イギリス出身の女性作家リズ・ジェンセンが2009年に発表したエコスリラー『The Rapture(携挙)』を読もうと思ったきっかけが、アミタヴ・ゴーシュのエッセイ『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』だったことは、前の記事(「アミタヴ・ゴーシュが『大いなる錯乱』で、気候変動が突きつける難題を克服した小説の例に挙げるリズ・ジェンセンの『The Rapture』とバーバラ・キングソルヴァーの『Flight Behavior』」)で書いた。
そこからジェンセンの『The Rapture』に言及している部分だけを抜きだすと、以下のような記述になる。
「わたしがここで、一生懸命「抵抗」について語り、それを「克服不可能な障害」とは呼ばなかったのは、これらの難問=挑戦(チャレンジ)は克服可能であり、実際に多くの小説によって克服されてきたという事実があるからだ。リズ・ジェンセンの『断裂』(Rupture[2009]、未邦訳)などが、その好例だ。バーバラ・キングソルヴァーの『蝶のはばたき』(Flight Behavior[2012]、未邦訳)という素晴らしい小説も、そのうちに数えられるだろう。これらの小説は、それとわかるようにしてわたしたち自身の現代を舞台としながら、いま現在起きているさまざまな変化の規模とそれらのあいだの相互連環について、そしてそれらがいかに<不気味>で<ありそうもない>ものであるかということについて、どちらも驚くほど鮮明に描き出すことに成功しているのだ」(※前の記事で書いたように、ジェンセンの小説の原題は、正しくは「Rupture」ではなく「The Rapture」で、訳語をあてるとすれば「断裂」ではなく「携挙」が適切なので、本記事のタイトルや以後の文章では、そのように修正した)
『The Rapture』の始まりは、異常な猛暑がつづく6月のイギリス。物語の語り手は、1年半前の自動車事故で下半身麻痺となり、車椅子の生活を送るアート・セラピストのガブリエル・フォックス。彼女はロンドンから海辺の町ハドポートに転居し、国内で最も危険な子供たちが収容されているオックススミス青少年保護精神病院で働いている。ロンドンの以前の職場には復帰が認められず、紹介されたのがこの病院だった。そこでガブリエルが担当するのが、2年前に母親をドライバーで刺し殺して収容されている16歳の少女ベサニー・クラール。前任のサイコセラピストが何らかの事情で退職してから、誰も担当したがらず、新参のガブリエルには選択の余地がなかった。
ベサニーの父親レナードは、福音派のカリスマ的な伝道師で、気候変動の影響とともに大きな注目を集めるようになった”信仰の波”の主導者だった。その父親は、娘が悪魔に取り憑かれていると主張し、面会を拒否していた。病院に収容されたベサニーは、自殺を4回試み、他の患者たちに容赦なく暴力をふるったが、電気痙攣療法によって改善が見られた。
そしてベサニーが電気痙攣療法を自ら望むようになるが、この療法には副作用があった。彼女は療法を受けているときに世界各地でこれから起こる災害の光景が見えると言い、ノートにその日時を記録し、見えた光景を描いていた。ガブリエルはそれを、父親のキリスト教原理主義的な世界観に支配されて育ったことによる終末妄想と解釈していたので、7月29日にブラジルがハリケーンに見舞われ、10月12日にはもっと恐ろしいことが起こるという新しい予言を聞かされても、それを信じることはできなかった。
しかし7月29日の予言が現実のものとなり、そのことがガブリエルを別の人物と結びつけることになる。ガブリエルはその少し前に出席した慈善パーティーで、フレイザー・メルヴィルという物理学者と出会い、災害を予言する患者について意見を求めていた。フレイザーは当然、予言が現実になってもそれは偶然と考えていたが、ブラジルのハリケーンにつづいて、ベサニーがその後に予言したトルコのイスタンブールの大地震が現実になったことに驚き、真剣に調査に乗り出す。ガブリエルは、ベサニーのノートを調べ、イタリアのエトナ山の噴火や日本の大阪の台風、スコットランドのアバディーンの竜巻など、過去に彼女が予言したことがすべて実際に起こり、日付も正しかったことを確認する。
ここまで説明したところで、ゴーシュの『大いなる錯乱』を振り返ってみたい。ゴーシュは現代の主流文学が気候変動をとらえることを困難にしている要因のひとつとして、小説の不連続性と気候変動の連続性の間にある溝を指摘していた。小説が描く舞台は、不連続なものへの空間的、時間的な切り取りによって成立し、おのおのの舞台はそれ自体において閉じているので、かなたにある世界との関連性は不可避的に後景においやられる。これに対して、「人新世における地球は、まさに、想像を絶するとしか言いようのない巨大な諸力によって脈動する、執拗なまでの連続性から逃れようのない世界なのだ。シュンドルボンを侵食する海水は、マイアミ・ビーチも水浸しにする。砂漠化は、ペルーでも中国でもおなじく進行している。山火事は、テキサスやカナダと同様にオーストラリアでも激化している」
ジェンセンはこの『The Rapture』において、予言の力によって不連続性と連続性の溝を消し去る。車椅子の生活を余儀なくされるガブリエルにとっても、病院に収容されているベサニーにとっても、その舞台は極端に閉じているが、予言を通して世界各地で起こる災害の執拗なまでの連続性が彼女たちに迫ってくる。
本来ならこのような設定では、なぜベサニーにそんな力があるのか、というところに関心が向かうところだが、この物語にはそんな時間の猶予はない。ポイントになるのは10月12日の予言だ。その日に起こることは、ベサニーがノートに書いた「艱難」という言葉が示唆するだけで、どんな災害になるのかはっきりとはわからない。ベサニーの父親が先導する”信仰の波”が注目を集めているのは、未曽有の艱難の時代が到来する前にキリストが再臨し、真の信者だけが救済される”携挙”が迫っていると信じられているからだが、ベサニーはそれが10月12日に起こり、病院にいたら自分が溺れてしまうことがわかっているので、ガブリエルやフレイザーに協力を求め、なんとか逃げ出そうとする。ガブリエルやフレイザーは、ベサニーがノートに描いた絵を手がかりに、なにが起ころうとしているのかを突きとめようとする。
ジェンセンは巻末の謝辞で、本書を構想しているあいだに影響を受けた本として、ジャーナリスト/環境保護運動家マーク・ライナスの『+6℃ 地球温暖化最悪のシナリオ』(2007/邦訳2008)、ジャーナリスト/環境活動家ジョージ・モンビオの『地球を冷ませ!――私たちの世界が燃えつきる前に』(2006/邦訳2007)、「ガイア理論」を提唱した科学者ジェームズ・ラブロックの『ガイアの復讐』(2006/邦訳2006)、作家/科学者/探検家ティム・フラナリーの『地球を殺そうとしている私たち』(2006/邦訳2007)、本ブログで以前に『世界から青空がなくなる日』を取り上げているジャーナリスト、エリザベス・コルバートの『地球温暖化の現場から』(2006/邦訳2007)を挙げている。
筆者はその全部を読んでいるわけではないが、マーク・ライナスの『+6℃ 地球温暖化最悪のシナリオ』の後半にあるメタン・ハイドレートについての記述は、ベサニーが予言した10月12日に起こることのヒントになっているように思える。そのことについてはまた別記事で触れることにしたい。また、カルカッタ生まれの地質学者で、故ジェームズ・ラブロックのかつての同僚で、プラネタリアン・ムーヴメントを牽引し、破滅の預言者とも呼ばれるハリシュ・モダックという思想家も登場する。
《参照/引用文献》
● 『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』アミタヴ・ゴーシュ著、三原芳秋・井沼香保里訳(以分社、2022年)
● 『The Rapture』Liz Jensen (Bloomsbury, 2009)
● 『+6℃ 地球温暖化最悪のシナリオ』マーク・ライナス、寺門和夫訳(ランダムハウス講談社、2008年)
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● 『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』アミタヴ・ゴーシュ著、三原芳秋・井沼香保里訳(以分社、2022年)
● 『The Rapture』Liz Jensen(Bloombury, 2009)
● 『Flight Behavior』 Barbara Kingsolver (Harper Perennial, 2012)
● 『+6℃ 地球温暖化最悪のシナリオ』マーク・ライナス、寺門和夫訳(ランダムハウス講談社、2008年)
● 『地球を冷ませ!――私たちの世界が燃えつきる前に』ジョージ・モンビオ、柴田譲治訳(日本教文社、2007年)
● 『ガイアの復讐』ジェームズ・ラブロック、竹村健一訳(中央公論新社、2006年)
● 『地球を殺そうとしている私たち』ティム・フラナリー、椿正晴訳(ヴィレッジブックス、2007年)
● 『地球温暖化の現場から』エリザベス・コルバート、仙名紀訳(オープンナレッジ、2007年)