ひとつ前の記事では、だいぶ前に読んだナイジェリア出身の女性作家オインカン・ブレイスウェイトのミステリ『マイ・シスター、シリアルキラー』のことを思い出し、その舞台になっているメガシティ、ラゴスがどのように描かれているかについて書いた。これはとても気に入っている作品なので、今度は書評。まずは再度、裏表紙からストーリーの概要を引用しておく。
ナイジェリアの大都市ラゴスに母と妹とともに暮らす看護師コレデ。几帳面な性格の彼女は、妹アヨオラが犯す殺人に悩まされていた。快活で誰からも好かれる美人のアヨオラは、なぜか彼氏を殺してしまうのだ。もうこれで三人目。コレデは妹を守るために犯行の隠蔽を続ける一方で、昏睡状態の患者にひそかに心中を打ち明ける日々を送っていた。しかし、警察の捜査の手が姉妹に迫ってきて……。全英図書賞、アンソニー賞をはじめとしたミステリ賞四冠に輝きブッカー賞候補ともなったユーモアと切なさに満ちたミステリ。
物語は妹のアヨオラが三人目の殺人を犯し、物語の語り手である姉コレデに助けを求めるところから始まる。コレデは現場に向かい、証拠を消し去り、死体をふたりで処分する。ナイジェリアでは家父長制が根深くはびこっているということが少しでも頭にあると、そんな姉妹が主人公だとわかったところで、そんなテーマを予感する。そして間もなく、姉妹とともに暮らす母親が登場すると、予感が確信に近いものに変わる。彼女たちの母親は、コレデによって以下のように説明される。「たしかに母は愛を得られなかった。政治家を父にもつことで、結婚を目的のための手段とみなす男をどうにかこうにか射止められた」
この母子は家庭生活で辛い体験をしたのではないかと思うが、ブレイスウェイトは省略を多用するので、そこらへんは想像に委ねられている。中盤に一度だけ、過去の家族をめぐる修羅場のエピソードが盛り込まれている。ある晩、父親は遅い時間に若い女を連れて帰宅した。母親は声を荒げ、女を引き離そうとしたが、父親によって壁にたたきつけられた。父親と女は、倒れた母親をまたいで寝室に向かった。その後まもなく、母親は睡眠導入剤に依存するようになった。
この母子の立場から、筆者が思い出していたのが、以前の記事で少しだけ触れたことがあるナイジェリアの女性作家アビ・ダレの『The Girl with the Louding Voice』という小説のことだった。
主人公はナイジェリアの小さな村に、両親と弟とともに暮らす14歳の少女アドゥニ。彼女は、学校で勉強し、教師になって、家族ともっと快適な家で暮らすことを夢見ていた。だが、彼女の支えになっていた母親が病気で亡くなると、父親は母親との約束を破って、アドゥニを売り飛ばし、彼女は父親と同年代の男の3番目の妻にされてしまう。男の1番目の妻は、女の子をひとり産み、いまでは精神状態がおかしくなっている。2番目の妻は、病気で働けなくなった両親のために15歳で嫁いでから、20歳になるまでに女の子を3人産み、4人目を妊娠している。彼女は夫から、次も女の子だったら実家に送り返すと告げられている。そしてアドゥニも、早く妊娠して、男の子を産むことを期待されている。
この『マイ・シスター、シリアルキラー』の場合は、家庭環境は違うものの、愛のない結婚をし、ふたりの女の子を産んだ母親も、そして娘たちも、肩身の狭い思いをしていたことは容易に想像できる。またこの引用は、過去に姉妹に起こったことに関して、いくらかヒントになっているともいえる。ちなみに、『The Girl with the Louding Voice』の後半は、舞台がラゴスに変わるということもあり、いずれ取り上げたいと思っている。
この2作品は、それぞれブレイスウェイトとダレのデビュー作であり、テーマの重要性を感じるとともに、どちらもアプローチが興味深い。『マイ・シスター、シリアルキラー』の場合は、物語を外部の物語と内面の物語に分けてみると、独自のアプローチの効果が明確になる。
外部の物語では、コレデとアヨオラの関係にもうひとりの人物が絡んでくる。コレデは同じ病院に勤務する医師タデに思いを寄せているが、そのタデが病院に姉を訪ねてきたアヨオラに一目ぼれし、急接近していくため、コレデはもどかしく、苦しい立場に追いやられる。
一方でコレデは、昏睡状態の患者ムフタールにひそかに心中を吐露している。これは、それだけのことなら外部の物語になるが、看護師として巡回中にほかに誰もいなかったので、彼に自分のことを語ったら気が楽になったのでそれを繰り返しているというような単純な話ではない。そもそもムフタールは彼女が担当する患者ではない。ということは、コレデは非常に孤独で、なんでも話せる人間がどうしても必要で、昏睡状態の患者に狙いを定めたということで、心中を吐露する行為は、彼女の内面でもっと濃密な関係へと変換されている。「これまでムフタールは、親身になって話を聞いてくれ、思いやりのある友として振る舞ってくれている」ということだ。
そして、内面でムフタールという”沈黙する男”との関係を構築することが、もうひとりの沈黙する男との関係を生むための踏み台になる。それが連続殺人の3人目の被害者フェミだ。コレデはフェミに会ったこともないし、その存在すら知らなかったが、死体を処分しああとで彼についての想像が膨らんでいく。彼女が自宅で、アヨオラがトイレに立ったあいだに閃きを得る以下の記述は、関係のはじまりを示唆する。
「ちょうどそばでアヨオラの電話が振動したとき、トイレの水が流れる音が聞こえて、ある考えが閃く。携帯にはありがちなパスワードがかかっているだけ。おびただしい数の自撮り写真をどんどん繰っていくと、フェミの写真に行き当たった。口を真一文字に結んでいるが、にこやかな目をしている。となりにいるアヨオラはあいかわらず魅力的だけど、フェミのエネルギーが画面いっぱいに広がる。わたしは微笑み返す」
コレデが内面でフェミと関係を構築することには意味がある。彼女は沈黙する男との関係を通して、心中を吐露することによって埋もれた記憶を手繰り寄せていくが、ムフタールには目覚める可能性があるのに対して、フェミは変わらず、しかも彼女が抱える問題により近い立場にある。
そして、この外部の物語と内面の物語は、ナイフという存在を通して解釈することもできる。アヨオラが父親の形見として所持し、凶行に使用するナイフについて、前半部に興味深い記述がある。
「どういうわけか、あのナイフを手にしなければ、刺すつもりにならないのじゃないかとすら思える。まるで殺人を犯しているのはあの子ではなく、ナイフそのものであるみたいに。しかもそこまで意外な話でもないだろう。モノに意志がないなどと、どうして決めつけられるのか。それに、かつての所有者全員の意識が合わさって、ねらいを定めていると言えないこともない」
コレデのなかで、ナイフはまだあくまで凶器であり、それを見つけ出して預かることができれば、妹を止められるのではと考えているが、過去との関わりも示唆されている。その後、内面の物語で記憶が手繰り寄せられ、家族のことが次第に明らかになる。そして終盤に差し掛かるところで、コレデの夢にフェミが現れるエピソードが盛り込まれているが、それはある意味で転換点といえるかもしれない。
「夢のなかで、フェミは椅子にふんぞり返って、これからどうするつもりなのかとわたしを問いただす。
『なんのこと?』
『いいかい、アヨオラはやめないよ』
『あの子は自分を守ろうとしただけ』
『ほんとは信じてないくせに』フェミはたしなめるように言って、弱々しく頭を振る。
おもむろに立ちあがり、離れていこうとする。わたしはあとを追うしかない。なぜってほかになにができるだろう。すぐに目を覚ましたい。でも同時に、わたしをどこに連れていこうとしているのか知りたい気持ちもある。ようやくわかった。命が尽きた場所に行きたかったのだ。わたしたちは彼の死体を眺め、どうしようもない無力感を抱く。死体の横にはナイフが転がっている。アヨオラが携帯していて殺しに用いたナイフだ。わたしがアパートに着いたときにはすでにナイフは隠してあったのだが、夢でははっきりと見ることができる。
もっと別のやり方があったのかな。フェミがつぶやく。
『あの子をあるがままに見ることもできたはずよ』」
これはコレデが自分に語りかけている。問題は、凶器のナイフを見つけ出して、預かることではなくなっている。隠されたナイフをどうしたら見出せるかは、アヨオラをあるがままに見られるかどうかにかかっているともいえる。この夢以後には、それが描かれる。ナイフは凶器からトラウマの象徴に変化し、コレデもそれを共有していることを確認する。
《参照/引用文献》
● 『マイ・シスター、シリアルキラー』オインカン・ブレイスウェイト、粟飯原文子訳(早川書房、2021年)
● 『The Girl with the Louding Voice』(Kindle版) Abi Dare(Sceptre, 2020)
《関連リンク》
● 「第三本土橋、ゴー・スロー(渋滞)、警察組織の腐敗――ナイジェリア出身のオインカン・ブレイスウェイトのミステリ『マイ・シスター、シリアルキラー』に見るメガシティ、ラゴス」
● 「ヘイミシュ・マクレイが『2050年の世界』で注目する”アングロ圏”の台頭とナイジェリア人作家のクライファイ(気候変動フィクション)隆盛の予感」
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