映画『ハッシュパピー バスタブ島の少女』のロケ地にもなった、海面上昇で沈みゆく米ルイジアナ州のジャン・チャールズ島――エリザベス・ラッシュ著『海がやってくる』

スポンサーリンク

『海がやってくる 気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』の著者、ノンフィクション作家/写真家のエリザベス・ラッシュが海面上昇にとりつかれるきっかけがアジア、ベンガル・デルタにあったことは、前の記事「『海がやってくる』の著者エリザベス・ラッシュが海面上昇にとりつかれたきっかけはバングラデシュ取材、その沿岸地域では塩害が農業や住民の健康に深刻な影響を及ぼしていた」で書いた。

『海がやってくる』エリザベス・ラッシュ

● 『海がやってくる 気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』エリザベス・ラッシュ著

バングラデシュから戻り、アメリカにおける海面上昇の証拠を探すようになったラッシュが観たのが、ルイジアナ州南部のジャン・チャールズ島で撮影されたベン・ザイトリン監督の映画『ハッシュパピー バスタブ島の少女』(2012)だった。

日本公開は2013年。筆者はそのときに観たが、かなり引き込まれた。ファンタジーの要素もあるが、野生的で荒々しい生命感がみなぎり、また、地球温暖化、原油流出事故、ハリケーン・カトリーナの悲劇、格差による貧困などが意識され、リアルな空気が漂っていた。

映画が撮影されたルイジアナ州南部は、低地が多く、海面上昇や地盤沈下の影響を受けているということは、映画の背景として確認していたが、当時、ジャン・チャールズ島そのものが注目されることはなかったと思う。映画の予告で、舞台となるバスタブ島について、「そこはやがて水に沈みゆく島」と説明されるが、ジャン・チャールズ島も実際に沈みゆく島だった。

この映画を観たラッシュは、現実がどうなっているのか知りたくてたまらなくなり、ジャン・チャールズ島に向かった。『海がやってくる』では、彼女が歩いて島にたどり着くときの様子が以下のように描写されている。

「アイランド・ロードを進んでいくと、この周囲でもっとも高く、もっとも険しい突起に沿って道は左に急カーブする。長さ3.2キロメートル、幅0.4キロメートルのこの突起がジャン・チャールズ島だ。半世紀前、あるいはもっと最近まで、島の面積はこの10倍あった。水鳥の生息する沼が、チェニアー[砂状になっている浜堤平野の一部]や木で覆われた隆起を囲んでいた。その上で数百名の住民が生活を営んでいたのである。現在、アイランド・ロード沿いの家の多くは、高さ4.8メートルほどの支柱の上に高床式で建っている。地面の上にとどまっている家の窓からはイバラが外に向かって生い茂り、生育期が来るたびに窓枠をゆがめていく。比率は一対二といったところだ。支柱で持ちあげられた家一軒に対し、放棄された家が二軒。残っている人一人に対し、立ち去った人が二人」

下の地図では、右上のほうから中央にある縦長の島の北の端に延びている細い線がアイランド・ロードで、描写のとおり、島に着くところで左に急カーブしている。

『海がやってくる』では、ジャン・チャールズ島、あるいは島を含むルイジアナの南端が失われていく原因として、海面上昇、石油掘削、ミシシッピ川の治水という3つが挙げられている。そんな原因に対するラッシュの視点には、アミタヴ・ゴーシュ(『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』)やロブ・ダン(『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』)につながる要素があるので、別記事でまとめることにし、ここでは原因がわかりやすくまとめられている動画を取り上げたい。

▼ 「気候変動によって代々受け継がれてきた家が失われる:ジャン・チャールズ島」

この動画によれば、ルイジアナ州の海岸部は、世界中の他の地域の4倍の速さ浸食されているという。その一部は気候変動によって引き起こされているが、人為的な介入も大きな影響を及ぼしている。1927年のミシシッピ川大洪水では、500人が死亡し、60万人が家を失った。そのため、さらなる氾濫を防ぐために次々に堤防が建設されたが、その結果としてデルタ地帯に運ばれる堆積物が堰き止められることになった。これまでは大量の水によって運ばれる堆積物が毎年、薄い層をつくってきたために、ある程度、海面上昇に追いつくことができたが、湿地帯への堆積物の補充がなくなり、追いつけなくなった。

さらに、石油会社が湿地帯の地底や湾岸に豊富な石油埋蔵量を発見したが、湿地帯を保護する法律もなく、掘削を行なう人員や機材を輸送するため、数千マイルもの運河が掘られた。その結果、浸食が進んで水路が広がり、内陸部に海水が侵入するようになり、破壊的な変化が起こり、海面がより速く上昇するようになった。

前の記事では、ベンガル・デルタへの海水の浸透による塩害、塩類化に触れたが、ジャン・チャールズ島でも同じようなことが起こっていた。『海がやってくる』に登場する島の住人クリス・ブルネットによれば(この動画にも登場している)、彼の両親の時代には完全に自給自足で生活し、彼自身も家のそばにある菜園で採れたブラックベリー、オレンジ、梨、カンタロープメロンを食べて育ったという。当時ガーデニングは簡単だった。しかし地下水に海水が混ざるようになり、植物は育たなくなり、スーパーに行くようになった。

ルイジアナの南端は、人為的な介入によって浸食が加速したが、動画に登場する地質学教授は、今後、低地に位置する大都市も同じような脅威にさらされると語る。彼はそんな大都市として、バンコク、ホーチミン、上海、マイアミ、ニューヨークを挙げている。

沈みゆくジャン・チャールズ島は、海面上昇の実態だけでなく複雑なテーマを内包している。住人の多くは先住民(クリスはビロクシ=チティマシャ=チョクトー族)の末裔であり、気候危機が彼らの歴史を炙り出すことにもなる。また、移住を余儀なくされる彼らは、気候難民の先例にもなる。そうしたテーマはまた別記事で。

《参照/引用文献》
● 『海がやってくる 気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』エリザベス・ラッシュ著、佐々木夏子訳(河出書房新社、2021年)




[amazon.co.jpへ]
● 『海がやってくる 気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』エリザベス・ラッシュ著、佐々木夏子訳(河出書房新社、2021年)
● 『ハッシュパピー バスタブ島の少女[Blu-ray]』ベン・ザイトリン監督(2012年)
● 『ハッシュパピー バスタブ島の少女[DVD]』ベン・ザイトリン監督(2012年)
● 『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』アミタヴ・ゴーシュ著、三原芳秋・井沼香保里訳(以分社、2022年)
● 『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』ロブ・ダン著、今西康子訳(白揚社、2023年)