社会科学の視点でとらえたHIVから自然科学の視点でとらえたHIVへ――ランディ・シルツ著『そしてエイズは蔓延した』からデビッド・クアメン著『スピルオーバー』へ その2

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ここでは、「社会科学の視点でとらえたHIVから自然科学の視点でとらえたHIVへ――ランディ・シルツ著『そしてエイズは蔓延した』からデビッド・クアメン著『スピルオーバー』へ その1」で書いたことを踏まえて、この2冊それぞれの社会科学の視点と自然科学の視点を対比してみたい。

『スピルオーバー』デビッド・クアメン著

これは「その1」では引用しなかったが、デビッド・クアメンは『スピルオーバー~』の第Ⅷ章で、ランディ・シルツの『そしてエイズは蔓延した』で“患者ゼロ号”と呼ばれて有名になった若いカナダ人の客室乗務員、ガエタン・デュガについて、シルツの言葉を引用しつつ以下のように説明している。

「『そしてエイズは蔓延した』の著者ランディ・シルツによると、デュガ自身は同性愛者として積極的に振る舞い始めてからの一〇年間で、少なくとも二五〇〇人の性的パートナーがいたと計算している。そしてその貪欲さと大胆さの代償を払った。デュガはカポジ肉腫を発症して化学療法を受け、さらにニューモシスチス肺炎やその他エイズ関連の感染症に苦しみ、腎不全により三一歳で亡くなった。だがカポジ肉腫と診断されてから病で動けなくなるまでの数年間、彼はブレーキを踏まなかった。孤独な絶望の中で、彼の気持ちは快楽主義から悪意へと転じてしまったようだ。ランディ・シルツによると、デュガはサンフランシスコのサウナ『エイト・アンド・ハワード』で、知り合ったばかりの相手との性行為後に電気をつけ、自分の腫瘍を見せて『俺はゲイのがんになったんだ。俺は死ぬんだ。お前もだ』といっていたという」

『そしてエイズは蔓延した(上)』ランディ・シルツ著

しかしもちろん、『そしてエイズは蔓延した』をお読みの方ならおわかりのように、本書には、患者ゼロ号と呼ばれたガエタン・デュガのことだけが書かれているわけではない。20歳のときにゲイであることをカミングアウトしたランディ・シルツは、正体不明の奇病が広がり始めたとき、「サンフランシスコ・クロニクル」の記者として活動していた。同紙は、この疫病を徹底的に報道する価値のある正当なニュース素材と認めていたが、そのような姿勢をとった日刊紙は他になかったという。だからシルツは早い段階から取材に専念し、エイズが蔓延する背景に迫ることができた。

「レーガン政府の官僚は政府関係の科学者の要請を無視し、エイズ研究に充分な資金を出さず、ついにはこの疫病を全国に蔓延させてしまった」「科学者たちはなかなかエイズの流行にしかるべき配慮を示さなかった。同性愛者を苦しめる病気などを研究してもあまり名声をあげられないと思ったからである」「公衆衛生当局とそれを監視する指導的政治家たちは、この病気の流行を阻止するのに必要な確固たる措置をとらず、公衆衛生よりも政治を優先させた」「ゲイ社会の指導者たちはこの病気を政治の道具にし、政治的教条主義におちいって人命の保護をなおざりにした」「マスメディアが同性愛者についての記事を書きたがらず、とくにゲイの性行動に関する記事を敬遠したからである」

そして、「これは、どんな場所のどんな人びとにも二度と起こらないように、語り伝えなければならない物語なのである」という言葉に、この社会科学の視点の意義が集約されている。

一方、『スピルオーバー~』の第Ⅷ章では、HIVと人獣共通感染症(ズーノーシス)をめぐって異なる世界が切り拓かれていく。ニューイングランド霊長類研究センターで飼育されているサルが、謎の免疫不全に陥り、死んでいた。1985年、そのサルの血液サンプルからレトロウイルスが発見され、それがエイズの原因ウイルスの近縁だと判明し、最終的にHIVとの類似性から「サル免疫不全ウイルス」(SIV)とされる。

アフリカからもエイズの報告があり、起源に関する疑問の焦点はアフリカに移る。セネガルの売春婦たちから検出された新しいウイルスは、既知のHIVよりもアフリカミドリザルのSIV株により近かった。そこで既知のウイルスが「HIV‐1」となり、新しく発見されたものが「HIV‐2」になる。世界規模の流行を生み出すHIV‐1とは違い、HIV‐2は毒性も伝播性も低く、西アフリカの厄介な風土病にとどまっていた。その後、チンパンジーからHIV‐1に非常に近いウイルスが分離される。

研究者はHIVの起源だけでなく多様性も調査していた。HIV‐1には三つの主要な系統があることが判明し(その数年後に4番目も特定)、そのなかで最も広範に見られ、極悪非道な一群が「グループM」だった。それが存在しなければパンデミックは起きず、何百万人も死ぬことはなかった。さらに、より毒性の弱いHIV‐2にも7つのサブタイプ(後にもうひとつ追加される)があることが判明する。

「(前略)さてここが、頭で理解した瞬間に身震いしたくなる箇所だ。科学者たちはこれら一二グループ(HIV‐1の4グループとHIV‐2の八サブタイプ)が、それぞれ独立した異種間伝播(スピルオーバー)の発生を反映したものだと考えている。つまり一二回の異種間伝播だ。
 言い換えれば、HIVが人類へ異種間伝播したのは一回きりではない。私たちが知ることのできる範囲だけでも、少なくとも一二回は起きているということだ。おそらくそれ以前の歴史の中で何度も発生しているだろう。つまりあり得ない出来事ではないのだ。彗星が無限の宇宙を突っ切って地球に衝突し、恐竜を絶滅させたことの方が極めて起こりにくく稀な不運だろう。人間の血流にHIVが到達したことは、むしろ小さな流れの中の一部だったといえる。人類とアフリカの霊長類の接触の性質上、それはかなりの頻度で発生しているように思える」

では、破滅的なウイルス群、HIV‐1グループMはいつ人類に侵入したのか? ふたつの重要な手がかりが見つかる。1959年に当時のベルギー領コンゴの首都レオポルドヴィルでバントゥー人から採取され、冷凍庫に数十年間保管されていた血漿=ZR59と、1960年に独立したDRコンゴで採取された女性のリンパ節の一部=DRC60だ。「全てのウイルスには独自の変異率がある。(中略)従って二つのウイルス株がどれだけ異なるかによって、共通祖先から分岐してどのくらいの時間が経過しているかがわかる」

「(生物学者)マイケル・ウォロビーは、キンシャサの人間からほぼ同じ年に採取されたDRC60とZR59がかなり違うことを発見した。どちらも確かにHIV‐1グループMの範囲内であり、グループNやグループO、ましてやチンパンジーウイルスのSIVcpzと混同することはあり得なかった。しかしグループMの中で見ると、両者は大きく異なっていた。どのくらい異なるのか? ゲノムの一つの区画で、両者の間には一二%の違いがあった。これを時間に置き換えるとどのくらいか? 約五〇年に相当するとウォロビーは考えた。そして誤差を見込んでより正確に、DRC60とZR59が直近の共通祖先から分岐した年を一九〇八年と推定した」

さらに別の研究者ブランドン・キールが、カメルーンのチンパンジーの糞便サンプルから抽出し、割り出したSIV株が、HIV-1グループMに衝撃的なほど近いことを発見し、宿主とパンデミックの地理的起源も特定される。「エイズは一九〇八年までに(誤差はあるが)カメルーン南東部で、一頭のチンパンジーから一人の人間への異種間伝播(スピルオーバー)から始まり、そこからゆっくりと、しかし容赦なく広がっていった」。

クアメンは現地を訪れる。「HIV-1がその源からたどったルートを自分の目で見て、それがどんな旅だったのか想像したかったのだ」。作家でもあるクアメンは、“カット・ハンター説”=「狩猟や屠殺その他の活動(汚染された生肉の消費など)によって生じる、動物の血液や分泌物への直接接触」による感染をヒントに、ひとりのハンターの姿を想像する。

ハンターは殺したチンパンジーを解体するときに、「その過程のどこかで、たぶんチンパンジーの胸骨に刃を入れたり、腕を関節から切り離したりするのに必死になっている間に、彼は自分を傷つけてしまった」「彼はこのチンパンジーがSIVを保有していることを知る由もなかった。一九〇八年にはそれを思い付く言葉も、そもそもそういう考えさえも存在しなかった」

HIV-1の旅はその後もつづき、そこには興味深い視点がいくつも盛り込まれているが、本稿では「ガエタン・デュガのことは忘れよう。このハンターが患者ゼロ号だ」という記述の引用で終えるべきだろう。シルツが描く患者ゼロ号とクアメンが想像する患者ゼロ号、『そしてエイズは蔓延した』の社会科学の視点と『スピルオーバー~』の自然科学の視点では、エイズとHIVからまったく異なる風景が浮かび上がってくる。

《参照/引用文献》
● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン 甘糟智子訳(明石書店、2021年)
● 『そしてエイズは蔓延した』ランディ・シルツ 曽田能宗訳(草思社、1991年)




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● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン 甘糟智子訳(明石書店、2021年)
● 『そしてエイズは蔓延した』ランディ・シルツ 曽田能宗訳(草思社、1991年)