深夜の乳児誘拐事件、そこに暮らすのに相応しい人間になろうとする呪縛が悲劇を招き寄せるサバーバン・ノワール――シャリ・ラペナ著『The Couple Next Door』

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カナダの作家シャリ・ラペナ(Shari Lapena)については、以前の記事「“ドメスティック・ノワール”というより”サバーバン・ノワール”と呼ぶのが相応しい舞台と男女の関係――ダーシー・ベル著『ささやかな頼み』」や「サバービアを取り巻く外部の喪失と内なる異国――『イーディスの日記』『少年は残酷な弓を射る』『ゴーン・ガール』というドメスティック・ノワールの系譜に注目する」で、”サバーバン・ノワール”の代表のように名前を挙げておきながら、まだ一冊も紹介していなかった。

シャリ・ラペナは1960年生まれ。作家になる前は、弁護士や教師として活動していた。『Things Go Flying』(2008)と『Happiness Economics』(2011)という二作の文芸作品を発表したあと、ミステリ/スリラーへと移行し、最初に発表した『The Couple Next Door』(2016)がベストセラーとなり、以後、年一作のペースで(主に)サバーバン・ノワールのヒット作を生みだしている。今回取りあげるのは、そのミステリ作家としてのデビュー作『The Couple Next Door』。

『The Couple Next Door』シャリ・ラペナ

『The Couple Next Door』シャリ・ラペナ著

マルコとアンのコンティ夫妻は、生後6か月の娘コーラと、ニューヨーク州北部にあるアッパーミドル向けの閑静な住宅地に暮らしている。物語は、彼らの友人であるグラハムとシンシアのスティルウェル夫妻が住む隣家で、ふた組の夫婦がグラハムの誕生日を祝う内輪のパーティの場面からはじまる。

ところがアンの気持ちは和むどころか、極度に張りつめている。彼女は産後うつに苦しんでいた。しかもこの日は土壇場になってベビーシッターがキャンセルになった。隣家は子どもをつくらない方針で、大人の時間を過ごすのが前提なので、コーラもいっしょに、というわけにはいかない。アンは気が進まなかったが、マルコに説得され、ベビーモニターを持参し、30分ごとに彼らが交互に様子を見にいくことで妥協した。そんなアンは不安を紛らわすために飲み過ぎてしまい、マルコはセクシーなシンシアに誘惑され、醜態をさらしていた。そして午前1時を回ったころに夫婦が帰宅すると、玄関のドアが少し開いていて、ベビーベッドにコーラの姿はなかった。

事件の通報を受け、ラスバック刑事率いるチームが捜査を開始する。アンから連絡を受けた彼女の母親アリスと継父リチャードが駆けつける。アリスは富豪で、リチャードも会社の経営者だった。現場検証や周辺での聞き込みを行ない、マルコとアン、ベビーシッターなどの関係者の背景を調べたラスバックは、まずアンに、それからマルコに疑いの目を向ける。事件から2日後、誘拐犯がコーラのものと思われるロンパースを送りつけ、500万ドルを要求する。アリスとリチャードは、警察に知らせずに現金を用意し、マルコがそれを指定された場所に運ぶが、彼は背後から襲われて現金を奪われ、コーラは戻らなかった。

シャリ・ラペナの作品は、筆者がサバーバン・ノワールと呼ぶように、サバービア(郊外住宅地)を舞台にしている。そこに暮らす登場人物たちは、幸福に暮らしているように見えるが、いろいろ秘密を抱えている。ラスバックがマルコとアンを疑うのは、彼らの秘密が見えてくるからだ。

マルコは、自ら起ち上げたソフトウェア開発会社の事業を拡大しようとしたことが原因で、資金繰りに行き詰まっている。そんな経営方針は、家庭における彼の立場とも無関係ではない。マルコの両親はイタリアからの移民で、クリーニング店を営み、アンと出会ったとき彼はバーテンダーのバイトをしていた。アンの両親は、そんなマルコと娘の結婚を喜ばなかったし、結婚後もまともに目を合わせようとすらしない。マルコが豪華な邸宅に住んでいるのもアンの母親のおかげであり、彼はずっと肩身の狭い思いをしていた。

アンは4歳のときのあるショッキングな体験がトラウマになり、解離性障害を患っている。過去に、別人のようになって暴力をふるったり、記憶を飛ばしたりしたことがある。そんなアンは、ラスバックに疑われるだけでなく、本人も自分を疑い、パラノイアではないかと思うことがあり、不安に苛まれている。

もし本作が、そんなふたりに焦点を絞り、それぞれの内面を掘り下げ、負のスパイラルに発展していけば、これはドメスティック・ノワールになるだろう。しかし、マルコへの包囲網が狭まるのは終盤ではなく中盤であり、後半では別な局面が切り拓かれ、その先にどんでん返しがある。すべてに当てはまるわけではないが、ドメスティック・ノワールでは謎解きは必ずしも重要ではないのに対し、サバーバン・ノワールでは、人物相関図を塗り替えるようなミスリードや謎解き、どんでん返しが必要になる。だから本書をギリアン・フリンの『ゴーン・ガール』のようなドメスティック・ノワールだと思うと、その期待は裏切られる。

シャリ・ラペナのサバーバン・ノワールで特に興味を覚えるのは、2016年というデビュー作が登場した時期だ。『ゴーン・ガール』(2012)、ルイーズ・ダウティの『Apple Tree Yard』(2013)、リアーン・モリアーティの『ささやかで大きな嘘』(2014)、ポーラ・ホーキンズの『ガール・オン・ザ・トレイン』(2015)といったドメスティック・ノワールの代表作が出揃い、大きなブームになっているタイミングで登場したことになる。

そこで比較してみたいのが、サバービアを取り巻く外部の世界に対する視点だ。ドメスティック・ノワールの作品は、さまざまなかたちで外部の喪失を示唆してきた。そのことについては以前の記事でも書いているので、ここでは比較の対象として、『ガール・オン・ザ・トレイン』にだけ注目する。そこに登場する3人の女性のうちのひとり、メガンと本作のアンには、設定に共通点がある。

メガンもアンも、サバービアでの結婚生活に移行する前に、画廊を経営するか、あるいはキュレーターとして働いていた。それをやめたことが、現在の空虚感につながっている。そんな設定だけなら似た立場のようだが、実はぜんぜん違う。

メガンにとって画廊の件は氷山の一角のようなもので、心に空洞が広がるきっかけはさらに過去へとさかのぼる。彼女には兄と世界を旅する計画があったが、兄が亡くなり実現しなかった。そのあとにも人には話せない悲劇があった。そんな彼女は、外部の喪失を引きずりながら、画一的な生活のなかで精神的に追い詰められ、抜け出すための行動が空回りして、泥沼にはまっていく。

これに対してラペナは、登場人物とサバービアと外部の関係をまったく異なる視点でとらえる。アンも他の登場人物も、そもそも外部を意識することがない。アンは、そこから抜け出すのではなく、そこで暮らすのに相応しい人間になることに呪縛され、不安で押し潰されそうになっている。画廊の仕事も、折を見て復帰できればと思うだけで、その延長に外部を意識するわけではない。

ラペナが紡ぎだす物語においては、サバービアが世界であって、外部はそれと対置されるものではなく、装飾ほどの意味しか持たない。それは、ドメスティック・ノワールが示唆する外部の喪失とは違った意味で、内向きの社会を象徴している。彼女のサバーバン・ノワールは欧米で人気があるが、そんなサバービアが事件や秘密の露呈によって内部から揺らいでいく光景は確かにスリリングかもしれない。

《参照/引用文献》
● 『The Couple Next Door』Shari Lapena (Penguin Books, 2016)
● 『ガール・オン・ザ・トレイン(上)』『ガール・オン・ザ・トレイン(下)』ポーラ・ホーキンズ 池田真紀子訳(講談社文庫、2015年)




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● 『The Couple Next Door』Shari Lapena (Penguin Books, 2016)
● 『ガール・オン・ザ・トレイン(上)』『ガール・オン・ザ・トレイン(下)』ポーラ・ホーキンズ 池田真紀子訳(講談社文庫、2015年)