「景観免疫」という新しい概念で、人獣共通感染症(ズーノーシス)を防ぐ――”バット・ワンヘルス”の中核を担う疾病生態学者ライナ・プロウライト

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人獣共通感染症(ズーノーシス)を引き起こすコウモリ由来のウイルスを取り上げ、コウモリとヒトにどんな接点があり、関係がどう変化し、保有宿主(自然宿主)としてのコウモリにどう対処しようとしているかなどに注目する試み。今回は、オーストラリア出身の疾病生態学者/獣医学者/コーネル大学教授ライナ・プロウライトに注目する。

2022年11月に「Nature」誌に発表された「Pathogen spillover driven by rapid changes in bat ecology|Nature, 16 November 2022」(日本語要約記事「疫学:コウモリの生息域が変わると人畜共通ウイルスが出現しやすくなる|Nature Japan」)は、オーストラリアに出現したヘンドラウイルスが、保有宿主であるオオコウモリから馬やヒトに感染するメカニズムを解明する論文で、そのプロジェクトで中心的な役割を果たしたのが、ライナ・プロウライト、獣医師/野生生物疾病生態学者/グリフィス大学上級研究員のアリソン・ピール、野生生物生態学者のペギー・イービーの3人だった。

プロジェクト全体のリーダーが、アメリカを拠点にするプロウライトで、現地オーストラリアのリーダーがピールで、そのピールと緊密に連携してデータを収集したのが、何十年もコウモリを観察してきたイービー。そのうち、ピールとイービーについてはすでに記事にまとめた。

プロウライトがもともとヘンドラウイルス、というよりもコウモリ由来のウイルスにどのような関心を持っていたのかは、デビッド・クアメンの『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』を読むとよくわかる。

『スピルオーバー』デビッド・クアメン著

● 『スピルオーバー ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン

クアメンがプロウライトに話を聞いたのは2006年、彼女が博士課程のフィールドワークでヘンドラウイルスの自然宿主の一つ、オーストラリアオオコウモリにおけるウイルス動態を調査するために帰国し、ダーウィンの南に位置する北部準州のリッチフィールド国立公園内および周辺に広がるユーカリとメラレウカの森でコウモリの捕獲とサンプル採取を行ったときのこと。

「ヘンドラウイルスは、オオコウモリという一つのグループの中で同時期に新たに出現した四種のウイルスの一つである点が興味深いと彼女はいった。1994年、豪クイーンズランド州ブリスベン北郊で出現したヘンドラウイルス、1996年、同州沿岸の他の二ヶ所で出現したコウモリリッサウイルス、1997年、豪シドニー近郊で出現したメナングルウイルス、そして1998年9月、マレーシアで出現したニパウイルス。『短期間に一つの属の宿主から四種のウイルスが出現したというのは前代未聞です。それゆえ、病気の出現を引き起こすような何らかの変化が、オオコウモリ属の生態に起きたのではないかと我々は考えています』とプロウライトはいった。マレーシアの養豚場でニパウイルスが発生した際、そうした要因の特定に貢献したのがヒューム・フィールドだ。それから八年後、彼を自分の論文の指導委員会に迎えていたプロウライトは、ヘンドラウイルスについて同様の要因を探していた。生息環境の変化が、ヘンドラの保有宿主の個体数、分布パターン、移動行動に影響を与えたことは分かっていた。これはオーストラリアオオコウモリに限らず同属のクロオオコウモリ、ハイガシラオオコウモリ、メガネオオコウモリにも及んでいた。彼女の課題は、保有宿主におけるこれらの変化がウイルスの分布やまん延、異種間伝播の可能性などにどう影響を与えたかを調査することだった」(※ヒューム・フィールドについては、「1994年にオーストラリア東部に出現したヘンドラウイルスとその後――オオコウモリから馬へ、馬からヒトへ乗り移る人獣共通感染症(ズーノーシス)」や「1998年にマレーシアの養豚地域に出現したニパウイルスとその後――オオコウモリから豚へ、豚からヒトへ乗り移る人獣共通感染症(ズーノーシス)」で触れた)

そうした視点や関心は、モンタナ州立大学(現コーネル大学)教授となったプロウライトの研究室が進めていたプロジェクトにも引き継がれている。

▼ 「ライナ・プロウライト博士とプロウライト研究室:“パンデミックの起源に関する研究”」

2020年、プロウライト教授のモンタナ州立大学時代のレクチャー。最初は、アリソン・ピールの記事でも少し触れた“バット・ワンヘルス(Bat One Health)”の説明。70人以上の科学者で構成される国際共同体で、コウモリ由来のウイルスによる人獣共通感染症(ズーノーシス)と、生態学的変化によってそれがどのように変化するのかを理解することを目指し、オーストラリア、バングラデシュ、マダガスカル、ガーナで現地調査を行なっている。プロウライトの研究室は、特にオーストラリアでオオコウモリのヘンドラウイルスを研究し、コウモリの免疫機能、マイクロバイオーム、代謝、血液、健康状態、食餌組成、生息地などがどのように影響するか調査し、その結果を感染症の予防に役立てようとしている。そんな研究は、プロウライトが以前から持っていた視点や関心とつながっているといえる。

このレクチャーで最も印象に残るのは、“景観免疫(Landscape Immunity)”という新しい概念が紹介されていること。動物が安全に過ごせるように景観を管理することで、感染源からの異種間伝播(スピルオーバー)と蔓延を防ぐという考え方だ。

ヘンドラウイルスのアウトブレイクは、発生する年もあれば、発生しない年もあるが、発生するのは冬場に限られる。伐採によってコウモリの生息地になる森林が急激に減少していることに加えて、強いエルニーニョ現象が起こった次の冬には、コウモリの餌となるユーカリなどの樹種が開花せず、コウモリは食糧不足に見舞われる。すると大きな集団で移動していたコウモリは、生き残るために小さなグループに分かれ、それぞれに農業地帯に移動して普段は食べない果実などを食べて飢えをしのぐ。食糧不足でストレスにさらされたコウモリは、免疫が低下し、ウイルスの放出量が増加する。そのため、コウモリが齧った果実や地面に散った尿などから、牧場の馬への感染のリスクが高まり、馬から人に感染する可能性も出てくる。

プロウライトと彼女のチームは、ヘンドラのアウトブレイクが急増した2017年に、感染によって馬が死亡した馬主から話を聞いた。異種間伝播(スピルオーバー)は、いくつもの条件が不運にも結びついてしまったときに起こる。たとえば、雨が降っていてパドックがぬかるんでいたため、馬をレモンの果樹園に移していた。最近、すぐ近くにコウモリが住み着くようになっていた。食糧不足でストレスにさらされたコウモリは、果樹園にやってきて、尿などとともにウイルスを放出していた。寒くて、湿気が多く、ウイルスが生存することができた。

プロウライトは、そんな異種間伝播のメカニズムを、独自の概念モデルで説明している。保有宿主であるコウモリと牧場の馬との間には、10枚ほどの障壁があり、それぞれの障壁に穴ができ、その穴が重なって、コウモリと馬が直線でつながると異種間伝播が起こる。そこで、コウモリの生息地を回復し、冬に餌を提供することができれば、コウモリが小さなグループに分かれて、家畜や人間に接触し、ウイルスを放出するのを止めることができる。それが景観免疫という考え方だ。

クアメンは『スピルオーバー』でこんな疑問を呈していた。馬はオーストラリア原産の動物ではなく、わずか2世紀ほど前にヨーロッパから入植者が初めて持ち込んだ外来種。ゲノム解析によれば、ヘンドラは古いウイルスで、コウモリもオーストラリアに古代から存在する。人類が生息するようになったのは、少なくとも4万年前。オオコウモリ、ヘンドラウイルス、人間はおそらく更新世の時代からオーストラリアで共存してきた。そして、馬が1788年1月に渡来し、ウイルス、保有宿主、増幅宿主、免疫を持たない人間という四要素が整った。ではなぜウイルスは200年以上もたってから出現したのか? プロウライトのチームの調査・研究はそんな疑問に対するひとつの答えになっている。

では、バングラデシュにおけるニパウイルスの場合はどうなのか。この動画でも、以前の「2001年にマレーシアの隣国バングラデシュに再び現れたニパウイルスとその後――オオコウモリとヒトの接点としてのナツメヤシの樹液、ヒトからヒトへの感染」でも、感染経路は、生のナツメヤシの樹液と指摘されている。しかし、その樹液はニパの出現以前からずっと飲まれていた。『スピルオーバー』には、現地で異種間伝播(スピルオーバー)の原因を探る研究を行った医師/疫学者スティーブン・ルビーのこんな報告が取り上げられている。

「ルビーのチームはタンガイルでの調査後にこう報告した。『ナツメヤシの所有者たちは、オオコウモリのことを厄介な存在だと考えていた。それは、オオコウモリが木に取り付けた注ぎ口や壺から直接、ヤシの樹液を飲むからだ。コウモリの糞が壺の外側に付着していたり、樹液の中に浮いたりしているのはよくあることで、たまにコウモリの死骸が壺の中に浮いていることもある』。しかし、そんなことくらいでは生の樹液の需要は減らなかった」

ニパが出現する以前からずっとそんな状態であったのなら、なんらかの生態学的な変化が起こっているということになる。

《参照/引用文献》
● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン著、甘糟智子訳(明石書店、2021年)




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● 『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』デビッド・クアメン著、甘糟智子訳(明石書店、2021年)
● 『人類と感染症、共存の世紀 疫学者が語るペスト、狂犬病から鳥インフル、コロナまで』デイビッド・ウォルトナー=テーブズ著、片岡夏実訳(築地書館、2021年)