以前の記事「何十年にもわたってコウモリを観察し、ヘンドラウイルス感染症に関する謎を解き明かした生態学者ペギー・イービー その2:伐採による生息地の減少、冬季の食料不足とアウトブレイクの関係」や「コウモリ由来のウイルスを通して異種間伝播(スピルオーバー)のメカニズムの解明を目指す”バット・ワンヘルス”、ヘンドラのその先を見据える疾病生態学者アリソン・ピール」で書いたように、ヘンドラのアウトブレイクが発生した地域で保有宿主であるオオコウモリの動態を調査した生態学者のイービーやピールは、そのパターンが変化していることに気づいた。
コウモリは通常は大きな集団で長距離を移動する。しかし、強いエルニーニョ現象の影響で、冬場に彼らが餌にする樹種が開花せず、食糧不足が起こると、彼らは小さな集団に分かれ、より人間や家畜に近い農業地帯に移動し、普段とは違う餌を見つけ出して生き延びる。そして、2002年までは、食糧不足が解消されると再び大きな集団に戻ったが、2003年以降は、段階的に大きな集団に戻らなくなっていく。伐採や土地開発の影響で、大きな集団を支えるような森林が急激に減少しつつあった。
オオコウモリの生息地ではなかったオーストラリア南部の都市アデレードで起こっていることは、そんなパターンの変化と無関係ではないかもしれない。
▼ 「オオコウモリはアデレードでなにをしているのか?――感染症と生態学的影響を調査中…」――アデレード大学の博士課程の学生ウェイン・ボードマン(Wayne Boardman)による、アデレードに現れたオオコウモリの調査をまとめた報告。ちなみにボードマンは現在では、アデレード大学准教授。
この報告が行われたのは、2016年4月に開かれたNRM 科学会議で、アデレードにおけるその時点までのオオコウモリの調査がまとめられている。オーストラリアのオオコウモリの本来の生息地は、東海岸に沿ったクイーンズランド州からニューサウスウェールズ州やビクトリア州にかけての地域で、南部の都市アデレードは生息地ではなかった。
オオコウモリは、2009年10月に植物園に最初に現れ、2010年5月にはフラートンロードに現れた。2011年5月から6月かけて、再び植物園に戻ってきた。その数は350匹ほど。その後、7月には、植物園から動物園の入口に隣接する植物公園へと移動。2013年1月、2014年1月、2015年には、熱波がストレスとなって多くの幼いコウモリが死亡。2014年11月には、個体数が約3200匹で、この報告の時点では約4000匹に達していた。彼らの生息域が東海岸から南に広がり、アドレードも彼らにとってホームとなりつつある。
オーストラリアに生息する代表的なオオコウモリは、クロオオコウモリ、ハイガシラオオコウモリ、メガネオオコウモリ、オーストラリアオオコウモリの4種で、アデレードに現れたのはハイガシラオオコウモリ。デビッド・クアメンの『スピルオーバー』によれば、初めてヘンドラウイルスが分離されたコウモリは、ハイガシラオオコウモリだった。ヘンドラの出現から2年後の1996年9月、妊娠中のハイガシラオオコウモリが金網に引っかかった。
「雌のコウモリは双子を流産し安楽死させられたが、抗体検査で陽性だった。さらにこの雌によって、コウモリから初めてヘンドラウイルスが分離された。子宮内液のサンプルから検出された生きたウイルスは、馬や人間に感染したヘンドラウイルスと見分けがつかなかった。化学的慎重さが必要な範囲ではあったが、ヘンドラウイルスの保有宿主(レゼルボア・ホスト)はオオコウモリであると『推定』するには十分だった」
動画に話を戻すと、ウェイン・ボードマンの調査には、生態学者ペギー・イービーも協力している。報告には、アデレードにおけるオオコウモリの行動が、他の地域でも見られる食糧不足に対する既知の反応の一部と一致しているというイービーの考察も紹介されている。そのイービーが、ヘンドラに強い関心を持ち、調査に乗り出すきっかけは、それまで散発的にしか発生していなかったヘンドラのアウトブレイクが、2011年に急増したことだったが、アデレードに現れたオオコウモリも2011年から定着が進んでいるように見えるところが興味深い。
ボードマンは、バングラデシュでニパウイルスを調査する獣医生態学者ジョン・エプスタインが使っていたようなGPS首輪を使って、オオコウモリの行動を調査した。アデレードのオオコウモリは、この都市を中心に十字を描くようにそれぞれの方向に餌を求めて移動し、戻ってきた。彼らが餌にしているのは、オリーブやナツメヤシなどの花を咲かせる樹種だという。彼らが主に餌とするユーカリの花蜜が不足しているために、そうした異なる樹種を餌にしているのかもしれない。この報告の時点では、オオコウモリからヘンドラは検出されていないようだ。
▼ 「コウモリの救助|9ニュース アデレード」――アデレードの熱波で脱水症状を起こしたオオコウモリが保護団体に救助されたことを伝える2014年のニュース。
ボードマンは、2013年や2014年の1月の熱波で多くの幼いコウモリが死亡したと報告していたが、それに関連すると思われる2014年のニュース。保護団体に救助され、回復したコウモリは、生き残る可能性がより高い地域ということで、ニューサウスウェールズ州の専用の託児所(bat creche)に送られる。
▼ 「ハイイロオオコウモリ――スローモーションと水に体を浸す行動」――アデレードのオオコウモリが猛暑を乗り切るための行動。
アデレードに定着したオオコウモリ、2019年の姿をとらえた動画。水面に向かって次から次へと下降してくるオオコウモリの存在が、植物公園の風景の一部になっているように見える。彼らは水面に体を浸し、体毛についた水を飲んで猛暑に適応しようとしている。
▼ 「ハイイロオオコウモリ――アウトドアズ・インドアズ」――定着したオオコウモリに対する生態学者や電力会社の対応。
2021年のアデレードのオオコウモリ。都市環境の専門家で組織されるグリーン・アデレードで活動する生態学者ジェイソン・ヴァン・ウィーネン(Jason Van Weenen)によれば、植物公園に居着いたハイガシラオオコウモリの個体数は推定で約25000匹。2016年の4000匹からずいぶん増加した。生態学者は、果物生産者と緊密に連携をとり、電力会社は、コウモリと送電線の機器の接触による感電死や停電を防ぐために、機器にカバーを取り付けるなど、共生に向けた対応が進められている。
▼ 「アデレードでオオコウモリの生息地が拡大し、停電が増加」――コウモリの安全を図り、停電を防ぐという難題。
2022年のアデレードのオオコウモリ。個体数は3万匹以上と説明されている。送電線の機器にカバーをつけるなど、対策を講じているものの、停電が増加し、対応に苦慮している。
ペギー・イービーは、オオコウモリの生息地回復のための活動を行っているが、アデレードという都会のオオコウモリは、彼らの生息地や生態が変化しつつあることを示唆している。
《参照/引用文献》
● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン著、甘糟智子訳(明石書店、2021年)
● “Ecological countermeasures to prevent pathogen spillover and subsequent pandemics”|Nature, Published: 26 March 2024
● “THE SCIENTIST AND THE BATS: Funders thought watching bats wasn’t important. Then she helped solve the mystery of a deadly virus” by Caroline Chen|ProPublica, May 22, 2023, 5 a.m. EDT
[amazon.co.jpへ]
● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン著、甘糟智子訳(明石書店、2021年)
● 『人類と感染症、共存の世紀 疫学者が語るペスト、狂犬病から鳥インフル、コロナまで』デイビッド・ウォルトナー=テーブズ著、片岡夏実訳(築地書館、2021年)