モート・ローゼンブラム 『オリーヴ讃歌』 第2章 「わが『野生オリーヴ園』」からのメモ

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今回はモート・ローゼンブラム『オリーヴ讃歌』の第2章のまとめである。そのタイトルは「わが『野生オリーヴ園』」。

オリーブに何の興味もなかったジャーナリストのローゼンブラムは、1986年にプロヴァンスに5エーカーの土地を購入し、枯れかかった200本のオリーブの木がついてきたことがきっかけで、オリーブに魅了されるようになった。第1章で彼はその土地のことを“ジャングル”と表現していたが、第2章を読むとそれがあながち大袈裟でないことがわかる。たとえば、以下のような描写だ。

『オリーヴ讃歌』 モート・ローゼンブラム著

「私がプロヴァンスの片田舎に荒れ果てた家を買ったのは、美しい景色と安らぎを求めてのことで、植生はどうでもよかった。丸一日かかって密林のような藪を切り開き、やっとのことで崩れた家にたどり着いた。蔓植物が至るところに巻きつき、びっしり繁った下生えのここかしこに、棘だらけの木苺がはびこっているありさまで、この密林のどこかにオリーヴが潜んでいるという話を信じることができなかった。
私はチェーンソーと鉈でオリーヴの木を一本ずつ救出していった。崩れ落ちる建物から生存者を助け出す消防士さながらの使命感に燃え、猛然と救助活動にあたった。犠牲者はいずれも危険な状態だった。枯れかけ、窒息し、カビにやられ、野性化していた。まだ実の生る木は樹形を整えるだけでいいが、思い切って切断し、何年も気長に世話してやらねばならない木もある。私はここを「野生オリーヴ園」と名づけ、早速仕事に取りかかった」

この章ではそんな著者の奮闘とともに、フランス国内で彼が出会ったオリーヴ栽培家の強者や曲者たちが紹介されていく。そうした人々は、それぞれにオリーヴと向き合い、並々ならぬ経験を積んでいる。著者が「この山の王」と形容するロマーナ老人の出発点については、以下のように表現されている。

「ロマーナが初めて山腹のオリーヴの林にやってきたとき、そこはさながらカンボジアの熱帯雨林だった。隣に根づいたオークがオリーヴの生育を妨げ、空き地はエニシダでいっぱいだった。大きな葉を繁らせた蔓植物がオークの幹に巻きつき、宙に突き出て、オリーヴの成長に欠かせない風と光をさえぎっていた。鬱蒼たる天蓋の下では、野生の木苺が絡み合って天然の生け垣を形づくり、ツタが至るところで土壌の水分と栄養を吸い取っていた。段々畑を仕切るはるか昔の石垣は、はびこる根に掘り崩されて壊れたままだ。ひとめでオリーヴとわかる緑灰色の枝が、必死になって陽の光を求め、ジャングルのあちこちから突き出ていた」

オリーヴ栽培家たちのエピソードを読むと、彼らを魅了しているのがオリーヴが持つ生命力であることがわかるだろう。

我が家のオリーブの1本、ギリシャ原産のコロネイキ

さらに、この章でもうひとつ見逃せないのが、地中海沿岸の農民が直面している問題に言及していることだ。

「ちょうど一九九〇年代初頭に起きた、アメリカとEU(欧州連合)の貿易戦争の最中だった。悪役はフランスである。アメリカ側の交渉者は、ヨーロッパの農業補助金を口を極めて非難した。ジョージア州のピーナッツ農家はおそらく世界でもっとも設備に恵まれた生産者だという事実は眼中にない。フランスをはじめヨーロッパ側は、問題は価格だけではないと反論した。小規模農家が大規模なアグリビジネスとの競争で生き残れなくなったら、農村地方一帯から人口が流出し、昔ながらの生活様式が消滅してしまう。その証拠物件Aがロマーナ一家である」

ローゼンブラムはまた、オリーヴの搾油法を通して消え行くものの厳しい現実を浮き彫りにしてもいる。対比されるのは、1マイルとは離れていないところで採油所を営むジョヴァンニ・ロヴェーラとディオダート・ドレアットというふたりの人物だ。彼らは搾油の最後の工程、オリーヴの果汁と人工的に加えた水分から油を分離する方法が違う。ロヴェーラは垂直遠心分離機を使い、ドレアットは“ア・ラ・フーユ”という昔ながらの方法を守っている。

「『フーユ』とは木の葉という意味で、わずかにくぼんだ円形の頭部に短い柄のついた鉄製のへらを指す。滓が底に沈み、表面に油が浮かんでくると、上澄みの油をフーユですくい、スチール製かプラスチック製の容器に移す。たくさんすくえるように、浅いフライパンのような形をしたものもある。いずれの道具も熟練した手で巧みに操られ、まさに職人技の世界である。見事な手さばきでフーユをさっとまわすと、しずくがたなびく。腕を伸ばして容器に注ぐ油が、光を反射して金色にきらめく」

では、両者を訪ねた著者は、ふたつの方法の違いをどう見ているのか。

「私のオリーヴは絶対に遠心分離機にはかけない。ロヴェーラのオイルもいいが、ドレアットの方がはるかに繊細な、いわく言いがたいニュアンスに富んでいる。こうしたニュアンスこそがオイルを第一級のものにする。オイルの味わいや香りは、搾油の際に放出される風味の成分に左右されるが、これはきわめて蒸発しやすい。遠心分離機に湯を加えると、洗い流されてしまうおそれがある。高速回転の摩擦によって損なわれる可能性もある」

しかし、伝統的な方法の未来は決して明るいとはいえない。採油所を経営するエカールという人物の言葉を引用しつつ、以下のように語られる。

「エカールによれば、EU(欧州連合)は規格化に血道を上げ、大企業を優遇しているから、職人的な搾油法は早晩すたれていくはずだという。不吉な兆しはすでに至るところに見てとれる。ブリュッセルのEU官僚が特定の製法を禁止するまでもない。オリーヴ油に含まれる化学成分の基準か何かにさらなる規制をかけ、ついでに補助金制度も変えれば、「ア・ラ・フーユ」方式は、職人的なイギリスのソーセージやドイツのビールと同じ道をたどるだろう」

遠心分離機にかけたオイルは透明で、“ア・ラ・フーユ”には濁りがあり、ほとんどの人が透明なオイルを求めるようになっているといういことだが、ぜひ濁りのあるオイルを味わってみたいと思うのは筆者だけではないだろう。

《参照/引用文献》
● 『オリーヴ讃歌』モート・ローゼンブラム 市川恵里訳(河出書房新社、2001年)





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