このところ、ベン・ウィルソンの『メトロポリス興亡史』を参照してメガシティ、ラゴスの成長を展望したり、ラゴスを舞台にした『Collision Course』や『Lockdown』のような映画を取り上げたりしたときに、毎回、脳裏をよぎっていたのが、だいぶ前に読んだオインカン・ブレイスウェイトのミステリ『マイ・シスター、シリアルキラー』のことだ。その裏表紙からストーリーの概要を引用しておく。
「ナイジェリアの大都市ラゴスに母と妹とともに暮らす看護師コレデ。几帳面な性格の彼女は、妹アヨオラが犯す殺人に悩まされていた。快活で誰からも好かれる美人のアヨオラは、なぜか彼氏を殺してしまうのだ。もうこれで三人目。コレデは妹を守るために犯行の隠蔽を続ける一方で、昏睡状態の患者にひそかに心中を打ち明ける日々を送っていた。しかし、警察の捜査の手が姉妹に迫ってきて……。全英図書賞、アンソニー賞をはじめとしたミステリ賞四冠に輝きブッカー賞候補ともなったユーモアと切なさに満ちたミステリ」
本書は、家父長制や女性問題を炙り出すブレイスウェイトの独自のアプローチや表現も興味深いが、それはまた別記事にまとめることにして、ここでは彼女が舞台となるメガシティ、ラゴスをどう描いているかに注目したい。物語は妹のアヨオラが三人目の殺人を犯し、物語の語り手である姉コレデに助けを求めるところから始まる。コレデは現場に向かい、証拠を消し去り、死体をふたりで自分の車のトランクに運び込み、ある場所に向かう。
「夜のこの時間帯、第三本土連絡橋の車の往来はほぼ途絶える。街灯がないので真っ暗闇なのだが、橋の向こうに目をやると街の灯りが見える。わたしたちは死体をこの前と同じ場所に運んでいき、橋の上から水中へと投げ込んだ。彼がひとりぼっちにならないことだけはたしかだ」
▼ 第三本土橋:ラゴスを象徴するランドマーク
ラゴス島と本土を結ぶ第三本土橋は1978年着工、1990年に完成。全長は11.8kmで、完成当時はアフリカで最長の橋だったという。
ラゴス人はこのランドマークに様々なイメージを持つ。あるいは、フィクションの作り手がそこにラゴスを反映しようとするというべきか。以前の記事で取り上げたボランレ・オーステン=ピーターズ監督の映画『Collision Course』では(「現実の壁にぶつかるミュージシャンと生活苦で迷走する警官の人生が交錯する、”End SARS”運動にインスパイアされた24時間のドラマ、ナイジェリア映画『Collision Course』」)、若いミュージシャン、ミデの恋人が、第三本土橋は単なる連絡橋ではなく、社会階層化のメタファーになっていて、島にはブルジョワが暮らし、橋の反対側の本土に暮らす人々はその成功に憧れ、さらに橋の下にはスラム街に暮らすもっと貧しい人々がいて、橋にはそんな三つの側面がある、というようなことを語る。
▼ ボランレ・オーステン=ピーターズ監督『Collision Course』予告編
『マイ・シスター、シリアルキラー』では、その橋が異なるイメージで描かれる。コレデは、三人目の死体を水中に投げ込んだとき、その男の名前も知らなかったが、そのあとで妹に尋ね、フェミだと知る。そんなコレデは、うだるような暑さのなか、家で過ごしているときに、ふとしたことから、フェミのことを想像する。
「(前略)洗面台に冷たい水を満たして顔を洗い、水面が波打つのをじっと見つめる。死体がぷかぷか漂っていくところを想像してみた。フェミは自分の運命を、第三本土連絡橋の下で朽ちていくことをどう思っているだろうか。
ともあれ、橋は死に縁がないわけではない。
ついこのあいだ、乗客でぎゅうぎゅうの高速輸送バスが橋から水中に落ちていった。生存者はゼロ。のちにバスの運転手たちは、乗り込んでこようとする人に『オサに真っ逆さま! オサに真っ逆さま!』と叫ぶようになった。ラグーンに真っ逆さま! 真っ逆さまにラグーン!」
本作では、このような視点と表現がブレイスウェイト独自のアプローチへと発展していくが、そのことについては別記事で書くことにして、彼女が描くラゴスをさらに掘り下げる。
ベン・ウィルソンの『メトロポリス興亡史』には、ラゴスの渋滞について以下のように綴られていた。「ラゴスでは、毎日の通勤は「ゴー・スロー」と呼ばれる。朝四時からオフィスへ向かう人々は、比較的短い距離でも渋滞に巻き込まれ、カタツムリのようなスピードで三時間もかかってしまう。二〇一〇年、渋滞のために失われた労働時間は年間三〇億時間と推定されたが、一〇年後にはもっと多くなっていることだろう」
それを踏まえて読むとより興味深くなるのが、「渋滞」の見出しが付けられたエピソードだ。それは以下のような文章ではじまる。「わたしは車中でスイッチをいじり、チャンネルを切り替える。ほかにやることがないのだ。この街は交通量に悩まされている。まだ朝の五時十五分だというのに、道路に車がぎっしり並んで身動きがとれない。ブレーキを踏んだり離したりを繰り返して、足が疲れてしまった」
そして、ここでもうひとつ思い出したいのが、先述した映画『Collision Course』のことだ。そこに登場するミュージシャンのミデと警察官のマグナスというふたりの主人公と、本作で渋滞にはまったコレデは似たような状況に追い込まれる。
『Collision Course』の警察官マグナスは、薄給のために頻繁に雨漏りする老朽化した建物に妻子と暮らし、家族を養っていくことができない。妻からは、子供を連れて実家に戻ると脅かされている。そんな彼が収入を増やすための計画は結局うまくいかず(詳しいことは先ほどリンクを貼った記事を参照していただければと思う)、同僚とともに予定にない検問を張って、市民から金をせびっている。そんなところに、ミデが運転し、恋人と彼女の女友達を乗せた車が通りかかる。
ミデとマグナスは、それぞれ直前に激しく落胆するような出来事があり、最悪の気分になっている。生活苦で家族が崩壊しそうなマグナスは、真っ赤なスポーツタイプの車を運転し、若い女性をふたり乗せたミデに反感を抱く。ミデは、平常心であれば仕方なく金を出したかもしれないが、とてもそんな気にはなれない。そこから負のスパイラルが巻き起こる。
一方、渋滞にはまったコレデのエピソードは、その後、以下のような展開を見せる。
「ラジオから顔をあげると、うっかりラゴス州交通管理局(ラスマ)の警官と目を合わせてしまう。渋滞する車列に隠れて次の不運な獲物を待ち構えているところだ。男は頬を吸い寄せ、しかめ面でこちらに歩いてくる。
心臓が床に落っこちてしまうけれど拾いあげる時間はない。ハンドルをぎゅっと握り締め、手の震えを抑えようとする。フェミの件とはなんの関係もないことはわかっている。関係があるはずもない。ラゴスの警察がそこまで有能なわけがないのだ。街の安全を守る任務を負っているというのに、乏しい給料の足しにしようと、大半の時間を一般市民から金を巻きあげることに費やしている。ぜったいにわたしたちのことを嗅ぎつけているはずがない」
コレデはなぜ止められたのか。警官からシートベルトをしていなかったことを指摘され、免許証と登録証の提示を求められる。彼女は絶対に免許証を見せたくない。「そんなことをしたら向こうの言いなりになってしまう」。彼女は平常心ではないだけに、ここからの駆け引きは面白い。
「いつもだったら抵抗していただろう。でもまさかこんな状況で、フェミを永眠の地へと運んだ車を運転しているときに、注意を引くわけにはいかない。ふとトランクに付着したアンモニアの染みが思い浮かぶ」
「ふだんこういう話し方はいないけれど、向こうの言葉遣いに合わせることにした。高学歴の女性はこの手の男の怒りを買いがちだ。そこでわたしは崩れた英語を話すように心がけたのだが、かえって育ちを露呈してしまわないか不安になる」
「自尊心が失われていく。でもどうしろと? つね日ごろなら、盗人猛々しいとでも罵っていただろうけど、アヨオラのせいで慎重にならざるをえない。男は腕組みをして、納得のいかないようすではあるが、話を聞く気はあるみたいだ」
コレデは、あの手この手で男をなだめ、なんとか金で片をつけ、負のスパイラルを免れる。
警察との駆け引きということでいえば、この先、さらなる危機が訪れる。警察が姉妹の家に押しかけ、事情聴取し、コレデの車を押収されてしまうのだ。しかし、その車が返還されるときには、なにか発見されたかどうかとは別の次元で、駆け引きを余儀なくされる。
警察はなんと、コレデの勤務先の病院に車をもってくる。そして「受領書を差し出す。ちぎった紙片にはナンバープレートの番号、返却日、五千ナイラという金額が書かれている」。その金額は、「物流・輸送費用」「署までの運転と署からの運転にかかった費用」だと説明する。自宅であれば、有無を言わせず警官を追い出せただろうが、病院ではすでに職員が聞き耳をたてている。ここで警官を怒らせば、人目を引き、面倒なことになる。彼女は仕方なく金を払い、「汚れて埃まみれ。そのうえ後部座席には食べ物の容器が置いてある」車を受け取る。
というように、本作には腐敗した警察組織に対する風刺なども盛り込まれている。
《参照/引用文献》
● 『マイ・シスター、シリアルキラー』オインカン・ブレイスウェイト、粟飯原文子訳(早川書房、2021年)
● 『メトロポリス興亡史』ベン・ウィルソン、森夏樹訳(青土社、2023年)
《関連リンク》
● 「マココ、コンピュータ・ビレッジ、ダンフォ、エコ・アトランティックなどから、ナイジェリアのメガシティ、ラゴスの現在と未来を展望する――ベン・ウィルソン著『メトロポリス興亡史』」
● 「現実の壁にぶつかるミュージシャンと生活苦で迷走する警官の人生が交錯する、”End SARS”運動にインスパイアされた24時間のドラマ、ナイジェリア映画『Collision Course』」
● 「メガシティ、ラゴスでそれぞれに異なる世界を生きる人々が、悪いときに悪い場所に居合わせてしまう――モーゼス・インワン監督のナイジェリア映画『Lockdown』」
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● 『マイ・シスター、シリアルキラー』オインカン・ブレイスウェイト、粟飯原文子訳(早川書房、2021年)
● 『メトロポリス興亡史』ベン・ウィルソン、森夏樹訳(青土社、2023年)