ロレンゾ・メナカヤとアイケナ・アニャクィ共同監督の『Ordinary Fellows』(2019)で脚本を手がけたエブカ・ンジョクの監督デビュー作『Yahoo+』(2022)は、IMDBの評価などを見るとかなり悲惨だが、その完成度はともかくとして、ナイジェリア社会や若い世代に対する視点の鋭さは、量産されるナイジェリア映画のなかでも抜きん出ている。
それを確認するためには、まず「Yahoo+」というタイトルの意味を理解する必要がある。
ナイジェリア系アメリカ人のジャーナリスト、ダヨ・オロパデは『アフリカ 希望の大陸 11億人のエネルギーと創造性』のなかで、ナイジェリアのメール詐欺について以下のように書いている。「一見、人々が関心を示さないささいなことのように思えるかもしれないが、私の故郷がこのようなメールのおかげで有名になったのは事実だ。インターネットを悪用した詐欺は世界中の多くの国でおこなわれているが、ナイジェリア人は海外からの送金詐欺に費やす飽くなき努力を完璧の域まで高めたようだ」
ナイジェリアでは、このようなサイバー犯罪は、”Yhaoo”あるいは”Yahoo yahoo”と呼ばれ、その犯罪者は”Yahoo Boys”と呼ばれる。オロパデは彼らのことを以下のように位置づける。「ヤフーボーイズたちには、彼らを犯罪から遠ざけてくれるような小学校の先生、年長の指導者、あるいはシリコンバレーという場所がない。その代わり、彼らは野心と知略、手持ちの道具(自らの知恵も含む)を使って、非難の的にはなるが実入りのいい暮らしを追求するのだ。メールアドレスだけを武器に、彼らは何百万ドルもの金と世界的な悪名を手に入れ、アフリカ全域を苦しめる経済的停滞からの脱出と、ゼロから何かを生み出せることの証明とを同時に達成したのだ」
ではその「Yahoo」に「+」あるいは「plus」が加わるとどうなるか。簡単にいうと、スピリチュアルな要素が加わる。たとえば、De Gruyterのこの記事「A spiritual dimension to cybercrime in Nigeria: The ‘yahoo plus’ phenomenon(ナイジェリアにおけるサイバー犯罪のスピリチュアルな側面:”Yahoo plus”現象)」で詳しく論じられているが、ここではそこまで踏み込む必要はない。なぜならエブカ・ンジョクは、ノリウッドの出発点となった映画『Living in Bondage』(1992)をモチーフとして使うことで、そのスピリチュアルな側面を映画的に表現しているからだ。その映画の主人公であるビジネスマンのアンディ・オケケは、カルト教団に入信して成功を手にする代償として妻を生贄として差し出してしまう。その物語は、ノリウッドのなかで隠れた神話になっているように思える(詳しくは「ジャーナリスト、ダヨ・オロパデが『アフリカ 希望の大陸』で指摘しているアフリカの精神”カンジュ”とノリウッドの出発点となった映画『Living in Bondage』(1992)について」参照)。
オセとアバチャというふたりの若者は、ノリウッドで成功することを夢見てこれまで3年間、努力を重ねてきたが、なんの成果も得られなかった。そんな彼らは、オセの発案で、副業として思い切ってYahoo+に乗り出し、資金とスキルを獲得しようと目論む。真面目なアバチャはオセに引きずられるようにそれに同意する。オセは娼婦のピノピノに連絡し、仲間をひとり誘って指定した住所にある家に来るように依頼する。
ピノピノは、一緒にいくはずだった仲間がキャンセルしたため、ほかをあたったが誰も都合がつかない。そんなとき、演劇学校に通う友だちカムソが金を借りにくる。以前にも彼女に貸していたピノピノは断るが、恋人のためにどうしても金が必要な彼女は、悩みに悩んだすえに体を売る決心をする。ふたりは、オセに指定された場所に向かう。ここまでのポイントは、アバチャもカムソも、それぞれに自分がやろうとしていることに本心では乗り気ではないことだ。
そんな4人が指定された家で落ち合うと、アバチャとカムソが恋人同士で、真剣に愛し合っていることが判明する。もちろんオセはセックスするために彼女たちを呼んだわけではない。次第に明らかになるが、香港からYahoo+を仕切るマンサという人物と取り引きし、女性をふたり調達する約束になっていた。学生時代にカルト教団に入っていた(らしい)オセは、マンサが提供したその家で儀式が行われ、自分たちの成功が約束されると信じていた。
先述した『Living in Bondage』を観ている人は、ここでそれを思い出すことになる。カルト教団に入信したアンディは成功の代償として、指導者から最も愛する者を差し出すよう迫られ、悩み苦しんだ末に妻を生贄にしてしまう。本作のアバチャは、カムソと対面して怖気づき、彼女を救うためにマンサに連絡するが、マンサはアバチャの家族のことまで調べ上げていて、彼らが犠牲になるといってアバチャを追いつめる。つまりそこに、隠れた神話が引き出される。それは伏線ともいえる。
▼ エブカ・ンジョク監督『Yahoo+』予告編
オセとアバチャは仲間割れを起こし、混乱が起こる。エブカ・ンジョクのスタイルで好感が持てるのは、彼がドラマの空間を限定し、長回しを多用していることだ。その混乱はひとまず、銃を構えるオセと縛られた3人という図式に落ち着き、そこにマンサの右腕であるイコロがやってくる。オセが迎えに出たあいだに、3人は縄を解き、反撃しようとするが、イコロは迷わずピノピノを殺害する。儀式までは生かしておくものと思っていたオセは愕然とする。このイコロは、なんとなく『パルプ・フィクション』でハーヴェイ・カイテルが演じた掃除屋を連想させる。そのイコロとオセの会話もタランティーノっぽいのだが、それを楽しむためには、先ほどのリンクに加えて、こちら(「ノリウッドとともに歩んできた俳優ラムジー・ノアが、ノリウッドの出発点となった『Living in Bondage』にオマージュを捧げる初監督作品『Living in Bondage: Breaking Free』」)も読んでおいてもらうほうがよいだろう。これは、イコロに対してオセが、アバチャのことを弁護したあとの会話。
イコロ「お前は『Living in Bondage』を観たか?」
オセ「古いほう、新しいほう?」
イコロ「古いほうだ」
オセが頷く。
イコロ「メリットが死んだあとでアンディがどうなったか覚えているか?」
オセ(少し考えてから)「壊れだした」
イコロ「ここでなにが起こるか想像してみろ、あいつのガールフレンドが死ぬときに」
オセ「アバチャはアンディとは違う」
イコロ「もっと悪い。少なくともアンディには、やり遂げるだけの男らしさがあった」
この会話だけでも、エブカ・ンジョクが『Living in Bondage』をかなり意識していることがわかる。だが、本作で最も重要なのは、そのあとのイコロの行動だ。オセは、ピノピノが殺害されても、まだイコロが儀式を行うと信じているが、彼はまったく違う作業をはじめる。手を休めることなく、オセに向かって、Yahoo+は犯罪として容認されやすく、それが隠れ蓑になって、現実は儀式と無縁であることを淡々と語りつづけるのだ。
《参照/引用文献》
● 『アフリカ 希望の大陸 11億人のエネルギーと創造性』ダヨ・オロパデ著、松本裕訳(英治出版、2016年)
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● 『アフリカ 希望の大陸 11億人のエネルギーと創造性』ダヨ・オロパデ著、松本裕訳(英治出版、2016年)