2001年にマレーシアの隣国バングラデシュに再び現れたニパウイルスとその後――オオコウモリとヒトの接点としてのナツメヤシの樹液、ヒトからヒトへの感染

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人獣共通感染症(ズーノーシス)を引き起こすコウモリ由来のウイルスを取り上げ、コウモリとヒトにどんな接点があり、関係がどう変化し、保有宿主(自然宿主)としてのコウモリにどう対処しようとしているかなどに注目する試み。前回のニパウイルス(「1998年にマレーシアの養豚地域に出現したニパウイルスとその後――オオコウモリから豚へ、豚からヒトへ乗り移る人獣共通感染症(ズーノーシス)」)のつづき。

まずは例によって、デビッド・クアメンの『スピルオーバー ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』を参照。マレーシアにおけるアウトブレイクが終息した2年後、ニパウイルスが今度は隣国バングラデシュに出現。だが、アウトブレイクの発生や感染のメカニズムは、マレーシアの場合とは違っていた。アウトブレイクは小規模ながら、断続的に発生した。

『スピルオーバー』デビッド・クアメン著

● 『スピルオーバー ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン

最初のアウトブレイクは、2001年4月から5月にかけて。南部の低地にあるチャンドプルという村で、発病した13人のうち9人が死亡。血液検査の結果、ニパの存在が確認された。

二度目は2003年1月、チャンドプルから約160キロ北に位置するナオガオン県で、ニパ脳炎の新たな集団感染が発生し、患者たちは入院し、致死率も高かった。三度目は2004年1月、パドマ川のすぐ西、ダッカの対岸にあるラジバリ県内のいくつかの村で、12人が感染し、8人が死亡した。四度目は2004年4月、パドマ川右岸沿いのファリドプール県で、36人の患者のうち27人が死亡。五度目は2005年1月、ダッカ北西約100キロに位置するタンガイル県で、12人が感染し11人が死亡した。

著者クアメンは、バングラデシュにおけるニパのアウトブレイクに関して、特にふたりの人物に注目し、直接会って話を聞いたり、フィールドワークに同行したりしている。

ひとりは、マレーシアのアウトブレイクの記事の最後でも言及したスティーブン・ルビー。彼はアメリカCDCから来た医師/疫学者で、バングラデシュ下痢性疾患研究国際センター(ICDDR-B)のプログラム・ディレクターとしてダッカに出向していた。アウトブレイクが発生すると、ダッカからチームを率いて出動し、異種間伝播(スピルオーバー)の原因を探る症例対照研究を行った。

そんなルビーのレクチャーが動画で見られる。

▼ 「医師/疫学者スティーヴン・ルビーが語るヒトニパウイルス感染症の疫学と予防」

この動画では、まずマレーシアで発生した大規模なアウトブレイクが簡潔にまとめられている。1998年9月から1999年5月まで。マレー半島北部のイポー市から南方に感染が拡大し、最終的に283人の感染が確認され、109人が死亡した。致死率は39%。(前の記事でも書いたように)微生物学者ポール・チュアが新しいパラミクソウイルスを分離した。そのサンプルは、スンガイ・ニパ村の患者ものだったので、ニパウイルスと命名された。

感染者には豚との濃厚接触があった。ニパウイルスの保有宿主はオオコウモリで、豚小屋を建てるときに、豚舎の隣に果樹を植えていたため、マンゴーなどの果樹に引き寄せられたコウモリが、木から落とした食べ掛けの実を豚が食べ、感染したと考えられる。アウトブレイクは、約100万頭の豚を殺処分することで終息した。豚舎の周囲の果樹は禁止されるようになった。マレーシアでは以来、感染は確認されていない。

しかし、ニパウイルスは、隣国バングラデシュに出現した。この動画は、ルビーがダッカからアメリカに戻り、スタンフォード大学の医学部教授になってからのもののようで、『スピルオーバー』よりいくらか多くデータが盛り込まれている。2001年から2012年までの間に十数回の小規模なアウトブレイクが発生し、トータルでは266人が感染し、204人が死亡している。

2005年にダッカに着任したルビーは、感染者の共通点を割り出すために、回復した人や死亡した患者の家族から聞き取りを行った。バングラデシュでは豚の関与はなく、ナツメヤシの樹液を飲んでいたという共通点が浮かび上がった。バングラデシュでは11月の終わりから3月/4月にかけて、晩にナツメヤシの幹の上部に傷をつけ、その下に素焼きの壺を括りつけておくと、翌朝には、傷から流れ出した樹液が壺にたまる。その新鮮な生の樹液が珍重され、売り歩く人たちがいた。

ルビーのチームは、コウモリが夜間にその樹液にアクセスできるか、赤外線カメラで監視を行い、コウモリが集まってきて樹液を舐めていることを突き止めた。唾液や尿を通してウイルスに汚染された樹液が、コウモリからヒトへの感染経路だと考えられた(『スピルオーバー』にも同様の説明があるが、細かなデータや写真で説明されると、やはり印象が違う)。

しかも、感染経路については、それだけでは終わらない。先述した2004年4月にファリドプール県で発生したアウトブレイクでは、36人の患者のうち27人が死亡と、感染者/死者の数が比較的多いが、そこには少し特殊な事情がある。ナツメヤシの樹液を飲んでいた男性が発病し、彼の看病をしていた母親や息子、友人、叔母も後に発病した。ヒトからヒトへの感染ということだが、その叔母が、マリファナを吸って儀式を行うような異端的ともいえる宗教団体の会員で、発病したこの叔母とともに過ごしていた教祖も後に発病し、教祖に寄り添った信者たちも感染することになった。

マレーシアの感染者には、頭痛、発熱、痙攣などの症状があり、脳炎を起こしたが、バングラデシュの感染者には、呼吸器疾患が目立った。マレーシアとバングラデシュでは、ウイルス株に違いがあることがわかった。

ルビーと彼のチームは、ナツメヤシの樹液に集まるコウモリをブロックするために、切り込みと壺の上に設置する、竹やその他の素材でできた囲いを考案した。また、感染防止のため、公共病院の衛生状況の改善・向上にも取り組んでいる。

そして、クアメンが、バングラデシュにおけるニパのアウトブレイクに関して、注目するもうひとりの人物が、ジョン・エプスタイン。スティーブン・ルビーに会って、話を聞いたクアメンのなかに、バングラデシュの景観や人口密度の変化が、どのようにオオコウモリに、そしてオオコウモリが運ぶウイルスやその異種間伝播の可能性に影響を与えてきたのか? という問いが生まれ、ルビーはそんなクアメンにエプスタインを紹介した。

エプスタインはニューヨークを拠点に活動する獣医生態学者で、保有宿主としてのコウモリに注目するうえで、外せない人物といえる。

「彼は獣医学士(DVM)に加え、公衆衛生学の修士号を持ち、アジアの大型コウモリを扱う経験が豊富だ。マレーシア沿岸のマングローブでは、ポール・チュアと一緒に働き、時に胸まで海に浸かってオオコウモリを捕獲した。インドで最初にニパが発生した際には、彼が率いたチームがオオコウモリたちの中からニパの証拠を発見した。さらに中国では、SARSコロナウイルスの宿主がコウモリであることを突き止めた国際チームの一員だった。(中略)彼は以前にも、インドのオオコウモリがいつ、どこで、どのようにしてニパを運び、拡散しているのかを調査するデータ収集の一環でバングラデシュを訪れていた」

そんなエプスタインの活動を動画で見られるのはありがたい。

▼ 「Dr.ジョン・エプスタイン:エコヘルス・アライアンスの科学者」――ニパウイルスの保有宿主であるインドオオコウモリの動態調査について語る動画。

実際にバングラデシュで活動するジョン・エプスタインの姿をとらえた動画。捕獲したオオコウモリにGPS首輪を装着して放し、コウモリがどのように移動し、どこに生息しているかデータを収集する。GPS首輪は太陽光発電で、1年以上にわたってデータをとる。

▼ 「ウイルスハンター:コウモリ個体群におけるニパウイルスのモニタリング|HHMI(ハワード・ヒューズ医学研究所)のバイオインタラクティブ・チャンネル」――エコヘルス・アライアンスの獣医生態学者/ウイルスハンター、ジョン・エプスタインとそのチームが、バングラデシュでインドオオコウモリからニパウイルスを探すフィールドワークを記録した動画。

タイトルからはわからないが、中身を確認すれば、ジョン・エプスタインが率いるチームの動画であることがわかる。『スピルオーバー』には、クアメンがエプスタインのフィールドワークに同行するエピソードが出てくるが、その部分を読むときにはこの動画を見ることをお勧めしたい。ほぼ同じものが見られる。

コウモリを捕獲するには、地元のコウモリを熟知しているアシスタントが必要になる。「途中でファリドプール市街に立ち寄り、特殊技能を持つフィールド・アシスタントを拾った。ピトゥとゴフールという二人組だ。二人とも競馬の騎手のように小柄で俊敏な男で、登山の達人であり、数年前から断続的にエプスタインと仕事をしているコウモリ捕りである。彼らはかつて密猟を通してコウモリ捕りの技を極めたが、今では天使の側にいる」。実はこの動画には、そのピトゥとゴフールも登場し、二本の木の間に巨大なかすみ網をセットし、コウモリを捕獲する。

この動画のトップの画像を理解するために、以下の記述も引用しておこう。「三時間後、採血と綿棒によるサンプル採取を終え、採血管を冷凍容器に入れて、コウモリたちを解放する時が来た。まず採血で失われた体内の水分を回復させるために、コウモリたちに果汁を飲ませた」。コウモリは、ジュースをペロペロ、ゴクゴク飲んでいる。

この動画の終盤では、大都市ダッカのなかにある公園の木にコウモリの集団が定着している様子が映し出され、エプスタインは、「問題は人口1200万の都市の真ん中で、彼らがニパウイルスを保有していたらどうなるかということです」と語る。

一方、『スピルオーバー』では、クアメンがエプスタインの言葉に耳を傾け、以下のような考察を加える。

「『ポイントはウイルスが別の種の宿主に飛び移る機会が多ければ多いほど、新しい免疫システムに遭遇し、突然変異を起こす機会が増えるということだ』。突然変異はランダムだが頻繁に起こり、無数の新しい方法でヌクレオチドを結合させる。『遅かれ早かれ、こうしたウイルス株の一つが、新しい宿主に適応できる適切な組み合わせを持つようになる』
 機会に関するこの指摘は、ことのほか重要で鋭い見解だ。他の何人かの疫学者も同じ指摘をしていた。この指摘が重要なのは、状況全体のランダム性を捉えているからだ。それがなければ、私たちは新興感染症という現象に対し、新興ウイルスが何か目的をもって人間を攻撃しているかのような幻想を持ち込んでしまうかもしれない」
(中略)ウイルスが意図的な戦略を持っているなんて想像するな、と彼は言った。ウイルスが人間に悪意を持っているなんて考えるな。『すべては機会だ』。ウイルスは私たちを追い回してはいない。何らかの形で、私たちの方が彼らのもとへ行っているのだ」

▼ 「バングラデシュで2023年に発生したニパウイルスのアウトブレイク」

バングラデシュ保健省疫学研究所(IEDCR)が公開しているデータをもとに、ニパウイルスのアウトブレイクを伝えるだけの動画だが、バングラデシュでは2023年に至るまで断続的にアウトブレイクがつづいていることがわかる。スティーブン・ルビーの報告では、2001年から2012年までの間に感染者266人、死者204人だったが、この動画が伝えるデータによれば、2023年までに感染者339人、死者240人となっている。指摘される感染経路はやはりナツメヤシの生の樹液、そしてヒトからヒトへの感染。バングラデシュでは、ニパがヒトに飛び移る機会は減少していない。

《参照/引用文献》
● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン著、甘糟智子訳(明石書店、2021年)




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● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン著、甘糟智子訳(明石書店、2021年)
● 『人類と感染症、共存の世紀 疫学者が語るペスト、狂犬病から鳥インフル、コロナまで』デイビッド・ウォルトナー=テーブズ著、片岡夏実訳(築地書館、2021年)