[読みたい本についてのメモ] 昨年(2025)新設されたクライメート・フィクション賞(The Climate Fiction Prize)の今年の候補10作品(ロングリスト)が発表され、そこに入っていたので関心をもった。
著者のロビー・アーノット(Robbie Arnott)は、1989年、オーストラリア・タスマニア州北部ローンセストン生まれ。『Flames』(2018)で長編デビューし、2作目『The Rain Heron』(2020)、3作目『Limberlost』(2022)を経て、今回候補になった『Dusk』(2024)が4作目になる。現在はタスマニアのホバート在住。
『Dusk』の主な舞台はタスマニアの高地。時代は明確にされていないが、サンプルを読んだ印象では19世紀後半あたりではないかと思う。高地では、野生のシカを駆除するためにピューマが導入されたが、ピューマはシカよりも容易に狩れる家畜の羊を標的にするようになった。そこで羊飼いや雇われたハンターがピューマを駆除していったが、一頭が生き残り、”ダスク”と呼ばれている。ダスクには懸賞金がかけられたが、名乗りをあげた賞金稼ぎはこの危険なピューマの餌食になっていた。
本作の主人公は、低地に暮らす37歳の双子の男女、アイリスとフロイド・レンショー。ふたりには、金も仕事もなく、仲間もいない。ダスクの懸賞金の噂を耳にした彼らは、高地に行ったことも、ピューマを見たこともなかったが、背に腹は代えられず高地へと向かい、ダスクを追うことになる。だが、仲間の追跡者との不安定な同盟を強いられ、双子の絆は危険にさらされる。そして3人が獲物に迫るにつれ、真の危険がどこに潜んでいるかが明らかになる……。
本書のサンプルでは、低地で孤立した厳しい生活を送るアイリスとフロイドが、ピューマの懸賞金の噂を耳にしてから、馬に乗って高地に向かい、荒涼とした山岳地帯を進み、湖のほとりにある酒場にたどり着き、そこに一泊しようとするところまでが描かれる。彼らはその時点では賞金稼ぎのようなものだし、酒場の前に馬をつないで手早く世話をし、宿をとり、ピート・ワインなる自家製酒を一杯やるあたりには、西部劇の雰囲気が漂っている。「The Guardian」のレビュアーは、そぎ落とされた文体がときにコーマック・マッカーシーを想起させるというようなことを書いていたが、同感である。自然や内面の描写など、乾いていて簡潔ながら想像をかきたてる。あと、自然と人間の関わりなど、同じオーストラリアの作家で、取りあげる予定ながらまだぜんぜん記事にしていないシャーロット・マコノギーの世界に通じるところもあるように思う。
高地を訪れたこともなく、ピューマを見たこともない主人公たちが、賞金のためとはいえ、いきなり危険なピューマを追うというのはどうなのかと思う人もいるだろうが、この冒頭の部分だけでも、彼らならと感じさせるところがある。宿をとったフロイドは、すぐに階段をのぼり部屋に向かうが、アイリスはひとりで酒場に向かい、ピート・ワインを飲みながら、そばにいた男と言葉を交わす。双子の女性のほうが行動的というのも気になるが、男から「ここははじめてか?」と尋ねられたときに、彼女の胸のうちにこれまで渡り歩いてきた場所の記憶が去来する描写が印象深い。要約すると以下のような感じだ。
悪臭を放ち、残酷で無差別の暴力に満ちた海岸部のアザラシの漁場や、厚い樹冠が光をさえぎる森林にあり、おがくずが湿った空気と混ざって喉が詰まるザリガニ工場、ハンマーで仔牛を屠殺した南の谷の酪農場、網を投げ込んで飛び跳ねる魚の群れを捕獲した東の広大な河口部、槍で黒鳥を狩ったラグーンや湿地帯、砂岩の採石場などなど。双子はそんなふうに各地を渡り歩き、過酷な環境で働き、食いつないできたのだ。
さらにアーノットの以下のインタビューも参考になる。
このインタビューで最も重要なのは、動物と主人公の背景に関するアーノットの視点だろう。動物については、本来属していた国から別の国に運ばれ、野生化した動物に注目している。本作に登場するピューマのエピソードは必ずしも事実に基づいているわけではなく、アーノットが考え出したものだが、オーストラリアにはそういう話が実際にけっこうある。筆者もブログで、ウイルスにからむウサギの例を取りあげたことがある(「AIDSは敵か味方か 「ウイルスと宿主は共生する」という進化論パラダイム――フランク・ライアン著『破壊する創造者 ウイルスがヒトを進化させた』」参照)。その記事から、ウサギの例だけを抜きだすと、以下のようになる。
「オーストラリアのウサギは元々、ヨーロッパ人が持ち込んで飼っていたものだが、一部が野生化し、大繁殖し、農作物を荒らし始めた。そこでウサギを退治するために持ち込まれたのが、これまでそのウサギたちが出合ったことがない粘液腫症のウイルスで、急激に感染が広がり、全体の99.8%が死んだ。だがその後、ウイルスに耐えて生き残ったウサギが急速に繁殖し、以前と変わらない数に戻った。生き残ったウサギの身体にはウイルスが残っていた」
そして、アーノットがピューマを通して掘り下げる動物と、主人公たちの背景は無関係ではない。アーノットは、主人公たちの両親が元囚人の盗賊で、子どもを育てながら数々の悪行を重ねた挙句に亡くなり、主人公たちはそんな生い立ちのせいで社会から追放されていると説明している。タスマニアに最初に植民したのは流刑囚で、そのための植民地がつくられた。主人公たちの両親は、そこから逃亡し、盗賊になったのだろう。そうした背景は、ピューマや異国から運ばれてきた動物に重ねることができる。そう考えると、アーノットの視点が非常に興味深く思えてくる。
さらに、彼の執筆のプロセスにも注目しておいたほうがよさそうだ。アーノットにとって小説の出発点として最も重要なのは、場所や風景だという。まずなによりも、場所にこだわり、それを掘り下げていくことで、そこに登場人物が浮かび上がり、物語になっていくという。テーマやメッセージについてはまったく考えていない。テーマやメッセージにしたがって構築したものは、講義や意見記事にすぎず、小説とはいえない。本作からは、コロニアリズム、先住民の扱い、植民地化された土地における囚人のような人々の扱い、森林伐採、動物の扱いといったテーマが見えてくるが、それは意図的なものではなく、心に響くものを書こうとした結果ということだ。
最後に、ほかに印象に残ったコメントをいくつか。アーノット自身も本作を西部劇に近いと語っている。小説のなかに出てくる「ピート・ワイン」という自家製酒は、彼が考えついたもので、実際にあるものではないという。アーノットは、ノンフィクションは得意ではなく、短編小説を書かないのも、下手だからだそうだ。意見記事も書かないし、ワークショップで教えることもない。できることは小説を書くことだけで、それに専念しているということだ。そこまで割り切れている作家というのも珍しいのではないか。いずれにしても彼が書く文章は素晴らしいと思う。他に読みたいものがたまっているので、少し時間がかかると思うが、読んだら記事にしたい。
《参照/引用文献》
● 『Dusk』Robbie Arnott [Kindle Edition] (Astra House, 2025)
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