数を分析したところで、正体がつかめない。また、どこかのワイン評論家が、アロマと風味のなかにかぎつけたと称する、ベリー類やスパイスの類推もどきの一覧表も、当てにはならない。ワインのスタイルというものは、造り手の各人が過去の事例を導きの糸とし、現在持ちあわせる腕だけを頼りに、風土の環境条件に適応しながらこしらえるものなのだ。ワインを理解し、自分のものにするには、地図や雨量統計、産地別格付け表は、あまり助けにならない。どんなに凡庸なワインであろうと、単なる諸元表や分析数値を寄せ集めた総和を、断然上まわる。ジャン=バチスト・バロニアンが明らかにしたように、「いつ、どこで、どのように」という技術と、「誰が、なぜ」という人間的要素とが合体してはじめてワインになるのだ」

ワイン評論家がワイン醸造家に転身し、自分中心の世界から脱却し、畑や自然が求めることに応えながら成長を遂げていく物語は、この記述と重なるのではないか。

そして、映画から離れて、自分がワインを楽しむときも、「いつ、どこで、どのように」と「誰が、なぜ」を想像してみるほうが、より味わい深いものになるように思える。

《引用文献》
● 『世界一優雅なワイン選び (集英社文庫)』ジェラルド・アシャー 塚原正章・合田泰子訳(集英社、1996年)





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