自分たちの家のなかの生態系について、「その1」のエド・ヨン著『世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる』につづいて、今度はロブ・ダン著『家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている』を取り上げる。
生物学者/大学教授のロブ・ダンは、屋内環境生物の研究のほとんどが、害虫や病原体に関するものだったため、それ以外の生物種が見過ごされていることを踏まえ、屋内を調査するチーム、一回限りではなくその後も成長を続けるチーム、世界各地の科学者と一般市民から編成されるチームを作った。
そのチームはまず市民の協力を募り、40世帯の一般住宅のそれぞれ10か所から、綿棒でホコリを採取してもらった。その結果、40世帯から合わせて8000種類近い細菌が見つかった。それからさらに規模を拡大し、全米各地に暮らす1000人の人々に、自宅の4か所のホコリを綿棒で拭ってもらった。その結果、今度は8万種あまりの細菌および古細菌が見つかった。
本書の原題は、“ホーム・アローン”をもじった「Never Home Alone」。ロブ・ダンも、「その1」のエド・ヨンと同じように、私たちが微生物の跡を生活空間に残していることを以下のように表現している。
「私たち人間は、行った先々に生物の大群を残していく。家の中を歩き回ると、皮膚の表面の死んだ細胞が剥がれ落ちる。『落屑』と呼ばれる現象だ。どんな人でも、一日におよそ五〇〇〇万個の皮膚断片(鱗屑)が身体から剥がれ落ちている。そして空中を漂う鱗屑一つ一つに数千個の細菌が棲んでいて、それを食べている。これらの細菌は、鱗屑のパラシュートに乗って、降りしきる雪のごとく、私たちの身体から降り注いでいるのだ。私たち人間はさらに、唾液その他の体液や糞便に乗せて、あちこちに細菌を残していく。その結果、家屋内の私たちが過ごした場所には、私たちの存在の跡が残されている。これまでに調査してきたどの家屋でも、人が身を置いたすべての場所から、その人が生きている証である微生物が見つかった」
私たちは、そんな人体由来の細菌を含む、無数の生き物のなかで生活している。そのことに嫌悪感や不安を覚える人もいるかもしれないが、世界中のほぼすべての感染症を引き起こしているウイルス、細菌、原生生物は、100種にも満たないということで、むしろ屋内の多種多様な生物が、排除されたりして、いなくなることのほうが問題になる。
そこでロブ・ダンはまず、クローン病、炎症性腸疾患、喘息、アレルギー、多発性硬化症など、1950年代に出現し、その後増加し続けている一連の新たな病気に注目する。それらの疾患はどれもみな何らかの慢性炎症を伴っているが、何がこの炎症を引き起こしているのか?
たとえば、マーティン・J・ブレイザーの『失われてゆく、我々の内なる細菌』やモイセズ・ベラスケス=マノフの『寄生虫なき病』では、人類の進化の歴史を通じて常に人類とともにあった細菌や寄生虫が体内に存在しなくなったことと、そうした疾患の関係が掘り下げられていた。それに対して、体内ではなく家のなかの生態系をテーマにする本書では、それらとは異なる視点から急増する疾患の背景が掘り下げられていく。
ロブ・ダンが取り上げているフィンランドの生態学者イルッカ・ハンスキとフィンランドの疫学者タリ・ハーテラのエピソードは興味深い。ハンスキとハーテラは異なる分野の研究をしていたが、そんなふたりが出会うことで人生が変わっていく。
2010年、ハンスキは、ハーテラが慢性炎症性疾患について講演する場に居合わせた。それはハンスキがこれまで取り組んだことのない現象だったが、彼の心を捉えた。ハーテラは、疾患の発生頻度が高い地域と低い地域を表示した地図を用意していたが、彼の次に講演することになっていたハンスキも、原生林やそこに生息する糞虫、チョウ、鳥、その他、多種多様な生物が、地球規模で失われつつあることを示す地図を用意していて、双方の地図に現れた傾向はまったく逆であるように思えた。つまり、生物多様性が低下するにつれて、慢性疾患の発生頻度が高まっていくということだ。
意気投合したハンスキとハーテラ、そして後にハンスキの重要な共同研究パートナーとなる微生物学者のリーナ・フォン・ヘルツェンは、1989年にロンドン大学セントジョージ医学校の疫学者デイヴィッド・ストローンが初めて提唱した「衛生仮説」を足がかりとして、仮説をたてた。ストローンは、現代の潔癖性が日々の生活から、必要不可欠な環境曝露の機会を奪ってしまっていると唱えたが、「清潔」すぎる環境で暮らす子どもたちに何が不足しているのかを説明できずにいた。ハンスキたちは、環境中、家屋内、そして身体に生息する多種多様な生物への曝露が、免疫系の平和維持経路の機能を正常に保つのに何らかの役割を果たしているに違いないと考えた。そんな彼らの仮説の検証の結果は、以下のようにまとめられている。
「ハンスキ、ハーテラ、フォン・ヘルツェンの研究結果からわかるのは、多種多様な在来植物に曝露することによって、皮膚のガンマプロテオバクテリア(および、肺や腸内にいる同様の効果をもたらす細菌)が増加し、それがひいては、免疫系の平和維持の経路を刺激して炎症反応を抑制するということだ。人類は、数千年の間、努力などしなくてもこのような細菌にさらされてきた。野生植物はもちろんのこと、食用植物にもさまざまなガンマプロテオバクテリアが棲みついている。こうした細菌は、種子、果実、樹幹と相利共生の関係にある。人類はそれらを肺に吸い込み、口から摂取し、その中を歩いていた。ところがその後、屋内で暮らすようになると、ガンマプロテオバクテリアが周囲から姿を消してしまう」
次に水について。「その1」で取り上げたエド・ヨンの『世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる』には、水族館の水槽の水を、消毒と濾過を行う生命維持用循環経路で頻繁に循環させることが、水質と動物の健康に逆効果になるという指摘があったが、本書では私たちの生活に直結する水が掘り下げられる。水が清潔であるということは、生物のいない状態ということではない。
ロブ・ダンが注目するのは家庭にあるシャワーヘッド。水が水道管を流れるとき、特にシャワーヘッドの配管内を通るときに、厚いバイオフィルム(微生物膜)が形成されるという。
「バイオフィルムを構成しているのは、敵対的環境(たとえば、絶えず自分を押し流そうとする流水など)から身を守るという、共通目的のために協力し合う一種または複数種の細菌たちだ。細菌たちは、自らの分泌物でバイオフィルムの基盤を形成する。要するに、細菌たちは互いに協力し合って、水道管内に頑丈な共同住宅を――分解されにくい複雑な炭水化物からなる共同住宅を――自分たちの排泄物で作り上げるのである」
そのバイオフィルム内に、病気を引き起こす可能性のある抗酸菌(マイコバクテリウム属細菌)が生息していることがある。水道水中で見つかる抗酸菌の通常の棲み処は、水道管それ自体で、ふだんは病原体ではないが、人間の肺に入り込んでしまったときにだけ問題を引き起こす。
では、そんな抗酸菌が増殖するのを防ぐためにはどうすればよいのか。ここでも多様性が鍵を握る。地下水中には多様な生物の競争があり、病原体は生き延びにくくなる。これに対して、浄水場で殺生物剤を使用して微生物を殺すという方法をとった場合にはどうなるか。以下の記述は抗酸菌だけではなく、様々な生物に当てはまる。
「生態学者がこの一〇〇年間に学んだことがあるとしたら、それは、生物種を死滅させても、その栄養源が残されていたら、もっと頑強な生物種が、単に生き残るのみならず、競争相手の死滅によって生じた空白の中で増殖していく、ということだ。生態学で『競争からの解放』と呼ばれるものを享受するのである。頑強な生物種は競争から解放され、多くの場合には、寄生や捕食からも解放される。水道システムの場合には、塩素やクロラミンに抵抗性を持つ種、またはごくわずかにでも抵抗性がまさる種が増殖してくることが予想される。ちなみに、抗酸菌は塩素やクロラミンに高度な抵抗性を示す傾向がある」
アメリカの家庭のシャワーヘッドを調査した結果には、違いが明確に表れている。都市用水を利用している家庭のシャワーヘッドの中には、何らかの種の抗酸菌が、細菌類の90パーセントを占めているものもあったのに対して、井戸水を利用している家庭のシャワーヘッドの多くからは、抗酸菌は検出されず、バイオフィルムには、抗酸菌以外の多種多様な細菌が棲みついている傾向がみられた。
さらに、スイス連邦水科学技術研究所が、世界各地の76世帯のシャワーヘッドにつながるホースのバイオフィルムを比較した調査でも、共通する研究結果が出ている。「水を消毒していない都市(デンマーク、ドイツ、南アフリカ、スペイン、スイスなど)のサンプルのほうがバイオフィルムが分厚い(つまり、ぬめりが多い)が、水を消毒している都市(ラトヴィア、ポルトガル、セルビア、イギリス、アメリカ合衆国)のサンプルのほうが、多様性が低くて、抗酸菌が優位を占める傾向が強いことが明らかになったのだ」
本書の最初のほうでロブ・ダンは、「本書では、この後も繰り返し、家屋内の多種多様な生物をすべて排除しにかかると何が起こるか、という問題を取り上げる」と書いていた。それはどの章にも当てはまるが、最も際立つのはゴキブリを中心とした家のなかの害虫を扱った第9章だ。そこでは、殺虫剤と多様性が対置されている。
「屋内の害虫の天敵は、好むと好まざるとにかかわらず、クモ類なのである。家に棲んでいるクモを殺したりすれば(殺虫剤をいろいろ撒けばクモは死んでしまう)、自分で自分の首を絞めることになる」
「生活の場で生物を殺すために化学薬剤を使用すると、何度もしっぺ返しを食らうことになる。家屋や裏庭に殺虫剤を撒くと、その殺虫剤に対する抵抗性を獲得した害虫にとって、生態学で言うところの『天敵不在空間』が生み出されてしまう。私たちが目指すべきなのは、その逆であって、害虫の天敵が(不在ではなく)わんさかいる家なのだ」
「その1」でエド・ヨンは、水族館の水槽や清潔な病院で起こっていることを、抗生物質によってバランスが崩れる腸内の微生物の生態系と結びつけていたが、本書の以下のような記述もまた腸内の生態系と見事に重なるのではないか。
「私たちは現在、地球上で起きている進化の多くを、知らず知らずのうちに搔き乱してしまっている。そう考えた場合にまず思い至るのが、私たちが過去数百年にやってきたようなことを今後も続けたらどうなるかということだ。それは、人類が千年前、一万年前、二万年前からずっとやってきたようなこと、つまり、問題のあるものや、見た目に不快なものを、ますます強力な武器で死滅させるというやり方である。
そのときにどんなことが起きてくるか? それは容易に想像できる。新たな化学物質で攻撃していくうちに、防御行動や化学的防御力をますます進化させた病原菌や害虫が有利になり、人間の役に立ってくれる生物種は――仮に生き残ったとしても――圧倒的に不利な状況に追い込まれてしまう。害虫ばかりが薬剤抵抗性を身につけ、それ以外の多種多様な生物は薬剤にやられてしまうのだ。その結果、私たちは知らず知らずのうちに、チョウ、ハチ、アリ、ガといった豊かな野生生物種と引き換えに、少数の抵抗性をもつ生物種に囲まれることになるだろう」
《参照/引用文献》
● 『家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている』ロブ・ダン 今西康子訳(白揚社、2021年)
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