人新世を象徴するミシシッピ川、自然をコントロールしようとする企てについての3つの考察 その2――エリザベス・ラッシュ著『海がやってくる』

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生態学者ロブ・ダンの『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』、ノンフィクション作家/写真家エリザベス・ラッシュの『海がやってくる 気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』、ジャーナリスト、エリザベス・コルバートの『世界から青空がなくなる日 自然を操作するテクノロジーと人新世の未来』は、それぞれに、人類が生態系や気候に大きな影響を及ぼすようになった人新世という時代、あるいは人間が自然をコントロールしようとする企てと深く関わる題材を扱っている。

この3冊を並べてみて興味深いのは、それぞれの著者の視点が”ミシシッピ川”に集約される部分があるということだ。3人の著者は、アメリカを南北に貫き、メキシコ湾に注ぐ長さ3780キロメートルの大河の過去・現在・未来を通して、自然と人間の関係を独自の視点で掘り下げている。それを比較してみたい。

『海がやってくる』エリザベス・ラッシュ

● 『海がやってくる 気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』エリザベス・ラッシュ著

「その2」で取り上げるエリザベス・ラッシュの『海がやってくる 気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』は、すでに「『海がやってくる』の著者エリザベス・ラッシュが海面上昇にとりつかれたきっかけはバングラデシュ取材、その沿岸地域では塩害が農業や住民の健康に深刻な影響を及ぼしていた」や「映画『ハッシュパピー バスタブ島の少女』のロケ地にもなった、海面上昇で沈みゆく米ルイジアナ州のジャン・チャールズ島――エリザベス・ラッシュ著『海がやってくる』」でも紹介している。その副題が示唆するように、ルイジアナ州のジャン・チャールズ島やフロリダ州のマイアミビーチ、スタテンアイランドのオークウッドビーチなど、アメリカ国内で海面上昇が急速に進む地域と住み慣れた土地を離れるかどうかの決断を迫られる住人に光をあてたノンフィクションだ。

ミシシッピ川に関する記述は、第1章、沈みゆくジャン・チャールズ島を舞台にした話に盛り込まれている。筆者が注目したいのは、ミシシッピ川をコントロールしようとする企てが、いつどのように始まり、定着していったのか、という分岐点だ。

ラッシュも、「その1」のロブ・ダンと同じように、その分岐点を説明するために、まずそれ以前に、アメリカ先住民がミシシッピ川の洪水や川筋の移動にどう対処していたのかを確認している。

「コロンブス以前のアメリカ先住民の社会は、健全な川というものが、洪水と干ばつを繰り返すことを理解していた。そして彼らはミシシッピ川の干満に合わせて文明を形成した。彼らの村は土手の上ではなく、その少し離れた場所に作られた。しかもそうした村のほとんどは定住式ではなく、水位が上がったら移動が可能なキャンプだった」

では、ラッシュは分岐点をどこにもってくるのか。「その1」のロブ・ダンは、先住民の生活から一気に工業化へと飛び、初期の工業化を支えた大規模商業輸送を分岐点と位置づけ、川を一定不変にしようとする企てのひとつの結果を、1927年のミシシッピ川大洪水とした。これに対してラッシュはもっと時間をさかのぼり、16世紀に分岐点を見出し、そこから1927年の大洪水につなげてみせる。以下の記述は、前の引用のつづきである。

「しかし1543年に状況が一変する。スペイン人コンキスタドール、エルナンド・デ・ソトの西へと向かう遠征は、現在のテネシー州にあたるところでミシシッピ川の氾濫によってその行軍が阻まれた。デ・ソトの年代記編者、ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガは、著書『インカのフロリダ』でその接触について述べている。ミシシッピ川の定期的な水位上昇と、運ばれる堆積物の急増が、人間の進歩を妨害するものとして述べられるのは、(私の知る限り)これが初めてのことである。川の「怒り」についての第二の記録は、1734年の、設立まもないニューオリンズで起きた洪水についてのものである。そして1927年には、ミシシッピ川はマサチューセッツ州、コネチカット州、ロードアイランド州、バーモント州を合わせた広さの面積を数ヵ月にわたり水浸しにし、土手に沿って出現したいくつかの新しい町を破壊した。つまり、ミシシッピ川が植民地主義的なプロジェクトの障害となるまで、変わりやすくはあれど予測可能な流れが問題とみなされることはなかったのである」

このラッシュの歴史的な視点については、アミタヴ・ゴーシュの『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』が意識されているようにも思える。たとえば以下のような記述だ。

「わたしの見るところ、ナオミ・クラインやその他の論者たちが、気候変動をもたらすおもな動因のひとつとして資本主義を名指していることは正当である。しかし、この語り(ナラティヴ)はしばしば、おなじく重要な人新世のある側面――帝国と帝国主義――を往々にして見落としがちであるように思う。資本主義と帝国、これらがひとつの現実をなすふたつの側面であることはあきらかだが、それらの関係は単純なものではないし、いまだかつて単純であったためしがない」

ちなみに、ラッシュは以下の動画でアミタヴ・ゴーシュに言及している。

▼ 「エリザベス・ラッシュ:ともに立ち上がること:気候危機に対する創造的かつ集団的な対応」

『海がやってくる 気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』について語るエリザベス・ラッシュの講演の動画。記憶が正しければ、本にはアミタヴ・ゴーシュの名前が出てくることはなかったが、この動画では6:10あたりでゴーシュの『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』に言及していて、影響を感じさせる。

ロブ・ダンの『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』では、1927年のミシシッピ川大洪水以後については、「当時よりもさらに高度な管理がなされている現在」という記述があるだけだったが、本書ではそれがどんな管理であるのかがわかる。

「大河を「管理」する試みにおいて、陸軍工兵隊はダムを1つ、2つ、3つ……そして19と建設していった。現在はミシシッピ川上流に29のダムと水門があり、ミシシッピ川下流には堤防と防水壁が並んでいる。こうした治水は、ミシシッピ川河口の低地を保全する代わりに、大地の補充となる堆積物を上流の人工的なバリアの背後に閉じ込めることによって、破壊の一因となったのだった。このような介入も原因の一つとなって、ジャン・チャールズ島およびその周辺の湿地帯は、洪水によって一時的にではなく、永久に消滅し始めているのだ」

ラッシュが本書で注目しているのは、沈みゆくジャン・チャールズ島なので、ミシシッピ川の管理についても、河口の低地への影響に絞られているが、このような高度な管理の結果は、「その1」でも注目した以下の動画が物語っている。

▼ ふたつの川の物語(1927年のミシシッピ川大洪水とその後の治水対策をまとめたドキュメンタリー)

▼ 2011年に起きた歴史的なミシシッピ川大洪水

▼ 同じく歴史的と形容される2023年のミシシッピ川洪水

《参照/引用文献》
● 『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』ロブ・ダン著、今西康子訳(白揚社、2023年)
● 『海がやってくる 気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』エリザベス・ラッシュ著、佐々木夏子訳(河出書房新社、2021年)
● 『大いなる錯乱――気候変動と<思考しえぬもの>』アミタヴ・ゴーシュ著、三原芳秋・井沼香保里訳(以分社、2022年)
● 『世界から青空がなくなる日 自然を操作するテクノロジーと人新世の未来』エリザベス・コルバート著、梅田智世訳(白揚社、2024年)




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