ラゴスから北へ向かうことで人生が変わる2本のナイジェリア映画、アソーフ・オルセイ監督の『Hakkunde』とトペ・オシン監督の『北へ(原題:Up North)』の比較

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公開当時、ナイジェリア初のクラウドファンディング映画としても注目されたアソーフ・オルセイ(Asurf Oluseyi)監督の長編デビュー作『Hakkunbe』(2017)については、以前の記事ですでに取り上げているが(「仕事がない若者の目を通して見たナイジェリア社会、クラウドファンディングの試みとインディペンデントな精神――アソーフ・オルセイ監督の長編デビュー作『Hakkunde』」)、それと比較したいのが、ナイジェリアを代表する女性監督のひとりであるトペ・オシンの『北へ(原題:Up North)』(2018)だ。

ほぼ同時期に制作されたこの2作品には明確な共通点がある。主人公がラゴスから北へ向かい、人生が大きく変わることになる。『Hakkunde』の場合はカドゥナ州、『北へ』の場合はバウチ州へ。ふたつの州はわずかに州境を接する位置関係にあり、外務省のHPを参照すると、危険度が、ラゴス周辺のレベル2からどちらの州もレベル3に上がる。

2作品の狙いも共通しているといってよいだろう。ノリウッドの中心であるラゴスを離れ、武装集団による襲撃・誘拐や宗教的な対立・紛争など危険なイメージが先行する「北」に目を向け、独自の文化や人々の生活に光をあてる。ただし、2作品の主人公の立場は見事に対照的である。

アソーフ・オルセイ監督の『Hakkunde』の主人公アカンデ(クンレ・イドゥー/通称:フランク・ドンガ)は、動物科学を専攻して大学を出たものの、以来4年間仕事がなく、ラゴスで同居するキャリアウーマンの妹イェワンデ(トイン・エイブラハム)から日々、厳しい言葉を浴びせられている。そんなアカンデは、偶然に出会ったオカダ(バイクタクシー)のライダー、イブラヒム(イブラヒム・ダディ)から、彼の故郷カドゥナ州では牛の飼育に多額の助成金が交付されることを知らされ、イブラヒムとともに牧畜を営む彼の実家を訪ね、牛で一旗揚げようとする。ところがそこには、予想もしない出会いが待ち受け、アカンデの運命を変えていく。

▼ アソーフ・オルセイ監督『Hakkunde』(2017)予告

トペ・オシン監督の『北へ』は、ラゴスに社屋を構えるオディオン建設の御曹司バッシー(バンキー・ウェリントン)が、海外留学を終えて帰国するところからはじまる。バッシーの父親チーフ(カナヨ・O・カナヨ)は、パートナー関係にあるロータス建設とのパイプを揺るぎないものにするために、ロータス建設の社長令嬢とバッシーの縁談話をすすめていた。だが、会社は姉のイダラ(ミシェル・デデ)が継ぐべきと考えるバッシーは、父親に逆らいつづけ、自由奔放に振る舞う。業を煮やした父親は、放蕩息子をNYSC(国家青年奉仕隊)で奉仕するためにバウチ州に送る。

NYSCの期間は1年で、最初の3週間のオリエンテーションでトレーニングなどを行い、その後、それぞれの技能や専門分野などを考慮して配属先が決められる。父親は、そのオリエンテーションで息子の性根を叩き直し、ラゴスに呼び戻すつもりでいた(配属は手を回せばどうにでもなるらしい)。ところが、オリエンテーションでバウチ出身のサディーク(イブラヒム・スレイマン)と親しくなったバッシーは、ラゴスに戻る気などなく、サディークの故郷に行き、ふたりはカフィン・マダキ高等学校という女子校の校長に頼み込んで、そこに体育教師として配属されることになる。

▼ トペ・オシン監督『北へ(原題:Up North)』(2018)予告

2作品の概要がある程度、明確になったところで、その共通点と相違点を順に浮き彫りにしてみたい。

この2作品には、北へ向かうことや、カドゥナ州とバウチ州という舞台以外にも、立て続けに観たとしたら不思議な気持ちになりそうな共通点がある。そのキーワードになるのは、「教師」と「女性」、そして「ラハマ・サダウ」だ。

『Hakkunde』で、カドゥナ州にやってきたアカンデの運命の鍵を握るのは、アイシャ(ラハマ・サダウ)という女性だ。彼女は夫が次々に死亡したことで、コミュニティから魔女と見なされ、疎外されている。盛り場でトラブルに巻き込まれたアカンデは彼女に助けられ、親しくなる。彼女は、助成金が交付されるまでつなぎの仕事をさがすアカンデに、コミュニティスクールの教師の仕事を勧める。地元の子供たちには英語もヨルバ語(アカンデはヨルバ語の名前)もわからないので、アイシャが通訳を務める。

やがて助成金が停止されたことが明らかになったとき、イブラヒムはラゴスに戻るが、アカンデがそこに留まるのは、そんな関係が育まれていたからだ。アカンデは、アイシャと、彼女の幼なじみで魔女騒動で疎遠になっていたビンタ(マリアム・ブース)というふたりの女性の協力を得て、牛糞から肥料をつくるビジネスに乗り出す。

『北へ』で、カフィン・マダキ高等学校の体育教師となったバッシーは、走ることが好きな女生徒を募り、陸上チームをつくって、州が主催する競技大会に挑戦しようとする。生徒たちは英語がわからないので、女性教師マリアム(ラハマ・サダウ)が通訳などサポートをすることになり、次第にバッシーと親しくなっていく。女性監督のトペ・オシンは、走ることに賭ける女生徒や彼女たちを支援するマリアムとイスラム教社会の軋轢を描き出す。

つまり、どちらの主人公も、ラゴスから遠く離れた「北」に留まり、教師として新たな関係を育み、抑圧されている女性たちと協力して道を切り拓く。そして面白いことに、どちらも鍵を握る女性アイシャとマリアムを、ラハマ・サダウが演じている。だから、立て続けに観るとちょっと不思議な気がしそうではある。

では今度は相違点について。ポイントになるのはやはりノリウッドとの距離だろう。『Hakkunde』には、クラウドファンディングで資金を調達したことも含めて、ノリウッドとは一線を画すインディペンデントな精神を感じる。特に印象に残るのが、ラゴスを舞台にした導入部とそれ以後とのコントラストだ。アカンデが同居する妹イェワンデにけちょんけちょんにこき下ろされる場面は、ノリウッドの典型的なドラマが意識されている。本作では、アカンデがラゴスを離れることは、同時にそんなノリウッドから離れることを意味している。アソーフ・オルセイ監督は、カドゥナ州の遊牧民のコミュニティに入り込んで、撮影したらしいが、やはりそういう空気を感じる。

これに対して、『北へ』は、主人公がラゴスを離れても、映画がノリウッドを離れるわけではない。ドラマのなかで、バッシーの姉イダラも、父親チーフもバウチ州にやってくる。優勝がかかる競技会でドラマを盛り上げる展開も、固有の土地からは離れている。バッシーがバウチを離れる前に、マリアムやサディークと景勝地をめぐるエピソードも、観光の視点が入り込んでいる(これがそうだというわけではないが、ノリウッド映画には、スポンサーの意向で場面が観光PR動画のようになることがあるようだ)。

この2作品は、共通点が多いだけにこうして比較してみると、アソーフ・オルセイ監督のインディペンデントなスタンスがより際立つように思う。