インド・マラヤーラム語映画『Anweshippin Kandethum』(2024)は、子供の頃から映画監督に憧れてきたダルウィン・クリアコス監督の長編デビュー作。友人からジョニー・アントニー監督を紹介してもらったクリアコスは、アントニー監督の『Bhaiyya Bhaiyya』(2014)でスタッフに加わり、その後、ジヌ・V・エイブラハム監督・脚本の『Adam Joan』(2017)など何本かの作品でアシスタントを務めた。そこで生まれた縁が、クリアコスの初監督作品で、エイブラハムが脚本を手がけるきっかけになったという。
『Anweshippin Kandethum』には派手さはないが、地道な捜査が透徹した眼差しで描き出され、非常に味わい深い作品になっている。それは時代背景とも無関係ではない。本作にはふたつの事件が盛り込まれているが、それが起こるのは80年代後半から90年代前半の時期で、アナログの地道な捜査が不可欠になる。
本作の原題「Anweshippin Kandethum」は、聖書の格言「探せよ、さらば見つからん」を意味し、ドラマに描かれる捜査を象徴している。それを実践することはシンプルなように見えるが、組織やコミュニティにおいては場合によって著しい困難をともない、実践することが冒険することにもなりうる。
本作の主人公は、退職した父親の背中を追って同じ道を歩むアナンド・ナラヤナン警部補(トヴィノ・トーマス)と、彼の部下であるチャンドラ・セナン、カビール・ハッサン、KR・スクマランという3人の巡査たち。そのプロローグは、アナンドが第一地区警察署長室を訪れ、呼び出しを待つ場面から始まる。彼が制服ではなく私服なのは伏線といえる。そこで、別のベンチに座って面会を待っていた男が、アナンドの姿を見て、連れの警察官に語りかける。「あいつを知っているか? ”ラブリー・マサン事件”のあの男だ。冒険に飛び込む前には、あの顔を思い出すんだ、いいな。きっとそれが貴重な教訓になる」。そこから時間が数か月前にさかのぼり、1993年に起こったラブリー・マサン事件の顛末が描かれていく。
コッタヤム警察署に警部補として配属された正直で正義感の強いアナンド、そして部下たちは、大学からの帰途、バスを降りてから家までのあいだに失踪した娘ラブリーの捜査をはじめる。アナンドが彼女の部屋を調べたときに、カードの束を入れた小さなケースから1枚を引き抜くと、そこに書かれていたのが「探せよ、さらば見つからん」という格言だった。ラブリーは敬虔なキリスト教徒で、近くの修道院にひとりで暮らすトーマス神父を慕っていた。そこでアナンドは修道院に向かい、神父から話を聞こうとするが、さっそく壁にぶつかる。その地域は、宗教絡みでふたつの勢力に分かれて対立しており、ラブリーの父親マサンは、神父が属する教区民のグループと対立するグループに属していた。修道院に入ろうとしたアナンドは、駆けつけてきた教区民たちに阻止される。
それから間もなく廃井戸からラブリーの遺体が発見される。アナンドは廃井戸との位置関係から、修道院を調べる必要を感じる。だが政府からキリスト教徒の警察官に事件を任せるよう要請がある。指名された警部と警部補は、警察が修道院に入れば、教区民のグループが街頭に出て火を放つ恐れがあると考え、遺体を包んだ布の所有者と思われる男を捕え、布は盗まれたと主張する彼を拷問し、罪を認めさせようとする。
▼ インド・マラヤーラム語『Anweshippin Kandethum』(2024)予告
ここでありきたりなヒーローであれば、迷わず独自に捜査に乗り出すところだろうが、本作の見所のひとつは、アナンドが忍耐する姿だといえる。彼は上司からどんな酷い言葉で意見を否定されても、担当を外されても、嫌がらせを受けても、表情を変えずに耐えつづける。すると、鑑識の専門家や彼に理解を示すラジャゴパル署長や部下が背中を押す。ラブリーの父親も、捕まった男を弁護するだけでなく、事件当日、ラブリーが修道院に入るのを見たという証人を連れてくる。それらすべてが本作における「探せよ、さらば見つからん」に必要な手続きであり、そこにはどうやら「運」も含まれる。なぜなら夜中に修道院で盗難事件が起こり、修道院を調べる口実ができるからだ。ちなみに、この出来事については、後半の、もうひとつの事件の捜査の終盤で、それを思い出すような状況がある。
事件発生時、会議に出席していたトーマス神父にはアリバイがあり、修道院で重要な証拠が見つかっても捜査にはまだ予想外の展開がある。非公式な捜査を終え、報告書を提出したアナンドと部下は、署長の判断を仰ぎ、ある犯人を拘束する。だが、裁判所に入る直前に一瞬の隙を突かれ、犯人に逃げられ、死なせてしまう失態を演じる。アナンドと3人の部下は停職処分となっていたが、そこでプロローグに戻る。ラジャゴパル署長は、6年前の1988年にコッタヤムの辺境の村チェルヴァリーで起こった未解決のスリデヴィ殺人事件の再捜査を命じる。
現地に到着したアナンドと部下は、事件の捜査が想像を超える冒険であることを悟る。どこから情報が漏れたのか村では、住人を集めた集会が開かれている。先頭に立つのは、村議会の議長パンチャーヤトと村の名士サダナンダン師で、かつて事件の捜査を通して残虐行為が行われたため、彼らは再捜査に激しく抗議し、協力を拒否することを決めていた。しかもパンチャーヤトは、その再捜査チームが、ラブリー・マサン事件で無実の人間を逮捕し、殺害したかのように吹聴していた。しかしそれでも、アナンドは表情を変えずに、当時、事件を担当したラヴィーンドラン・ネール元巡査部長の家を訪ね、部下とともに事件の概要の説明を受け、宿泊所に案内される。
殺害されたシュリデヴィは、村で唯一の仕立屋である母親レヴァマとふたり暮らし。小説雑誌を読み耽るような娘で、彼女が誰かと付き合っていることを誰も知らなかった。だがある晩、彼女は、心から愛する人と行きますという置手紙を残して、家を出て、翌朝、ゴム農園で殴打されて殺害されているのが発見された。検死の結果、妊娠3か月であることが判明した。しかし、地元警察も派遣された犯罪捜査班も、秘密の恋人を発見できなかった。さらに、特別捜査班が年齢制限を取っ払って、犯人に迫ろうとしたが、決定的な証拠は見出せなかった。
アナンドは捜査期間を5日間と定め、なんの収穫もなければ撤収することに決める。4人は、シュリデヴィが読んでいた小説雑誌の束を詳細に調べ、1通の手紙の封筒を発見。それは当時、ボンベイで働いていたシュリデヴィの友人レカが送ったもの。チームはいまでは村に戻っているレカに会う。シュリデヴィと手紙のやりとりをしていたのは彼女だけだったが、受け取った手紙は転居のあいだに紛失していた。彼女によればシュリデヴィは当時、なぜかヒンディー語を学ぶことに興味を持っていたという。
そして、1通の手紙の封筒という細い糸をたぐるように、「探せよ、さらば見つからん」の手続きが繰り返される。アナンドは当時、特別捜査班を指揮した人物にも会い、彼らも、ほかにチェルヴァリー外部の誰かと手紙のやりとりがあったと推測していたが、捜査はそこで行き詰まった。事件の数日後、郵便配達員が事故で昏睡状態になるという出来事があったが、いまでは行方知れずになっていた。
捜査開始から5日が過ぎようとしたときのある発見は、やはり運というべきか。手紙や郵便配達員が気になるアナンドは、食糧調達を担当するスクマランに3日間の延長を告げ、食費を渡そうと引き出しを開けたとき、そこに保管した封筒の上にたまたま拡大鏡が置いてあったために、あることに気づく。拡大された消印は、手紙がボンベイではなく、ハリヤナ州グルガオンから送られたことを示していた。チームが封筒をレカに見せると、彼女が送ったものではなかった。そんな封筒は使わなかったし、そもそも筆跡が違っていた。だが、誰の筆跡かはわからない。
ここで、筆者が特に印象に残ったエピソードが描かれる。村議会のパンチャーヤト議長は、村に出入りする人々を記録し、ファイルを保管していた。以前、アナンドが1988年のファイルの開示を求めたとき、彼はあっさりと拒絶した。短気な部下セナンが怒りに駆られて手を出しそうになるが、アナンドが制止し、引き下がった。しかし、今回はどうしてもそれを確認する必要がある。期限も迫っている。ところがなんとパンチャーヤトは、そのファイルだけを自宅に持ち帰っていた。
さて、どうするか。思い出されるのは、修道院の盗難事件だ。もうそんな運には頼れない。アナンドは部下たちが見守るなか、夜の闇に紛れてパンチャーヤトの家に侵入する。そこでなにが起こるかというと、これまでずっと耐えに耐えてきたアナンドのため込んだ感情が噴き出し、一瞬の行動に凝縮される。この場面はさすがに溜飲が下がる。アナンドのチームが、ラブリー・マサン事件を教訓にして仕掛けるどんでん返しが本作の最大の見どころではあるが、この場面のトヴィノ・トーマスの演技も忘れ難い。