サイエンスライター、エド・ヨン(『世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる』)によるメガプレート実験の紹介と抗生物質に対する細菌の耐性進化への警鐘

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サイエンスライターのエド・ヨンの動画チャンネル≪I Contain Multitudes≫(このタイトルは、彼の著書『世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる』の原題でもある)は、どれも工夫が凝らされていて肩ひじ張らずにいろいろ学べる。

数年前にハーバード大学のキッショーニ研究室で、マイケル・ベイム、タミ・リーバーマン、ロイ・キッショーニが行った「メガプレート実験」を紹介する動画もそのひとつ。エド・ヨンのプレゼンテーションの魅力は、メガプレート実験そのものを紹介するオリジナルの動画と比較してみるとよくわかる。

▼ メガプレート実験を紹介する≪Harvard Medical School≫チャンネルの動画。

メガプレート実験は、抗生物質に対する細菌の耐性進化のプロセスを調べる実験で、それだけを見ても非常に興味深く、一度見たら忘れ難い強烈な印象を残す。

『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』ロブ・ダン

● 『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』ロブ・ダン著

このメガプレート実験については、生態学者ロブ・ダンが2021年に発表した『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』(邦訳2023年)の序章と第十章「進化とともに生きる」で比較的詳しく紹介されている。

先述したベイム、リーバーマン、キッショーニの3人は、幅60センチ、長さ120センチ、厚さ11ミリの巨大なシャーレを作り、帯状の9つの区画(カラム)に分割した。メガプレートと名付けられたこのシャーレに充填される培地は二層構造になっている。その下層は、細菌の餌となる個体培地で、インクで染められている。一番外側の両端の区画の個体培地には抗生物質はまったく含まれず、内側に向かうにつれて、抗生物質の濃度が1から10倍、100倍、1000倍と徐々に高まっていく。これに対して、上層は細菌が移動できる液体培地になっている。そのメガプレートの両端に、抗生物質に対する耐性を持たない大腸菌が放たれる。

実験の結果がより興味深くなると思えるので、ここでロブ・ダンの記述を引用しておきたい。「それで、どんなことが起きたのだろうか? 自然選択の法則から予測されるのは、突然変異によって個体間に遺伝的差異が現れうる限り、細菌はいずれ、抗生物質に対する耐性を進化させるだろうということだ。とはいえ、それには何年も、あるいはもっと長い時間がかかるかもしれない。あまり長い時間がかかると、抗生物質を含んだカラム、つまりオオカミだらけのカラムへと広がる能力が得られる前に、細菌の栄養分が尽きてしまうかもしれない」

ところが、動画を見ればわかるように、実際にかかった時間はたったの11日間だった。この結果に対するロブ・ダンの反応も印象深いので引用しておこう。「ベイムの実験を早回しで見ると、ぞっとするほど恐ろしい。その反面、美しくもある。その恐怖の源は、無防備だった細菌が耐性をつけ、人間の手に負えなくなっていくスピードにある。その美の源は、自然選択の法則に基づく、実験結果の予測可能性にある」

▼ エド・ヨンがメガプレート実験を紹介する動画「抗生物質に対する耐性をもつスーパーバグは11日間で進化を遂げる」。

エド・ヨンのこの動画は、彼が2016年に発表した『世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる』(邦訳2017年)の第5章「病めるときも健やかなるときも」、そのなかの抗生物質についての記述が土台になっている。

『世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる』エド・ヨン著

● 『世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされている』エド・ヨン著

微生物は誕生して以来の長期にわたって、抗生物質を使って微生物どうしで互いに争ってきた。人間がこの古代からの武器に初めて触れたのは、イギリスの化学者アレクサンダー・フレミングが、カビからペニシリンと名づけた化学物質を分離したときだ。ペニシリンは医学界に革命を起こし、多くの人の命を救ってきた。しかし、抗生物質への過度の依存から、深刻な問題が起こる。

「現代医療の多くは、抗生物質がもたらした基礎の上に打ち立てられているが、そうした基礎がいま崩れ落ちつつある。抗生剤を見境なく使ってきたために、多くの細菌が進化して抗生剤に耐性を持つようになり、どんな投薬をしても打撃を受けないほぼ無敵の菌株も現れた。それと同時に、有効性が低下した抗生剤に変わる新たな薬剤の開発にはまったく成功していない。われわれは恐るべきポスト抗生物質時代に突入しつつある」

この動画では、そんな視点を踏まえてメガプレート実験が紹介され、抗生物質に対する耐性を持たない細菌が11日間でスーパーバグに進化を遂げるプロセスが映し出される。

ただし、この動画が、抗生物質の過剰な使用や誤用に警鐘を鳴らすだけで終わってしまえば、それほど印象に残らなかったかもしれない。だが、ヨンは、最後にもう一度、アレクサンダー・フレミングに話を戻す。フレミングが抗生物質のリスクを認識していたことを指摘するためにということもあるが、それだけではない。

動画の導入部でヨンは、シャーレを見つめるフレミングの画像に紛れ込み、彼の背後からシャーレを覗き込もうとする。その場面だけだと、ちょっとふざけているのかと思えるが、最後まで見ると、フレミングのシャーレとメガプレートという巨大なシャーレを重ね合わせているようにも思えてくる。先ほど引用したように、ロブ・ダンはメガプレートにぞっとするほどの恐ろしさと美しさを感じていたが、この動画もフレミングに戻ることで共通する視点を浮かび上がらせる。というのもヨンは最後に、フレミングが、細菌を媒体として使った微生物アートの先駆者のひとりであったことに注目し、話をまとめているからだ。

※こうした科学者や科学に関わる人々が感知する「美」については、免疫学者ダニエル・M・デイヴィスが2018年に発表した『美しき免疫の力 人体の動的ネットワークを解き明かす』(邦訳2018年)のはじめに「科学が追及する『美』の世界」などを読むと、やはりそこには独自の「美」の世界があるのだと思える。

《参照/引用文献》
● 『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』ロブ・ダン著、今西康子訳(白揚社、2023年)
● 『世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる』エド・ヨン著、安部恵子訳(柏書房、2017年)




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● 『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』ロブ・ダン著、今西康子訳(白揚社、2023年)
● 『世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる』エド・ヨン著、安部恵子訳(柏書房、2017年)
● 『美しき免疫の力 人体の動的ネットワークを解き明かす』ダニエル・M・デイヴィス著、久保尚子訳(NHK出版、2018年)