リズ・ジェンセンの『The Rapture』とバーバラ・キングソルヴァーの『Flight Behavior』という2冊の小説を読もうと思ったきっかけは、アミタヴ・ゴーシュが2016年に発表したエッセイ『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』だった。三部からなる『大いなる錯乱~』の第一部「物語」ではまず、以下のような疑問が提起される。
「気候変動が地球の未来にたいして現実に発している警告のことを考えれば、それが世界中の作家の最重要課題となるべきことは至極当然のことであるはずだ。それなのに、現状はそれとはまったくほど遠いことになっている、とわたしには思われるのだ」
「もし[近代小説という]ひとつの文学形式がこの奔流をさばく能力に欠けるというのなら、それは端的に言ってジャンルとしての落第を意味するだろう――そしてこのひとつの文学形式の不首尾は、気候変動がもたらす危機の中心に横たわる想像力と文化のより広範な機能不全の一側面であるとみなされなければならないことだろう」
そんな疑問について自分なりに考えたゴーシュは、作家の個人的な関心と発表した小説の内容が乖離している原因は、真剣な小説(シリアス・フィクション)と見なされるジャンルにたいして気候変動が呈示する特異な抵抗のかたちにこそあると確信し、それをいくつかのキーワードを通して掘り下げる。
まずひとつは<蓋然性の乏しさ(improbability)>だ。このキーワードについてはゴーシュ自身の体験を交えて説明される。彼は1978年、デリー大学の修士課程で学んでいた時期に凄まじい竜巻に遭遇した。しかしいまに至るまでそんな出来事を作家としてフィクションに翻訳できずじまいになっている。そんな彼は、もし自分ではなく他人が書いた小説でそんなシーンに出くわしたとしたら、切羽詰まったあげくにこしらえたシーンではないかと疑ってかかりたくなる、想像力が枯渇していなければこうも極端に蓋然性の乏しい状況設定に頼ることはしないのではないかと懐疑的になると思う。
「わたしたちが生きているこの時代は、まさに、現在通用している正常さの基準からすればかなり蓋然性の乏しい事象によって特徴づけられることになるように思われる――たとえば、鉄砲水、百年に一度の大しけ、うちつづく干ばつ、くりかえす観測史上最高気温、突然の地すべり、崩れた氷湖からあふれ出す奔流、そして、そう、気まぐれな竜巻(トルネード)」
「地球温暖化の時代に文芸小説と常識の両方が挑戦をうけるさまざまな仕方の筆頭にくるのがまさにこれ、すなわち、現在の天候事象はきわめて高い度合いで<蓋然性が乏しい>ものとなっているという事実なのだ。(中略)いずれにせよ、たしかに言えるのは、わたしたちが生きているのは尋常な時代ではない、ということだ――この時代をしるしづける出来事の数々は、真剣な小説(シリアス・フィクション)のことさらに散文的な世界には容易におさめることができなくなっている、というわけだ」
ゴーシュは、気候変動が呈示する特異な抵抗のかたちに容易に言葉にしがたい奇怪さも感じ、それをハイデガーを参照して<不気味なもの(uncanny)>というキーワードで説明する。
「わたしたちのまわりで起きているものごとの奇怪さを表現するのに、これほど適切な語はないだろう。というのも、これら環境の変化は、ただたんに知らなかったりなじみがなかったりするという意味で奇怪なのではないからだ。その不気味さのまさに核心にあるのは、わたしたちが[じつは気づいていながら]目を背けていたものがその遭遇において認知されるという事実である。つまり、人間ならざる(ノンヒューマン)対話者が現に存在し、しかも身近にいるということが不気味なのだ」
また、キーワードにはなっていないが、<地球規模の連続性>も特異な抵抗のかたちのひとつに位置づけられている。小説が描く舞台は、不連続なものへの空間的、時間的な切り取りによって成立し、おのおのの舞台はそれ自体において閉じているので、かなたにある世界との関連性は不可避的に後景においやられる。これに対して、人新世における地球は、想像を絶する巨大な諸力によって脈動する、執拗なまでの連続性から逃れようのない世界になっている。
「ここにもまた、小説というジャンルにもっとも親しい技法にたいして人新世が呈示する抵抗のかたち――量的なそれ――を見ることができる。人新世は、その本質において、だいぶむかしに小説の領域から排斥された諸現象――時間・空間においてかけ離れた事象を耐えがたいほど親密に結びつけてしまうような、思考しえぬほどの巨大な力――からできあがっているのだ」
さらにもうひとつ、主流文学とSFとを対比する以下の記述にも注目するならば、<現在>というのも抵抗のかたちのひとつに加えることができるだろう。
「人新世の諸問題をあつかうのに、主流文学と目される小説よりもSFの方がより適しているというのは、ほんとうだろうか。そんなことは当然、と思う方も多いかもしれない。なんと言っても、いまやSFの新ジャンルとして「気候小説(cli-fi)」と呼ばれるものがあるではないか。だが、気候小説はそのほとんどが未来を舞台とする大災害の物語でできあがっていることが、わたしにとっては、まさにひっかかるところなのだ。未来は、人新世のひとつの側面にすぎない。人新世は近い過去をふくむものであるし、なにより重要なことに、現在のことでもあるのだから」
ゴーシュは、文芸小説にたいして気候変動が呈示するこうした特異な抵抗のかたちを踏まえたうえで、冒頭で筆者が言及した2冊の小説を以下のように紹介している。
「わたしがここで、一生懸命「抵抗」について語り、それを「克服不可能な障害」とは呼ばなかったのは、これらの難問=挑戦(チャレンジ)は克服可能であり、実際に多くの小説によって克服されてきたという事実があるからだ。リズ・ジェンセンの『断裂』(Rupture[2009]、未邦訳)などが、その好例だ。バーバラ・キングソルヴァーの『蝶のはばたき』(Flight Behavior[2012]、未邦訳)という素晴らしい小説も、そのうちに数えられるだろう。これらの小説は、それとわかるようにしてわたしたち自身の現代を舞台としながら、いま現在起きているさまざまな変化の規模とそれらのあいだの相互連環について、そしてそれらがいかに<不気味>で<ありそうもない>ものであるかということについて、どちらも驚くほど鮮明に描き出すことに成功しているのだ」
この引用は原文ママだが、重要な誤りがあるので、まずそれを修正する必要がある。リズ・ジェンセンの小説の原題はRuptureではなく、The Raptureであり、当然和訳も「断裂」ではなくなる。Raptureは一般的には「歓喜」と訳されるが、この小説では宗教的な意味で使われているので「携挙」とするべきだろう。
このように紹介されると、2冊の小説で<蓋然性の乏しさ><不気味なもの><地球規模の連続性><現在>といった抵抗のかたちがどのように克服されているのか、知りたくなるのは筆者だけではないだろう。そこで試しに、未邦訳の2冊が日本でどのように認知されているのか、ネットを調べてみたが、ほとんど情報がなかった。ひと昔前なら、物知りな人の紹介や解説が見つかって、いくらか概要を把握できたりもしたような気がするが…。
そこで自分で読んでみたのだが、どちらも非常に面白かったし、ゴーシュが指摘する特異な抵抗のかたちが頭にあったので、なるほどと思えることも多々あった。両作品の具体的な内容については、それぞれに別記事にまとめることにする。
《参照/引用文献》
● 『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』アミタヴ・ゴーシュ著、三原芳秋・井沼香保里訳(以分社、2022年)
● 『The Rapture』Liz Jensen (Bloomsbury, 2009)
● 『Flight Behavior』 Barbara Kingsolver (Harper Perennial, 2012)
《関連リンク》
● 「アミタヴ・ゴーシュが評価するリズ・ジェンセンのエコスリラー『The Rapture』、気候変動と少女の予言やキリスト教原理主義者が唱える”携挙”がせめぎ合うなか、崩壊の瞬間が迫りくる」
● 「アミタヴ・ゴーシュが評価するバーバラ・キングソルヴァーの長編『Flight Behavior』、気候変動で突如出現した蝶の大群が、田舎町で孤立する貧しい主婦の世界を劇的に変えていく」
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● 『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』アミタヴ・ゴーシュ著、三原芳秋・井沼香保里訳(以分社、2022年)
● 『The Rapture』Liz Jensen(Bloombury, 2009)
● 『Flight Behavior』 Barbara Kingsolver (Harper Perennial, 2012)