90年代から一線で活躍しつづけるノリウッドを代表する俳優ラムジー・ノアがはじめて監督にも進出した『Living in Bondage: Breaking Free』(2019)については、前の記事(「ジャーナリスト、ダヨ・オロパデが『アフリカ 希望の大陸』で指摘しているアフリカの精神”カンジュ”とノリウッドの出発点となった映画『Living in Bondage』(1992)について」)を先に読んでもらうと話が早い。タイトルから察せられるように、本作は、そちらで取り上げたノリウッドの出発点となった『Living in Bondage』の続編になる。ノリウッドとともに歩んできたラムジー・ノアが監督するのに相応しい題材ともいえる。
続編が前作とどうつながっているのかを明確にするために、前作のことを少し補足しておきたい。『Living in Bondage』は、公開の翌年1993年にパート2が公開され、2部構成で1本の作品になっている。それを踏まえ、少なくとも頭に入れておきたいのは、悪魔崇拝のカルト教団に入信し、成功を手にする代償として献身的な妻メリットを生贄に差し出したビジネスマン、アンディ・オケケ(ケネス・オコンクォ)が、エゴという女性と再婚するが、そのエゴが金を持って逃げ出し、アンディも最終的に教会で懺悔し、改宗して救われることと、カルト教団の指導者が富豪のオメゴ(カナヨ・O・カナヨ)だったこと。
続編は前作から25年後の物語。主人公は前作のアンディと同じように仕事で壁にぶつかる若者ンナムディ・ンウォリー(スワンキー・JKA/ジデ・ケネ・アチュフシ ※この俳優は作品によって異なる名前でクレジットされている)。彼が一度は就職しながらも、退職して広告代理店を起業したのは、大口の案件がまとまる目算があったからだが、目前でかつての上司に横取りされ、以前と変わらないラゴスでの貧乏生活がつづく。疲れたンナムディは、イボランドにあるイモ州に帰省し、仲のよい兄トビーや両親と再会する。そして一家で礼拝に行ったときに、ンネカ・オメゴという気になる人物に出会う。この夫人はンナムディの本当の父親のことを知っているらしいが、戸惑いを露わにする両親はなんとか彼女をンナムディから遠ざけようとする。さらに帰りの車中で、ンナムディが夫人のことを尋ねると、父親が感情的になって儀式主義者には近づくなと釘を刺す。
前作が頭に入っていると、ここらへんから不穏な空気が漂いだす。ンネカは、前作でカルト教団の指導者だったオメゴの妻で、いまではイモ州の知事候補になっているオメゴを、前作と同じカナヨ・O・カナヨが演じている。ラゴスで暮らすンネカは、ンナムディに会ったときに、仕事を紹介するという甘い言葉をかけていた。ラゴスに戻ったンナムディは、父親の警告も忘れ、ンネカが暮らす豪邸を訪ね、彼女の息子オビンナを紹介される。ンナムディは帰省したときに、路上で偶然オビンナと遭遇し、彼が運転する高級車の話題で盛り上がっていたので、ふたりはすぐに意気投合する。
本作の冒頭には短いプロローグがあり、(おそらく父親のオメゴに感化された)オビンナが生贄を捧げるために娘のコシを手にかける。ンナムディがオビンナと再会する場面には、オビンナがコシの亡霊を目にして怯える瞬間がある。それでももう後戻りできないオビンナは、彼が勤める大手広告代理店にンナムディを案内し、ボスのリチャード・ウィリアムズに紹介する。そのリチャードこそが、”ザ・シックス”と呼ばれる悪魔崇拝のカルト教団の新しい指導者で、成功に取り憑かれたンナムディに、地位や外車や海外出張などの餌を与え、深みへと引き込まれた彼はその意味もわからないまま儀式を受けることになる。リチャードを演じるのは、監督も兼ねるラムジー・ノアだ。
一方そのころ、ジャーナリスト/ブロガーのウゾマという男が、ネットを駆使してザ・シックスの情報を収集していた。彼の妹と彼女の娘コシが不可解な死を遂げ、このカルト教団を疑っていた。そんなウゾマが、リチャードとンナムディが肩を組む写真入りの新聞記事を持って訪ねる人物が、アンディ・オケケ神父。前作の最後で改宗して救われたアンディは神父になっている。演じているのは同じケネス・オコンクォで、これはやはり感慨深い。
ウゾマはアンディに、彼に息子がいることを伝える。話を聞いたアンディにも思い当たるふしがあった。彼が再婚したエゴは、逃げ出したときに(おそらく)妊娠していて、息子を産んだがその後、病気で亡くなり、その息子ンナムディを引き取って育てたのが、エゴの妹夫婦、つまり現在のンナムディの両親だった。その両親は、カルト教団に属している父親のことをンナムディには知られたくなかった。いまは神父であるアンディは、リチャードの手中に落ちた息子を救うべく、彼に直接会い、父親であることを告白し、説得を試みるが、ンナムディはまったく信じようとしなかった。
成功を手にしたンナムディは、オビンナの結婚式でケリーに出会い、恋に落ち、一緒に暮らすようになるが、ケリーはンナムディがなにかを隠していることに気づき、不安に苛まれるようになる。そんなとき、ついにリチャードが、オメゴを通して成功の代償を要求してくる。それは自分が最も愛する者の首を差し出すことだった。そしてンナムディが抵抗すると、悪魔の化身リチャードが牙をむく。
冒頭のリンクを貼った前の記事で取り上げたダヨ・オロパデの『アフリカ 希望の大陸 11億人のエネルギーと創造性』のなかで、彼女はオリジナルの『Living in Bondage』について、「1992年に公開されたこのベタな筋書きのイボ語映画がヒットしたのは偶然だった」と書いていて、ノリウッド映画が大好きと言いつつも、その出発点となった映画の内容そのものについては評価していない。しかし、その脚本を書いて、映画化の企画を温めていたオケチュク・オグンジオフォーと、VHSテープの厖大な在庫を抱え込んでしまった家電販売業者ケネス・ンネブエの利害が一致して、このビデオ映画が誕生しなければ、ノリウッドはまったく違ったものになっていたかもしれない。ノリウッドとともに歩んできた人々には、このストーリーやアンディ・オケケのキャラクターには、特別な思いがあり、本作にはオマージュが凝縮されているように思える。また本作には、トビーとンナムディの兄弟の絆、アンディとンナムディの親子の絆、ケリーとンナムディの男女の絆が描かれるが、代償を払うことに怯えて泣きついてくるンナムディに悪魔の化身リチャードが、これはノリウッドのメロドラマとは違うというニュアンスの台詞を口にするあたり、スパイスが効いていてラムジー・ノアらしい。
《参照/引用文献》
● 『アフリカ 希望の大陸 11億人のエネルギーと創造性』ダヨ・オロパデ著、松本裕訳(英治出版、2016年)
《関連リンク》
● 「ジャーナリスト、ダヨ・オロパデが『アフリカ 希望の大陸』で指摘しているアフリカの精神”カンジュ”とノリウッドの出発点となった映画『Living in Bondage』(1992)について」
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● 『アフリカ 希望の大陸 11億人のエネルギーと創造性』ダヨ・オロパデ著、松本裕訳(英治出版、2016年)