ポストトゥルースに操られる社会を大胆にして緻密な構成と演出で暴き出す法廷劇――ディジョ・ジョゼ・アントニー監督のインド映画『Jana Gana Mana』

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以前取り上げたマーティン・プラカート監督、シャーヒ・カビール脚本のインド・マラヤーラム語映画『Nayattu』(2021)では、夜間にバイクと衝突した車に同乗していた3人の警察官たちが、飲酒運転によってバイクに乗ったダリットの若者の命を奪った犯罪者に仕立て上げられ、必死の逃亡を余儀なくされる。

その警察官たちは、警察署にまで押しかけて傍若無人に振る舞うダリットの若者グループと揉めていた。選挙を間近に控えた政府は、ダリットの票を固めようとしていた。そんなときに衝突事故が発生し、政府とその指示で動く警察は、3人の警察官をスケープゴートにし、投票日の前に事件を解決することで、ダリットの票を確実にしようとする。そんなドラマは、客観的な事実や証拠よりも感情が優先される”ポストトゥルース”と結びつけてみることもできる。

ディジョ・ジョゼ・アントニー監督、シャリス・モハメド脚本のインド・マラヤーラム語映画『Jana Gana Mana』(2022)では、それと共通するテーマが、より大胆にして緻密な構成で掘り下げられている。

インド・マラヤーラム語映画『Jana-Gana-Mana』

● インド・マラヤーラム語映画『Jana Gana Mana』(2022) ディジョ・ジョゼ・アントニー監督

2019年8月、ラマナガラにあるセントラル大学の教授サバ・マリヤムが焼死体で発見される。改革に積極的で責任感が強かったサバがレイプされ火をつけられたというニュースが流れると、彼女を慕っていた学生自治会のリーダー、ゴウリを中心にキャンパスで抗議の波が広がるが、警察が校内に乱入し武力で鎮圧される。それを記録した動画がSNSなどで拡散され、抗議活動が全国に波及する。

州政府は警察の行動を問題視し、事件の捜査にサジャン・クマール警部(スラージ・ヴェニャーラムード)を指名し、混乱を収拾しようとする。サジャンは、現場近くでバイク事故を起こしたために事件を目撃した男の証言などから容疑者を絞り込み、4人の犯人を逮捕する。しかし上層部から圧力がかかり、担当を外されるという話が伝わってくる。サジャンは、犯行を再現するという名目で容疑者たちを連れだし、彼ら全員を射殺する。そして会見では、容疑者が警察官から武器を奪って発砲したため、自衛の行動だったと説明する。サジャンは国民から英雄視されるが、法廷でその行動の正当性が争われることになる。

この導入部は、実際に起こった事件を思い出させる。2019年、ハイデラバードで女性獣医師が集団レイプされたあと殺害され、遺体に火をつけられた。捜査で4人の容疑者が逮捕されたが、現場検証に立ち会っているときに警察によって射殺された。本作の導入部は、わたしたちにそれを思い出させるために、ディテールなど意図的に実話に寄せている。それがその後の展開で大きな効果を生み出す。

実話を思い出せば、法廷でサジャンの行為の正当性を主張するにせよ、超法規的処刑を批判するにせよ、展開はある程度読める。ところが、足を引きずって法廷に現れた弁護士アラヴィンド・スワミナザン(プリトヴィラージ・スクマーラン)は、正当性の主張に対してまったく予想外の戦術を繰り広げる。

▼ ディジョ・ジョゼ・アントニー監督『Jana Gana Mana』(2022)予告

その法廷にいる人々のほとんどが、メディアが伝えたことを信じているが、アラヴィンドは、レイプ殺人そのものに疑問を投げかけ、事実と思われているものを確実に突き崩していく。実際、本作の導入部には不自然な流れがある。夜遅くに発覚した事件で、詳細も明らかではないはずなのに、新聞の記事がすぐに差し替えられる。焼死体の身元の確認は簡単ではないのに、サバの母親や妹がすぐに現場に案内され、母親がかろうじて原型をとどめるアクセサリーなどからすぐに娘だと気づくのだ。

本作の後半は、アラヴィンドが事実と思われていたものを鮮やかに覆していく過程で、サバになにが起こり、サジャンがなにを考えていたのかなど、隠れた物語が次々に明らかになり、ぐいぐい引き込まれるが、ひとつ心配になることがある。本作のプロローグでは、事件が起こる5年前の2014年、アラヴィンドがある裁判の結果を受けて服役する姿が描かれる。そんな彼が過去に背負ったものについては、終盤である程度明らかになるが、決着はつかない。つまり、本作には続編が想定されているが、ポストトゥルースと結びつけてみた場合には、独立した作品として完成されている。そんな魅力が、続編があることでぼやけてしまわないか気になる。