ラゴスからオヨ州の田舎町に逃亡した娼婦が、手作り下着で巻き起こす意識改革――アデオルワ・オウ監督のナイジェリア映画『Adire』

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アデオルワ・オウ監督の『Adire』(2023)のヒロインは、ラゴスで娼婦として生きるアサリ(ケヒンデ・バンコレ)。彼女は、元締めであるキャプテン(イェミ・ブラク)のお気に入りで、大きな商談がまとまると呼ばれ、顧客の相手をさせられるのにうんざりしている。時間が空けば、ミシンに向かい、自分で下着をデザインし、手作りしている。ある日、キャプテンの隣で目覚めた彼女は、デスクの上の開いたトランクに札束が詰まっているのに気づき、そこから何束かとって布にくるみ、ラゴスを後にする。

本作は、搾取される娼婦が自由を求める物語としてはじまるが、そこには起業、信仰や家族をめぐる問題もユーモラスなかたちで盛り込まれている。アサリがたどり着くのは、ナイジェリア南西部、オヨ州の田舎町で、地元では幽霊屋敷と呼ばれている大きな空き家に落ち着く。

アサリがこれまでの仕事そのままのファッションで地元のバーに姿を現すと、男たちの目が彼女に釘付けになる。アサリは、声をかけてきた男に名前を尋ねられ、とっさにアディレと名乗る(彼女は下着を手作りし、布を扱ってきたので、ヨルバ族の藍染であるアディレからの連想でそのように名乗ったのだろう)。そんなアディレの話題が町に広まり、男たちが店に押し寄せるようになる。

一方、妻たちはアディレを娼婦と考え、警戒する。そして、夫を奪われるのを恐れたシャレワ(イヴォンヌ・ジェゲデ)が、アディレをとっちめるために家に押しかける。ところがアディレは、嫌な顔もせずに彼女を迎え入れたばかりか、手作りのブラジャーをプレゼントする。その下着の効果はてきめんで、夫婦が親密になる。それを知った他の妻たちもアディレの家に押し寄せる。だが、やがてコミュニティに信仰にかかわる対立が生まれる。

▼ アデオルワ・オウ監督『Adire』(2023)予告

アディレが住みついたのは、キリスト教徒のヨルバ族が多く暮らすコミュニティで、特に妻たちは教会に通っている。その教会の牧師ミデ(フェミ・ブランチ)は寛容な人物だが、妻のフォラシャデ(フンロラ・アオフィエビ=ライミ)は厳格な信者で、住人に強い影響力を及ぼし、恐れられてもいる。そんなフォラシャデにとって、アディレの存在は脅威となる。一方、金を奪われたキャプテンは、店の新人たちのひとりが付けているブラジャーに目をとめ、どこで手に入れたのか問い詰めていた。

アディレは、ふたつの対立を乗り越えなければならないが、おそらくより重要なのは、フォラシャデとの対立だろう。アデオルワ・オウ監督のバックグラウンドにはキリスト教があり、本作でもそれを意識しているように思える。

やがて明らかになるが、この町の教会は、もともとフォラシャデの父親のもので、彼女は娘として信仰に傾倒したが、実際に学んだのは、聖書の教義や歴史ばかりで、それを住人たちに押しつけ、縛りつけていた。彼女自身が植民地主義に囚われているともいえる。その影響は、悲劇にも結びつく。アベニ(オニンイェ・オドコロ)という娘は、妊娠したためにフォラシャデによって教会から排除され、体調が悪化して命を落としてしまう。またアディレは、フォラシャデの娘シミ(トミ・オジョ)が妊娠を隠していることを知る。

こうして後半から終盤にかけ、アディレが直面するふたつの対立が複雑に絡まり、予想外の結果を招くことになる。

本作の後半に盛り込まれた婦人会で、信仰をブラジャーと交換していると批判するフォラシャデに対し、妻のひとりが、山に三日こもってもブラジャーと同じことはできないと答えるあたりのやりとりには、信仰のあり方への皮肉が込められている。