証人保護プログラムによって引き裂かれた家族と口封じをもくろむ凶悪集団の暗闘――ジリアン・マカリスター著『How to Disappear』

スポンサーリンク

ジリアン・マカリスターの作品は、以前の記事で7作目の『ロング・プレイス、ロング・タイム』(2022)と9作目の『Famous Last Words』(2025)を取りあげている。今回取りあげるのは、それらより前の作品、2020年に発表された5作目の『How to Disappear』だ。マカリスターは、英国バーミンガム出身。弁護士として働きながら小説を書き、2017年に『Everything But The Truth』でデビューした。筆者は彼女の作品をドメスティック・ノワールと位置づけているが、そのことについては後述したい。

マカリスターの作品では、おおむね平穏に暮らしていた主人公と家族が、突然、予想だにしない深刻なトラブルに見舞われ、窮地に立たされる。『ロング・プレイス、ロング・タイム』では、深夜に息子の帰りを待っていた弁護士の母親ジェンが、自宅の前で息子が見知らぬ男を刺殺するのを目の当たりにする。『Famous Last Words』では、著作権エージェントのカミラ(カム)が、産休を終えて仕事に復帰した日に、ゴーストライターの夫が3人の男女を人質にして倉庫に立てこもる事件に直面する。

『How to Disappear』ジリアン・マカリスター

『How to Disappear』ジリアン・マカリスター著

本作『How to Disappear』も例外ではないが、本作の場合は、深刻なトラブルが一瞬の衝撃ではなく、いささか複雑なプロセスをたどる。すべての発端になるのは、ロンドン北部イズリントンで、母親のローレンと継父のエイダンと暮らす14歳の少女ザラが殺人を目撃したことだ。それはザラが下校しようとしたときのこと、薄暗くなった運動場をひとりで歩いていた彼女は、叫び声に気づき、そばの野外ホールでホームレスのジェイミーが、ティーンエイジャーのサッカー選手ルークとマルに殺害されるのを物陰から目撃した。そのことが彼女の人生を大きく変えるだけでなく、やがて彼女の両親の人生も激変させることになるのだ。

事件から1年2か月後、ザラは検察側の証人”少女A”として、黒いカーテンで囲まれた証言台に立つ。ところが、弁護側の反対尋問で証言の矛盾点が追及され、彼女は証言を変えざるをえなくなる。ホームレスのジェイミーは無抵抗のまま殺害されたのではなく、ジェイミーのほうが先にサッカー選手に向かっていった。ザラは嘘をついたことを認める。なぜそんなことをしたのか。混乱したまま証言台から退いた彼女は、検察側のソリシタ(事務弁護士)ハリーに、警察による誘導があったことは認めるが、それだけではなかった。地元の慈善団体のボランティアとして活動してきた彼女は、ホームレスのコミュニティと深く関わり、殺されたジェイミーのこともよく知っていて、ハリーには後悔しているといったものの、内心では自分は間違っていないと考えていた。

しかし、ザラが嘘を認めたことで、激しい批判が巻き起こる。ルークの父親はマスコミに、息子のキャリアが奪われたと語った。ネットで最初に起こったのは、ガールAの嘘に翻弄されたルークを救うための募金キャンペーンだったが、それがすぐに過激化し、少女Aの正体を突きとめて罰を下すためのキャンペーンにエスカレートする。

ザラの家族のなかで、このネットの異変に最初に気づいたのは、継父のエイダンだった。彼は妻のローレンから、ザラがホームレスの人々と話をし、ジェイミーの友人たちに謝るためにひとりで外出したと知らされ、胸騒ぎをおぼえる。ローレンは、誰も少女Aの素性を知らないと安心していたが、実際にはそうではなかった。ホームレスやボランティアと別れ、ひとりで家に向かっていたザラの脇に車が近づき、目出し帽をかぶった男が、「こいつだ、こいつだ」といってザラの腕をつかみ、車に引きずり込もうとする。通行人が見て見ぬふりをしたため、彼女は連れ去られかけるが、そばのカフェのスタッフに救われる。

そこでザラの一家が住む家を警察官が警護することになったが、一週間後、一家が映画を観て戻ると、裏庭に男が立っていて、笑みを浮かべながらナイフで威嚇してから、塀を跳び越えて姿を消した。警察は男とその背後のグループを特定できなかった。そして警察から一家に「オズマン警告」が伝えられる。それは、警察がザラと一家に命の危険が迫っていることを認識しているものの、現状ではそれを立証することが極めて困難であることを意味していた。

その警告を踏まえ警察が提案したのが証人保護プログラムだった。このままではザラは学校にも通えなくなる。警護にも限界があり、一家は怯えながら眠れぬ夜を過ごさなければならない。娘のザラを守らなければならないローレンは、悩みに悩んだ末に提案を受け入れる。一方、ザラの継父エイダンの立場はさらに複雑だ。彼には前妻ナタリーとのあいだに生まれた娘ポピーがいて、離婚後も親密な関係がつづいていた。しかも、ナタリーが離婚後に多発性硬化症を発症し、ポピーがそんな母親の面倒をみているため、エイダンは彼女たちのことを気にかけていた。まさに身を引き裂かれるような二者択一を迫られたエイダンは、残る決断をする。

ローレンとザラは、証人保護プログラムによって、提供された住居に移り、別人として生きることになる。母子が担当者に案内されたのは、北西部の湖水地方、ニコストンにあるテラスハウスだった。そこでローレンはリンジー、ザラはシエナという名前を与えられ、新たな生活をはじめる。証人保護プログラムがつづくかぎり、エイダンに連絡をとることもできない。

一方、ローレンやザラと引き離され、ロンドンに残ったエイダンは、そのまま手をこまねいているつもりはない。彼はジェームズ・トマスという偽名を名乗り、小さなアパートを借り、ネットで少女Aを標的にするグループに接近し、彼らがどうやって少女Aの素性を突きとめたのか、これからなにをしようとしているのかを探ろうとする。彼は変装してグループの集会にも参加する。その結果、ホームレス殺人事件はもっと根が深く、ホームレスのコミュニティと関わっていたザラは、本人が自覚している以上に重要な事実を知っていることがわかった。だから彼らは、姿を消したザラの居場所を突きとめ、口を封じようとしているのだ。危機感をおぼえたエイダンは、偽の情報を流してなんとかローレンとザラを守ろうとする。

その後も、引き裂かれた家族たちのあいだで、あるいは家族と凶悪なグループのあいだで、さまざまな駆け引きが繰り広げられる。エイダンは、ローレンが旅立つ前に彼女のバッグにひそかに使い捨て携帯を紛れ込ませていた。エイダンの娘ポピーは、父親の行動を不審に思い、調べはじめる。そんなポピーにも、見知らぬ男が付きまとうようになる。

以前取り上げた『ロング・プレイス、ロング・タイム』、『Famous Last Words』と本作を並べてみると、主人公や家族が窮地に陥る状況はまったく違っているにもかかわらず、マカリスターが共通する物語を掘り下げていることがわかる。予想だにしない深刻なトラブルによって家族は崩壊の危機に瀕する。ほとんど崩壊したといっても過言ではない。その困難な状況で、家族同士は意思の疎通をはかることができないため、葛藤しながら独自の判断で真相に迫り、トラブルを解消しようとする。その結果として、作品によってその次元は違うが、家族が単に元に戻るのではなく、揺るぎない関係へと生まれ変わるのだ。

ドメスティック・ノワールといえば、家庭における青ひげ的な図式をめぐる男女のせめぎ合いが大きな特徴になっているが、マカリスターは家族と犯罪からまったく違う物語をつむぎだす。崩壊の危機に瀕した家族が、試練を経て生まれ変わる。つまり彼女は強く意識して家族のイニシエーションを繰り返し描いている。それはドメスティック・ノワールが可能にする新たな方向性といってもよいだろう。

ちなみに、マカリスターは本作を執筆するにあたって、証人保護プログラムについて担当機関に取材しようとして叶わなかったらしい。だからその部分はほとんど推測で描かれているが、ここまで書いてきた彼女の狙いにブレがなければなんの問題もない。だからこそ彼女は、『ロング・プレイス、ロング・タイム』でタイムリープという要素を盛り込むという大胆な試みにも挑戦できたのだ。

《参照/引用文献》
● 『How to Disappear』Gillian McAllister [Kindle edition] (Penguin, 2020)
● 『Famous Last Words』Gillian McAllister (William Morrow Paperbacks, 2025)
● 『ロング・プレイス、ロング・タイム』ジリアン・マカリスター 梅津かおり訳(小学館文庫、2024年)




[amazon.co.jpへ]
● 『How to Disappear』Gillian McAllister [Kindle edition] (Penguin, 2020)
● 『Famous Last Words』Gillian McAllister (William Morrow Paperbacks, 2025)
● 『ロング・プレイス、ロング・タイム』ジリアン・マカリスター 梅津かおり訳(小学館文庫、2024年)