別荘で休暇を過ごす3組の夫婦の関係を揺さぶる感情の連鎖には、”ドグマ95″を想起させる空気も漂う――トル・アウォビイ監督のナイジェリア映画『Couple of Days』

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その後もプロデューサー、監督、脚本家として活動しているトル・”ロードタナー”・アウォビイが監督デビューを果たした『Couple of Days』(2016)では、長い付き合いの3組の夫婦が、別荘で休暇を過ごすうちに軋轢が生まれ、予想外の事態に陥っていく。ナイジェリアのレビューを読むと、タイラー・ペリーの『Why Did I Get Married?』のパクリみたいな、辛い評価が目につくが、決めつけが視野を狭めてしまうこともある。

ナイジェリア映画『Couple-of-Days』

● ナイジェリア映画『Couple of Days』(2016) トル・”ロードタナー”・アウォビイ監督

本作のプロローグでは、3組の夫婦それぞれの関係についてヒントが与えられる(そこに時間差があるのもちょっと面白い)。まず、現在のジュードとシンシア。ベッドの上で電話に出たジュードは、仕事中を装うが、隣には女性(のちに秘書だとわかる)がいる。電話をかけたシンシアは浮かない表情で、すべてを察しているように見える。次に3か月前のランレとジョケ。就寝前に、ジョケが、横になって雑誌を読んでいるランレににじり寄って覆いかぶさるようにキスしようとするが、彼は顔をそらし、背中を向けて眠りにつく。ジョケは険しい表情で固まっている。最後は3日前のダンとニナ。浜辺を歩いていた彼らは抱き合い、熱いキスを交わす。

3人の夫のなかで最も成功しているのがジュードで、イバダンに別荘を持っている彼の提案で、3組の夫婦が豪華な別荘に集まり、休暇を過ごすことになる。相次いで別荘に到着した彼らは再会を喜ぶが、キッチンに妻たちが集まると愚痴がはじまる。ジョケは、ランレが仕事で苦労していることに理解を示すものの、ベッドでずっと拒絶されていることに不満を募らせている。シンシアもジュードの浮気をほのめかす。

ランレは最初から元気がなかったが、それでも全員でイバダンのアミューズメントパークに繰り出し、プールで泳いだり、ボーリングをすれば楽しい時間が過ぎていく。だが、やがてランレとジョケのとげとげしい関係が無視できないものになり、ほかの4人も巻き込まれ、対立が表面化する。

まず、夫婦がそれぞれの部屋に引き上げたあとの夜更け、たまたま残って飲んでいたジュードが、眠れずに戻ってきたジョケの相談に乗るうちに、ふたりは成り行きでキスしてしまう。それが、寝室に移動しようとしていたシンシアの目に入ってしまう。その翌日、ジョギングから戻ったダンが、元気のないランレに、ジョークのつもりで性的不能なのかと口走ってしまう。それでランレの堪忍袋の緒が切れ、予想外の事実が曝露されると、それに今度はシンシアが反応し、そんな連鎖によって、プロローグから想像されたそれぞれの夫婦の関係は、オセロゲームのように次々に覆っていく。

▼ トル・アウォビイ監督『Couple of Days』(2016)予告

冒頭で少し触れた筆者が読んだナイジェリアのレビューによれば、本作の公開当時、アウォビイ監督は、本作を4日半で撮影したと語っていたらしい。辛口の評価をする人には、だから出来が悪いということになる。4日半が本当であるなら、この監督は緻密な脚本をつくり、キャストにそれを浸透させたうえで、脚本が設定する時間に近い期間で撮影しようとしたようにも思える。

この脚本のどこが緻密なのか。この手のナイジェリア映画では、しばしば成功か愛かの二者択一が軸になり、それをどう乗り越えるかに終始する。本作も最初はそういうタイプのドラマに見える。ジュードとシンシアは、夫婦仲はともかく成功を羨まれている。ランレとジョケは、成功と愛の狭間で宙づりになっているように見える。ダンとニナは新婚のような関係がつづいている。この脚本はそれを意識したうえで、オセロのように覆す。

3組の夫婦がそれぞれに抱える問題は、それまで見えていたのとはまったく別のところにある。それらは、成功か愛かの二者択一とは関係ないだけでなく、異なる共通点を持っている。夫婦とその子供との関係、あるいは隠し子、あるいは子供の不在、そうした子供に関わる問題が、それぞれの夫婦に多大な影響を及ぼしている。限定された空間における関係の反転を招き寄せる独特の空気から、筆者が想起したのはあの”ドグマ95″、特にトマス・ヴィンターベア監督の『セレブレーション』だった。そういえば本作も最後の場面に幽霊が姿を見せる。