夫は凶悪な立てこもり犯だったのか? 7年後も彼を想いつづける妻が事件の真相に迫るドメスティック・ノワール――ジリアン・マカリスター著『Famous Last Words』

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ジリアン・マカリスターは、英国バーミンガム出身。弁護士として働きながら小説を書き、2017年に『Everything But The Truth』でデビューした。彼女の作品は前の前の記事で、7作目の『ロング・プレイス、ロング・タイム』を取りあげている。今回取りあげるのは、2025年発表の『Famous Last Words』。いまのところ最新作だが、今年(2026年)の4月に本作につづく最新作『Caller Unknown』が刊行される予定。

本作では、ふたりの主人公の視点を入れ替えながら物語が進んでいく。

『Famous Last Words』ジリアン・マカリスター著

『Famous Last Words』ジリアン・マカリスター著

主人公のひとりはカミラ(カム)・デシャン。著作権エージェントとして働くカムは、ゴーストライターの夫ルークと生後9か月の娘ポリーとロンドンで暮らしている。物語はそんな彼女の人生が、予想もしない事件で大きく変わる日からはじまる。その日は、ポリーの保育園の初日で、産休を終えた彼女が仕事に復帰する日でもあった。ルークは朝から謎めいたメモを残してどこかに出かけていた。カムはポリーを保育園に送り届け、久しぶりに同僚たちに迎えられる。

だがその後もルークから返信がないことを不自然に思った彼女は、彼が早朝の5:10以降メッセージをチェックしていないことに気づく。テレビのニュースは、ルークの仕事場があるバーモンジーの倉庫で、男が3人を人質に立てこもる事件が発生していることを伝えていた。それから間もなくふたりの警察官がカムを訪ねてきて、立てこもり事件の話をはじめ、彼女を凍りつかせる。なんと人質ではなく、立てこもり犯がルークだというのだ。警察官が差し出したスマホの映像では、頭に袋をかぶって椅子に座る人質の前を、銃をもった男が歩き回わっていたが、その男は間違いなくルークだった。

そしてもうひとりの主人公は、ロンドン警察の交渉人ナイル・トンプソン。交渉人としての手腕を発揮する機会にめぐまれずフラストレーションを抱えていた彼は、立てこもり事件に色めき立つ。だが、倉庫に急行した彼は、難しい舵取りを迫られる。現場の責任者メイドストーンは強硬策を主張していた。人質のうちのふたりの身元は不明だったが、残りのひとりイザベラは倉庫の所有者で、警察官ジョージ・ルイスの妻だった。わずかだがルークと扉を隔てて接触したナイルは、彼がなにかをためらっていると感じ、できるだけ時間を稼ぎ、妻のカムと話をさせる手はずを整えていた。

だがそのとき、妻が人質になったことを知って現場に駆けつけた興奮状態のジョージが、突入して殺すと騒ぎ出し、同僚に取り押さえられる。すると倉庫の扉が静かに開き、袋をかぶったままのイザベルが解放された。それからしばらくして、倉庫のなかで2発の銃声が鳴り響いた。倉庫に突入した警官たちは、ふたりの人質の遺体を発見したが、そこにルークの姿はなかった。現場は殺人事件の捜査に切り替わり、もはや交渉人の出る幕はなかった。

『ロング・プレイス、ロング・タイム』ジリアン・マカリスター

『ロング・プレイス、ロング・タイム』ジリアン・マカリスター著

『ロング・プレイス、ロング・タイム』は、主人公のジェンが深夜に、愛する18歳の息子が見知らぬ男をナイフで刺し殺すのを目の当たりにするところからはじまった。本作は、主人公カムの愛する夫ルークが、あろうことか立てこもり事件を起こし、人質を殺害して逃走するところからはじまる。共通点は、そんな衝撃的な導入部だけではない。

ジェンはその後、タイムリープによって過去へとさかのぼっていく。もしタイムリープが起こらなければ、警察の捜査によって、刺殺された男の身元が特定され、ジェンの息子との関係が調べられ、彼女が知らないところでなにが起こっていたのかが明らかにされることになる。要するにタイムリープは、ジェン自身が「最も身近な人間を本当の意味で知ること」を可能にする。本作ではもちろん、立てこもり事件後に、カムにタイムリープなど起こったりはしない。ということは、警察がルークになにが起こっていたのかを明らかにするはずだが、著者マカリスターは、実に巧みな設定と構成によって、同じような効果を生み出している。

本作の物語は3部で構成され、1部で事件が描かれたあと、2部では事件の7年後に切り替わる。だが事件の捜査はまったく進展していない。現場から逃走したルークは行方不明のままだ。殺害されたふたりの人質のDNAはデータベースに合致せず、彼らの歯型も歯科医の記録と合致しなかった。解放されたイザベラは倉庫の所有者で、その場で人質にされただけなので、手がかりにならなかった。だから本作でも、主人公カムが「最も身近な人間を本当の意味で知ること」が可能になるのだ。それゆえマカリスターの作品は、ドメスティック・ノワールとして異彩を放っているともいえる。

事件から7年後、カムは、仕事や娘の将来を考え、フレッチャーという旧姓を名乗って著作権エージェントをつづけている。そして、フリーランスのリサーチ・アシスタントであるチャーリーと出会い、交際している。彼女は過去の自分を封印し、ルークが絶対に頼まないようなカクテルや料理をオーダーし、社交的に振る舞おうとしている。しかし、どんなに盛り上がっていても、席を外して化粧室でひとりになり、髪型などを見ると、これは自分ではないと思う。いまでは失踪宣告による死亡認定も認められるし、家を売って転居することもできる。7年間、そのときを待っていたはずだが、心のなかでは彼が生きていると信じている。実際にはなにも変わっていない。

そんなカムは、彼女に送られてきた謎のメッセージが気になる。スパムメールには見えない。一方では、仕事の関係者から、ルークが事件前にある葬儀に参列していたことを知り、それを調べると、彼が、ふたりのティーンエイジャーが殺害された未解決事件に関わっていた可能性が浮上する。さらに、カムが担当している作家のひとりであるアダムが送ってきた新作の内容に、奇妙な既視感を覚える。

一方、ナイルは、立てこもり事件のあと、交渉人をやめて普通の警察官になっている。立てこもり事件があった日、彼が帰宅すると、妻のヴィヴィアンは置手紙を残して家を出ていた。その日は彼女の誕生日だった。彼はこの2年ほど、必ず2発の銃声で終わる奇妙な夢を見るようになり、上司の指示でセラピストのもとに通っている。立てこもり事件を引きずる彼は、独自にルークの行方を追い、同僚の協力を得てカムに送られてくるメッセージをチェックしていた。また、ルークのスマホに画像があった家に住む男ホリーを徹底的に調べ、ダークウェブで重要な手がかりを見つけ出す。

この2部とそれにつづく3部はどちらも7年後の物語だが、その境界で流れが大きく変わる。2部では、カムとナイルがそれぞれに手がかりを追っていく。ナイルにとっては、カムも監視の対象になっている。しかし、立てこもり事件で起こっていたことが、ナイルの想像とはまったく違う可能性が浮上し、カムが別の何者かにも監視されていることがわかったとき、カムとナイルは情報を共有して真相究明に乗り出すことになる。そこではカムが重要な役割を果たす。カムとルークは夫婦であるだけでなく、著作権エージェントと彼女が担当するゴーストライターでもあり、ふたりは言葉を介して深く結びついているからだ。

《参照/引用文献》
● 『Famous Last Words』Gillian McAllister (William Morrow Paperbacks, 2025)
● 『ロング・プレイス、ロング・タイム』ジリアン・マカリスター 梅津かおり訳(小学館文庫、2024年)




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● 『Famous Last Words』Gillian McAllister (William Morrow Paperbacks, 2025)
● 『ロング・プレイス、ロング・タイム』ジリアン・マカリスター 梅津かおり訳(小学館文庫、2024年)