公開当時、クラウドファンディングで資金を調達し、制作にこぎつけたことでも注目を集めたアソーフ・オルセイ(Asurf Oluseyi)監督の長編デビュー作『Hakkunde』(2017)は、ノリウッドとは一線を画すインディペンデントな精神を感じさせる作品だ。アソーフがまったく無名であれば、クラウドファンディングも難しかっただろうが、彼は短篇「A Day with Death」(2014)が、2016年のAfrica Magic Viewers Choice Awardsで最優秀短編賞を、短篇「Hell or High Water」(2016)が、2016年のInternatinal Film Awards Berlinで最優秀ナラティブ短篇賞を受賞していた。
『Hakkunde』で主人公アカンデを演じるのは、俳優/コメディアンのクンレ・イドゥー、通称フランク・ドンガ。映画俳優としてはシリアスな役も演じる。これまで取り上げたナイジェリア映画では、ウォルター・テイラー監督のスリラー『Jolly Roger』(2021)で、主人公に復讐されることになる二人組の警察官のひとり、相棒に追随する少し気の弱い警察官を演じていた。そんなイドゥー(ドンガ)にとっては、本作がはじめての主演作になる。
スローモーションで描かれる本作の冒頭は、頭に入れておいてもよいだろう。イドゥー演じるアカンデが懸命に走り、木の棒やボトルやタイヤを持った男たちがそれを追いかける。逃げるアカンデの前方に、オカダ(バイクタクシー)が通りかかり、それに乗ることでなんとか難を逃れる。アカンデになにがあったのかはやがて明らかになるが、そのことが持つ意味は物語の展開によって変わっていく。
アカンデは大学で動物科学を専攻し卒業したが、その後の4年間まったく仕事がない。そのことをプラカードに書いて首から下げ、ラゴスの雑踏で訴えてもまったく相手にされない。彼には恋人がいたが、会うたび食事をおごるのにうんざりし、別れを告げられる。家庭教師の仕事は、結果が出ないので打ち切られる。同居するキャリアウーマンの妹イェワンデ(トイン・エイブラハム)は、プラカードの一件に激怒し、恥も外聞もないアカンデをけちょんけちょんにこき下ろす。居候状態の彼は、妹の下着まで洗濯させられることに閉口している。
そこで先述した冒頭のエピソードが重要になる。アカンデはなぜ男たちに追われていたのか。いつものように就活が空振りに終わり、ストレスを抱えて横丁を歩いているとき、卵の行商に出る準備をする女性にぶつかり、彼女が頭にのせようとした卵を台無しにしてしまう。彼女の怒鳴り声を耳にして、近所から男たちが飛び出してきたため、アカンデは財布を落としたことにも気づかず、走り出したのだった。
オカダに拾われ、追っ手は振り切ったものの、ライダーに料金を請求され、財布を無くしたことに気づいたアカンデは、料金を払えない。そこで、そのライダー、イブラヒム(イブラヒム・ダディ)と同僚たちのたまり場に金を届けることになる。ここまでは、まさに踏んだり蹴ったりのように見える。
ところが、たまり場を訪れたアカンデは、イブラヒムが同僚に助成金の話をしているのを耳にする。イブラヒムの故郷、北部のカドゥナ州では牛の飼育に多額の助成金が交付される。イブラヒムの実家は牧畜を営んでいて、彼はその週末に、新しく生まれた牛に対して交付される助成金を受け取るために帰省するという。帰宅したアカンデは、ネットで畜牛ビジネスについて調べ、自分も加われるように頼み、イブラヒムとともにカドゥナ州北部へと旅立つ。
ここまでの展開はあくまで導入部だが、すでにノリウッドとは一線を画す視点やスタンスを感じる。本作は、ノリウッドの拠点ラゴスを飛び出して、新天地を切り拓こうとする。妹のイェワンデがアカンデを徹底的にこき下ろす場面は、それがシリアスに見えるか喜劇的に見えるかにかかわらず、ノリウッドの典型的なドラマの一場面が意識されていて、その後のドラマと対置されることになる。さらに、イブラヒムの故郷が「北部」とわかったとき、アカンデがすぐに紛争を連想し、不安な表情を浮かべるように、キリスト教徒とイスラム教徒の対立や武装集団による誘拐といった北部のイメージを意識したうえで、それを壊そうとする意図も垣間見える。
ここで「Hakkunde」という原題の意味にも触れておくべきだろう。アカンデはヨルバ語の名前だが、北部生まれのイブラヒムがそう発音しようとすると、どうしてもハクンデになってしまう。それは、カドゥナにやってきたアカンデが言葉の壁にぶつかることも示唆するが、それが新たな関係を築くきっかけにもなる。
カドゥナで、イブラヒムの実家、遊牧民の一家の厄介になることになったアカンデは、イブラヒムに案内された盛り場でさっそくトラブルに巻き込まれる。地元の女性から強引にダンスに誘われ、しぶしぶ踊りだすと、彼女の夫が現れ、ぼこぼこにされる。そんな彼を介抱するのがアイシャ(ラハマ・サダウ)だ。アカンデはカドゥナに到着早々、彼女が男たちにつまはじきにされるのを目にしていた。イブラヒムによれば、アイシャの夫が次々に死亡し、彼女は村の実力者から魔女と宣告され、村八分にされていた。
以前取り上げたナイジェリア系アメリカ人のSF作家ンネディ・オコラフォーの作品には、女性を魔女扱いする差別がさまざまなかたちで盛り込まれている。ラゴスを舞台にした『Lagoon』(2014)では、エイリアンを除いた3人の主人公のひとりである海洋生物学者のアドラが、神父から魔女と宣告され、神父および彼に洗脳された夫から糾弾されることになる。本作にもそんな魔女の問題が盛り込まれている。
さらにもうひとつ、本作には、アイシャをめぐって別の問題にも光をあてている。アイシャは、魔女として疎外されていることが原因で、コデインを使った咳止めシロップに依存している。この薬物乱用については、以前少し触れたナイジェリア出身の女性作家チオマ・オケレケの小説『Water Baby』(2024)にも描かれている。そちらでは、コデイン咳止めシロップは命取りになりかねないが、簡単にハイになれるので乱用が止まらなかったと書かれている。アイシャもそんな危険な状況にある。
助成金が入る週末までなにか仕事がしたいアカンデは、アイシャからコミュニティスクールで教えることを勧められる。教室に集まった子供たちは英語がわからかなかったため、アイシャが通訳を務めることになり、彼女とのあいだに信頼関係が生まれる。ところが、イブラヒムから、予算の配分が変更になって助成金が停止されたことを知らされる。ショックでコミュニティスクールを休んだアカンデは、アイシャから子供たちが集まっていたことを知らされ、心が動く。
ここからの展開もなかなか興味深い。おそらく助成金以外カドゥナに関心がないイブラヒムはすぐにラゴスに戻るが、アカンデはそこに留まり、別の可能性を切り開こうとする。彼にはあるアイディアがあった。導入部で彼が、畜牛ビジネスのことをネットで調べる場面をよく見ていればそれがわかる。彼が見ている記事の見出しには「牛糞のおかげで、農家が再生可能エネルギーを生み出し、収益をあげている」とある。アカンデは、牛糞から肥料をつくって売るビジネスをはじめようとする。
興味深いのは、それに協力するのが、イブラヒムではなく、アイシャと、アカンデが厄介になっている一家の娘ビンタというふたりの女性であること。アイシャとビンタは、魔女騒動が原因で疎遠になっていたが、アカンデが仲直りさせる。その過程で、アイシャの夫たちの死の原因が、遺伝性の鎌状赤血球貧血症であることを知ったアカンデは、コミュニティにはびこる偏見を払拭するために、ビンタとともに尽力し、アイシャのコデインの問題にも対処しようとする。
ラゴスで就活していたときのアカンデは、目標もはっきりせず、なにかを待っているように見えたが、カドゥナではどんなものでも活用し、ビジネスに結びつけようとするように変化する。それは、ナイジェリア系アメリカ人のジャーナリスト、ダヨ・オロパデが『アフリカ 希望の大陸 11億人のエネルギーと創造性』で言及していたアフリカの精神”カンジュ”を思い出させる(詳しくは以下の関連リンク参照)。
《関連リンク》
● 「ナイジェリアの腐敗した警察官を悪夢に引きずり込む導入部は期待させるが、才気走った空回りに陥っていく――ウォルター・テイラー監督のスリラー『Jolly Roger』」
● 「アフロフューチャリズムからアフリカンフューチャリズムへ、ンネディ・オコラフォーの『ビンティ』と『Lagoon』の朗読をヒントに未来のアフリカを想像する|TED Talksより」
● 「ジャーナリスト、ダヨ・オロパデが『アフリカ 希望の大陸』で指摘しているアフリカの精神”カンジュ”とノリウッドの出発点となった映画『Living in Bondage』(1992)について」
● 「マココ、コンピュータ・ビレッジ、ダンフォ、エコ・アトランティックなどから、ナイジェリアのメガシティ、ラゴスの現在と未来を展望する――ベン・ウィルソン著『メトロポリス興亡史』」
● 「ヘイミシュ・マクレイが『2050年の世界』で注目する”アングロ圏”の台頭とナイジェリア人作家のクライファイ(気候変動フィクション)隆盛の予感」
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● 『アフリカ 希望の大陸 11億人のエネルギーと創造性』ダヨ・オロパデ著、松本裕訳(英治出版、2016年)
● 『Lagoon』Nnedi Okorafor (Hodder Paperback, 2015)
● 『Water Baby』Chioma Okereke (Quercus Publishing Plc, 2024)