1998年にマレーシアの養豚地域に出現したニパウイルスとその後――オオコウモリから豚へ、豚からヒトへ乗り移る人獣共通感染症(ズーノーシス)

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人獣共通感染症を引き起こすコウモリ由来のウイルスを取り上げ、コウモリとヒトにどんな接点があり、関係がどう変化し、保有宿主(自然宿主)としてのコウモリにどう対処しようとしているかなどを検証する試みの第2回。参照するのは、主にデビッド・クアメンの『スピルオーバー ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』やYouTubeで見つけた動画など。「ヘンドラウイルス」につづいて今回取り上げるのは「ニパウイルス」。

『スピルオーバー』デビッド・クアメン著

● 『スピルオーバー ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン

『スピルオーバー』の第Ⅶ章「天上の宿主――ニパ、マールブルグ」の冒頭部分にある以下のような記述を読むと、やはりコウモリ由来のウイルスとしてのニパに対する興味がふくらむ。

「(前略)このように由来は様々だが、本書で挙げてきた恐ろしい新種のウイルス、それから本書で挙げていないウイルスも、コウモリから人間に飛び移ってくるウイルスが多い。
ヘンドラもマールブルグもSARS-CoVもコウモリから飛び移ってきた。狂犬病は大抵は飼い犬から人間に飛び移ってくるが、それは狂った野生動物よりも狂った犬の方が人間にかみつく機会が多いからであって、主な宿主の一つはコウモリだ。狂犬病のいとこに当たるドゥベンヘイジウイルスも、コウモリから人間へ飛び移る。キャサヌル森林病ウイルスはコウモリを含む数種類の野生動物から、ダニが媒介して人間に感染する。エボラもコウモリからの可能性が極めて高い。メナングルウイルス、ティオマンウイルス、マラッカウイルスもコウモリ由来、オーストラリアコウモリリッサウイルスの宿主は、文字通りオーストラリアのコウモリだ。こうやって書き出しただけでもすでにいくつもあり、少々脅かしているようなので冷静な説明をするが、ここに過去数十年の間に出現したいっそう鮮烈なRNAウイルスの一つ、ニパウイルスを加えないことにはリストが完結しないだろう。豚から人間に飛んでくるこのニパウイルスも、コウモリ由来だ」

始まりはマレーシア。1998年9月、マレー半島北部のイポー市近郊、養豚農家や豚肉加工業に関係する人たちに、発熱、頭痛、眠気、痙攣などの症状が現れ、ひとりが脳炎にかかって死亡。その後、12月になって今度は首都クアラルンプールの南西に位置するヌグリスンビラン州の養豚地域でアウトブレイクが起こり、年末までに10人の労働者が発症し、昏睡状態に陥り、死亡した。マレーシア政府は最初、蚊が媒介し、豚が宿主として関与する日本脳炎ウイルス(JE)ではないかと考えていた。

▼ 1999年、マレーシアにおける疫病の出現、感染の拡大を伝える動画。

アウトブレイクの概略については、この動画が参考になるだろう。原因を日本脳炎と考え、蚊の駆除という誤った対策がとられ、豚の移送によって感染が拡大し、遅れて大規模な豚の殺処分が行われることになり、一帯はゴーストタウンと化していく。養豚業に従事するのが中国系だったため、多数派のムスリムとの間に軋轢も生じる。死者のサンプルから分離されたウイルスが、ヘンドラとは似て非なるまったく新しいウイルスだと判明し、地元の村にちなんで「ニパウイルス」と名付けられる。ウイルスの調査に加わったCSIROのオーストラリア動物衛生研究所のピーター・ダニエルズも登場し、ウイルスについてコメントしている。騒ぎが起こる以前の1996年末から1997年にも感染者がいたことがわかり、また、コウモリに対する調査も進められる。

『スピルオーバー』によれば、アウトブレイクの終息までに感染者は少なくとも283人、死者は109人に上り、110万頭の豚が殺処分されたという。

では、ニパウイルスはどこからやってきたのか。その調査に関わることになるのが、ヒューム・フィールド。以前の記事「1994年にオーストラリア東部に出現したヘンドラウイルスとその後――オオコウモリから馬へ、馬からヒトへ乗り移る人獣共通感染症(ズーノーシス)」で書いたように、ヘンドラウイルスによるアウトブレイクが発生したときに、その保有宿主がオオコウモリであることを突き止めたウイルスハンターだ。彼はその経験を買われ、国際チームへの参加を要請された。

「フィールドの小さなチームは、ニパとヘンドラの類似性から主にコウモリに的を絞っていた。マレーシアには果実食のコウモリ13種、小昆虫食のコウモリ約60種を含む実に多様なコウモリがいる。固有種の果実食コウモリのうち二種は、オーストラリアのヘンドラウイルスの宿主と同じ大型のオオコウモリ属だ」

抗体検査の結果については、「コウモリは大半が陰性だったが、数種で要請が検出され、うち二種は突出して群れの中のニパ抗体保有率が高かった。その二種とは、ヒメオオコウモリとジャワオオコウモリだった。(中略)だが抗体は単にウイルスへの暴露があったことを示唆しているだけで、コウモリが宿主だという決定的な証拠にはならない」

▼ 「パンデミックについてコウモリが明らかにすること」――ヘンドラウイルスから新型コロナウイルスまで、保有宿主としてのコウモリを追う動画。

コウモリ由来のウイルスをまとめたこの動画では、最初にヘンドラウイルスが、次にニパウイルスが取り上げられるが、その部分で生い立ちからの経歴が紹介され、インタビューを受けて、ふたつのウイルスについて説明しているのがヒューム・フィールド。

ただし、『スピルオーバー』によれば、ニパウイルスをめぐって、オオコウモリが宿主であることを証明したのは、フィールドの任務を引き継いだポール・チュアだった。マラヤ大学の医療微生物学科・臨床ウイルス学の元研究員で、保健省で働く彼は、新しい技術を試した。コウモリから直接サンプルを入手するのではなく、ねぐらの下に大きなプラスチックシートを敷いてコウモリの尿の滴を採取、また、餌場の下でも噛み砕かれた果実を採取した。「チュアのグループはこれらのサンプルを培養し、尿から二つ、ウォーターアップルから一つのニパウイルス株を分離し、計三つの株を増殖させた。その結果は、発症した人々から検出された株とぴったり一致した。ジャワオオコウモリがニパウイルスの宿主であることを証明する結果だった」

ヘンドラウイルスがオオコウモリから馬へ、馬から人間へ異種間伝播(スピルオーバー)したように、ニパウイルスはオオコウモリから豚へ、豚から人間に異種間伝播することができた。では、オオコウモリと豚の接点はどこにあったのか。ポール・チュアの研究は、可能性の高いシナリオを確立した。

「そこにマンゴーかウォーターアップルの木があれば良かった。豚小屋の上に張り出した枝にたわわについた実を食べに、感染したコウモリがやって来る。コウモリが齧り、ウイルスに汚染された果肉が下にいる豚の合間に落ちる。一頭の豚がそれにパクつき、ウイルスを大量に取り込む。ウイルスは豚の体内で複製し、他の豚に感染する。すぐに群れ全体が感染し、豚を扱う人々も病気になり始める。それは決して奇抜なシナリオではなかった。当時のマレーシアでは多角農業で、市場性が高い果物によって畜産収入を補うために豚小屋の近くにマンゴーやウォーターアップルといった果樹を植えている農家が多かった」

マレーシアにおけるアウトブレイクは、大規模な豚の殺処分によって終息し、その後は発生していない。そのため、マレーシアに限ってあらためてニパウイルスにつて語る場合には、以下の動画のように、新型コロナウイルス以後の時点から1998年のアウトブレイクを再検証するというアプローチになる。

▼ 「マレーシアにおける致死性ニパウイルスの物語を明らかにする」

しかし、マレーシアから消えたニパウイルスは、今度はバングラデシュやインドに出現する。新たに出現したニパウイルスは、発生や感染のメカニズムがマレーシアの場合とは異なっているため、別記事にまとめることにしたい。バングラデシュにおけるアウトブレイクについては、『スピルオーバー』にも取り上げられているアメリカ人の医師で疫学者のスティーヴン・ルビーの動画が参考になる。

▼ 「医師/疫学者スティーヴン・ルビーが語るヒトニパウイルス感染症の疫学と予防」

バングラデシュでは、2001年4~5月以来、毎年のように小規模のアウトブレイクが発生し、そこで異種間伝播の原因を探る症例対照研究を行ったのが、アメリカCDCから来た医師/疫学者のスティーヴン・ルビーだった。彼はバングラデシュ下痢性疾患研究国際センター(ICDDR-B)のプログラム・ディレクターとしてダッカに出向していた。

そのルビーが、ニパウイルス感染症の疫学と予防について語る上の動画では、最初にマレーシアにおけるアウトブレイクの経緯がまとめられてから、バングラデシュの状況について詳しく語られるので、発生や感染のメカニズムの違いがよくわかるが、それはまた別記事で。少なくともバングラデシュにおけるアウトブレイクでは、感染に豚は関わっていない。

《参照/引用文献》
● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン著、甘糟智子訳(明石書店、2021年)




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● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン著、甘糟智子訳(明石書店、2021年)
● 『人類と感染症、共存の世紀 疫学者が語るペスト、狂犬病から鳥インフル、コロナまで』デイビッド・ウォルトナー=テーブズ著、片岡夏実訳(築地書館、2021年)