コウモリ由来のウイルスを通して異種間伝播(スピルオーバー)のメカニズムの解明を目指す”バット・ワンヘルス”、ヘンドラのその先を見据える疾病生態学者アリソン・ピール

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人獣共通感染症(ズーノーシス)を引き起こすコウモリ由来のウイルスを取り上げ、コウモリとヒトにどんな接点があり、関係がどう変化し、保有宿主(自然宿主)としてのコウモリにどう対処しようとしているかなどに注目する試み。今回は、前回の野生生物疾病生態学者ペギー・イービーにつづいて、イービーと共同でヘンドラウイルスとその保有宿主であるオオコウモリの調査を行なった獣医師/野生生物疾病生態学者/グリフィス大学上級講師アリソン・ピールに注目したい(ヘンドラのアウトブレイクの概要については、「1994年にオーストラリア東部に出現したヘンドラウイルスとその後――オオコウモリから馬へ、馬からヒトへ乗り移る人獣共通感染症(ズーノーシス)」参照)。

▼ 「この科学者が何十年にもわたってコウモリを追跡し、致死的な病気に関する謎を解き明かした」――非営利・独立系の報道機関“ProPublica”の記事に連動した動画で、ペギー・イービーの活動を紹介している。

アリソン・ピールは、イービーに注目した以前の記事で取り上げたこの動画に登場していた。動画には、2022年秋、イービーがグリフィス大学のピールの研究チームに加わって、ウイルスの検査をするためにコウモリを捕獲する活動が記録されている。

ではまず、アリソン・ピールのバックグラウンドについて。彼女は、ロンドンの王立獣医大学及び動物学研究所で修士号を、2012年にケンブリッジ大学で博士号を取得し、アフリカのオオコウモリのヘニパウイルスとリッサウイルスに関する集団遺伝学と疫学の研究を行った。2013年から再びオーストラリアを拠点とし、オーストラリアのオオコウモリのヘンドラやその他のウイルスの動態を調査している。現在は、ブリスベンにあるグリフィス大学の上級講師。

▼ グリフィス大学の公式サイトのアリソン・ピールのプロフィールにリンクした彼女の紹介動画「バット・ワンヘルス:ウイルス・コミュニティ研究‐アリソン・ピール博士」

この動画については、まずタイトルにある“バット・ワンヘルス(Bat One Health)”について説明しておくべきだろう。公式サイトはBatOneHealth。バット・ワンヘルスは、コウモリ、ウイルス、環境、人間の健康の間の相互作用を調査するために資金提供を受けた研究者のチームとしてスタート。新興病原体は、どのようにある種から別の種に飛び移り、どうすればそれを防げるのかを追求する70人を超える科学者で構成されている。彼らは、コウモリが媒介する病原体にフォーカスし、異種間伝播(スピルオーバー)を理解するモデルとしてヘンドラ、ニパ、コロナウイルスを利用している。

バット・ワンヘルスのチームには、主任研究者として、これまで名前を挙げたことがあるライナ・プロウライトやペギー・イービー、そしてもちろんアリソン・ピールが名を連ね、協力者には「2001年にマレーシアの隣国バングラデシュに再び現れたニパウイルスとその後――オオコウモリとヒトの接点としてのナツメヤシの樹液、ヒトからヒトへの感染」で取り上げたスティーブン・ルビーの名前もある。

この動画でピールと彼女のチームは、コウモリのねぐらの下から彼らの尿のサンプルを採取し、ウイルスを検出する。唾液や糞便よりも尿から感染する可能性が高いと考えているように見える。話は少し横道にそれるが、『スピルオーバー』の第Ⅶ章「天上の宿主――ニパ、マールブルグ」で、デビッド・クアメンが、バングラデシュで活動する獣医生態学者ジョン・エプスタインのフィールドワークに同行したときに、以下のような記述がったことを思い出す。

『スピルオーバー』デビッド・クアメン著

● 『スピルオーバー ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン

「ねぐらへの侵入は、もちろんコウモリを混乱させた。何百匹ものコウモリがうごめき、目を覚まし、飛び立ち、まるで空気の大きな渦に巻かれて漂流するように、川の上を何度も旋回した。昼間の空に飛ぶオオコウモリはガチョウのように大きく、気流に乗って軽く舞い上がったり、ゆっくりと羽ばたいたりしていた。頭上を低く飛んでくると、その姿ははっきり見えた。赤褐色の体毛、半透明に近いアンバー色の大きな翼、とがった鼻。起こされたことを嫌がってはいたが、パニックに陥る様子はなく実に堂々としていた。それまでもアジアでオオコウモリを見たことはあったが、こんなに近くで、こんなにたくさんが一斉に動く姿を見るのは初めてだった。私がよほど唖然として見とれていたのだろう。『見上げるときは口を閉じた方がいい』とエプスタインが静かにアドバイスしてくれた。コウモリたちは、ニパウイルスが含まれている尿を撒き散らしているのだった」

確かに、オーストラリアのヘンドラやマレーシアのニパの場合には、馬や豚を経由しているが、バングラデシュのニパの場合は直接、感染しているのでこのアドバイスは重要だ。

話を動画に戻すと、アリソン・ピールは、コウモリの尿のサンプルからヘンドラだけを検出しようとしているのではなく、“アッセイ”という測定方法を使って同時に複数のウイルスを検出し、異なるウイルスの相互作用が感染を高める可能性を検証している。その独自の視点については、もうひとつの動画のほうがわかりやすいだろう。

▼ 「イアン・ベヴァリッジ記念講演2024:ヘンドラとその先へ、アリソン・ピール博士によるコウモリウイルスの異種間伝播(スピルオーバー)に対するワンヘルスの生態学アプローチ」

この動画のピールの講演は、先述したバット・ワンヘルスのメンバーのなかで、ヘンドラと保有宿主のオオコウモリの調査・研究を行なった人々の紹介から始まる。中心になったのは、ライナ・プロウライトとアリソン・ピール、ペギー・イービーの3人。プロジェクトのリーダーは、米コーネル大学教授のプロウライトで、オーストラリアの実働部隊のリーダーがピールで、イービーと緊密に連携していた。他に、ピールのもとで研究する4名の博士課程の学生、2名のシドニーの協力者などが参加している。“ワンヘルス”が、人間と動物と生態系の健康を持続的に調和させ、最適化することを目的とした統合的アプローチであることを確認する。

ここでは、コウモリ由来の(あるいはその可能性が高い)ウイルスとして、ヘンドラ、ニパ、エボラ、MERS(中東呼吸器症候群)CoV、SARS-CoV、SARS-CoV-2(新型コロナウイルス)が挙げられている。そこでチームのメンバーが必ず強調することがある。新型コロナウイルス以後でも、パンデミックについて、ワクチンや治療薬、医療体制など、準備と対策が優先され、資金が投入されるのに対して、予防への関心は相変わらず低く、常に資金不足に悩まされていること。

異種間伝播(スピルオーバー)のメカニズムについては、ライナ・プロウライトが開発した概念モデルを使って説明される。保有宿主からウイルスが人間に飛び移るまでには、環境や食糧から増殖宿主や免疫にいたるまでいくつもの障壁がある。通常の状態では、保有宿主の間で循環しているウイルスの量は少なく、ということは、障壁の穴は非常に小さく、ウイルスが排出されても、家畜や人への暴露は起こりにくい。しかし、森林の伐採や開発などの土地利用の変化によって、保有宿主の食糧や移動に関してエネルギー不足が起こり、保有宿主がストレスにさらされつづけると、彼らの免疫システムが損なわれる。保有宿主であるコウモリでも、耐性が低下すると、ウイルスが優位にたち、病気になる可能性がある。そうなるとより多くのウイルスを排出することになる。概念モデルでは、障壁の穴が大きくなり、異種間伝播のリスクが高くなる。

ここで異種間伝播を理解するためのモデルとしてヘンドラウイルスが掘り下げられていく。その研究の土台になっているのは、ペギー・イービーが25年にわたって収集してきたデータ(「何十年にもわたってコウモリを観察し、ヘンドラウイルス感染症に関する謎を解き明かした生態学者ペギー・イービー その2:伐採による生息地の減少、冬季の食料不足とアウトブレイクの関係」)。グラフによると1996年から2020年の間に9回の食糧不足が発生。強いエルニーニョ現象が発生すると、その翌年に食糧不足になる。その結果、野生生物リハビリテーション・センターに保護されるコウモリが増加。生殖能力の喪失も見られる。通常の年には90%以上の割合で、雌のコウモリが、乳離れするまで子の面倒を見るが、食糧不足になると子の死亡率が急増する。

集団で移動するオオコウモリは、冬場にユーカリなどの開花が少なく、食糧が不足すると、小さな集団に分かれて、別の食糧を探して生き延びるが、2002年までは、不足が解消されるともとの大きな集団に戻った。しかし、2003年以降は、コウモリのねぐらが段階的に3倍に増え、小さな集団から戻らなくなっている。クイーンズランド南東部では、冬に開花してオオコウモリの餌になる食性種が、伐採によってここ数年で急減し、20%しか残っていないという。小さな集団となったコウモリは、森林ではなく、農業地域に定着するようになった。このパターンの変化によって、コウモリにストレスがかかり、ウイルスの排出につながり、馬も飼育されている農業地域でアウトブレイクが多発するようになった。

ピールによれば、ペギー・イービーはこうした研究を踏まえ、生息地修復HUBプロジェクトに参加しているという。そのプロジェクトについては、また時間があったら調べてみたい。

これに対して、ピールは独自の探求を行っている。コウモリの個体群に存在するのはヘンドラウイルスだけではない。彼女は、オオコウモリから出現する他のウイルスとヘンドラに関連性があるのかを調べている。先述したように“アッセイ”という測定方法を使って同時に複数のウイルスを検出し、データをとっている。そのデータによれば、ヘンドラの排出量がピークに達したときには、他のすべてのウイルスの排出量も同時に大幅に増加しているという。さらに、コロナウイルスについても強い関心を持ち、大量のサンプルのスクリーニングを行い、すでに6つの異なるコロナウイルスを特定し、研究を進めている。

そんなウイルスに対する関心は、『スピルオーバー』にある以下の記述を思い出させる。「もっと明確に生き物であると言い切れる生物と同様、ウイルスにも生態系動態がある。何をいいたいかというと、ウイルスも個々の宿主や宿主細胞のスケールにとどまらず、生態系のスケールで他の有機体と相互につながっているということだ。ウイルスにも地理的分布がある。絶滅することもある。あるウイルスの存在量、存続性、存在範囲は全て、他の有機体とその営みに左右される。それがウイルス生態学だ。例えばヘンドラの場合、ウイルスの生態環境の変化が、人間に病気を引き起こすようになった原因の一端かもしれない」

《参照/引用文献》
● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン著、甘糟智子訳(明石書店、2021年)
● “Ecological countermeasures to prevent pathogen spillover and subsequent pandemics”|Nature, Published: 26 March 2024
● “THE SCIENTIST AND THE BATS: Funders thought watching bats wasn’t important. Then she helped solve the mystery of a deadly virus” by Caroline Chen|ProPublica, May 22, 2023, 5 a.m. EDT




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● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン著、甘糟智子訳(明石書店、2021年)
● 『人類と感染症、共存の世紀 疫学者が語るペスト、狂犬病から鳥インフル、コロナまで』デイビッド・ウォルトナー=テーブズ著、片岡夏実訳(築地書館、2021年)