■主人公が心に深い傷を負う悲劇的なドラマと組織的な犯罪の闇に迫るスリラーを両立させる脚本と演技■
以前、取り上げたマーティン・プラカット監督のインド・マラヤ―ラム語映画『Nayattu』(2021)では、人物の造形や緻密な構成などシャーヒ・カビール(Shahi Kabir)の脚本が際立っていた(「選挙のためなら手段を選ばない政治家に陥れられ、殺人犯として必死の逃亡を余儀なくされる3人の警察官たち――マーティン・プラカット監督のインド映画『Nayattu』」参照)。元警察官という経歴をもつシャーヒにとって、その『Nayattu』は脚本を手がけた2作目になり、彼が脚本家としてデビューを果たしたのが、M・パドマクマール監督のマラヤーラム語映画『Joseph』(2018)だ。
主人公である退職して間もない警察官ジョセフを演じたのは、『Nayattu』にも出演していたジョジュ・ジョージ。彼のHPのプロフィールにもあるように、この『Joseph』の主演によって彼は俳優として大きく飛躍することになった。シャーヒ・カビールが後に語ったところによれば、彼はジョセフ役に大スター、マムーティをキャスティングしたかったのだという。そう思っていただけでなく、マムーティのアシスタントのジョージ・セバスチャンにこの物語を語って聞かせもしたが、短篇にしかならないと却下され、大スターには届かなかったらしい。しかし結果的に、ジョジュ・ジョージとタッグを組むことができ、脚本の自由度が増してよかったとのこと(「Mammootty in ‘Joseph’? Shahi Kabir reveals he had wanted to cast megastar in hit movie | onmanorama.com」参照)。
ちなみに、本作はその後、タミル語版『Visithiran』(2022)、テルグ語版『Sekhar』(2022)、カンナダ語版『Ravi Bopanna』(2022)としてリメイクされ、ヒンディー語版『Soorya』も待期している。
退職したジョセフは優秀な警察官だった。物語はそのジョセフが、一軒家に暮らす老夫婦が殺害された現場に呼び出されるところからはじまる。現場で指揮をとる警部は、現場検証の準備が整っているのに指示を出さない。何も知らない部下は焦れている。そこにスクーターに乗ったジョセフが急ぐ様子もなく現れ、現場を詳細に調べ、関係者に聴取し、飛びぬけた洞察力で犯人を割り出し、事もなげに去っていく。
だが、ひとりで暮らす家に戻ると、別な一面が垣間見える。もうそこにはいない妻やひとり娘の姿が脳裏をよぎり、忘れようとするように酒を浴びる。部屋の隅には酒瓶がたまっている。ジョセフには、退職後も親しい付き合いがつづいている3人の元同僚たちがいる。彼らとドライブするときにはジョセフも明るく振る舞い、救いになっている。そんなある日、いつものようにソファで酔いつぶれていたジョセフは、元同僚にたたき起こされる。別れた妻ステラの現在の夫であるピーターが、何度もジョセフに連絡したが、出ないため、元同僚に連絡がいったのだ。それは、ステラが事故に遭って病院に運ばれ、深刻な状態だという知らせだった。
▼ インド・マラヤ―ラム語映画『Joseph』予告
ジョセフとともに病院に駆けつけた元同僚は、集中治療室の前で動揺し、苦悶の表情を浮かべるジョセフの姿を目の当たりにし、家に戻ってから、それほど愛しているならどうして別れたのかと尋ねる。
ジョセフにはかつて、結婚を考えたリサマという女性がいたが、彼女は裕福な家庭の娘で、父親に反対され、ジョセフは押し切ることができなかった。彼が警察官になるための研修から戻ったとき、リサマは別の男性と結婚していた。その2年後、ジョセフはステラと結婚し、娘も誕生し、幸せに暮らしていた。そんなある日、ジョセフと同僚は検死のためにある家にやってくる。そこには夫婦が暮らし、アルコール依存症の夫がすべてを台無しにしてしまったらしい。家のなかには死後4日以上経過し、腐敗した妻の遺体があり、ジョセフが検死をしているときに、壁の写真からそれがリサマのものであることに気づく。警察には前週に彼女から相談が寄せられ、他の案件とともにジョセフが引き継いでいたが、特殊任務もあり、確認するのが遅れていた。
激しいショックを受けたジョセフは、ステラに事情を説明することもできず、彼女に触れられるだけでもおぞましい記憶がよみがえるため、完全に心を閉ざし、酒に救いを求めるようになった。ステラはやがてそんな生活に耐えられなくなり、家を出て、その2年後にピーターと再婚した。ジョセフは、それから長い時間が経ってからステラにすべてを話し、それを知るピーターもジョセフのことを気遣っていた。
本作の前半部はこのように、フラッシュバックを交えた悲劇的なドラマとして展開するが、半ばで流れが変わる。結局、ステラは脳死と判定され、ピーターはジョセフにも相談したうえで臓器提供を承諾する。ジョセフも反対はしなかったが、それを問われたときにひとり娘を亡くしたときの記憶がよみがえり、かすかな疑念が浮かぶ。そしてステラが事故に遭った現場を元同僚たちと検証した彼は、それが事故ではなく殺人だと確信する。
これが一般的な脚本であれば、後半では、ジョセフが元同僚たちと力を合わせ、組織的な犯罪の闇に迫り、実態を暴き出すことになるだろう。実際、彼らは自力の地道な捜査で、事故に見せかけた巧妙で悪辣な犯罪とその目的を徐々に解き明かし、決定的な証拠を押さえるための計画をたて、実行しようとする。
それだけであれば、物語は前半のジョセフのトラウマをめぐる悲劇的なドラマから、サスペンススリラーへと切り替わることになるが、後から振り返るとシャヒが、後半でもスリラーとジョセフの内面のドラマを両立させていたことに気づく。ジョセフは、元同僚たちが慌てふためくまさかの行動をとるが、それが伏線だったことがわかる。ステラの葬儀あたりから、ドラマにキリスト教の色が濃くなる。ピーターの証言で、生前のステラが朝の礼拝を欠かさなかったことがわかるが、ジョセフも教会に姿を見せるようになる。
そして、スリラーと内面のドラマが予想外の結末を招き寄せ、冒頭のメダルの授与の場面につながる。シャーヒ・カビールの脚本とジョジュ・ジョージの演技が描き出すのは、十字架を背負ってしまった男の贖罪の物語ともいえるだろう。