まだちゃんと取り上げていなかったが、進化生物学者のアシーナ・アクティピスの『がんは裏切る細胞である――進化生物学から治療戦略へ』は、前に取り上げたサイエンスライター、キャット・アーニーの『ヒトはなぜ「がん」になるのか――進化が生んだ怪物』と同じように、「がんは進化のプロセスそのものである」という考え方に立つ研究書だ(「進化とともに生きる――キャット・アーニー著『ヒトはなぜ「がん」になるのか』とロブ・ダン著『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』の併読から見えてくるもの」参照)。
そのアクティピスの著書には、<私たちはひとり残らず前がん性の腫瘍とともに生きている>というリードにつづく文章のなかに以下のような記述がある。
「私たちはがんで命を落とさないまでも、がんと共に人生を終えているのはまず間違いない。少なくともがんに似た腫瘍と共に。ほとんどの男性の前立腺には、成長の遅い腫瘍が死亡の時点で(それが死因でなくても)できている。多くの女性の乳房には死亡時に腫瘍が認められ、それは十分にがんとみなせる場合もあれば、そうとまではいえない場合もある。性別を問わずほとんどの人は、微小な甲状腺がんを抱えた状態で息を引き取る。そして私たちの皮膚は、日光を浴びたり、日常の中でごく普通に様々な物質にさらされたり、傷ができればそれを治癒したりしているために、絶えず前がん性の変異を獲得している。私たちは前がん性の腫瘍と何十年と暮らしていながら、普通は何の支障もない」
これを読んで、人ががんにかかっていることを知らないまま生き、それが死因ではなく亡くなる場合について興味を持った。
そして最近、からすま和田クリニック院長/京都大学名誉教授、和田洋巳の『がん劇的寛解 アルカリ化食でがんを抑える』の第2章「劇的寛解例に学べ」を読んで、「天寿がん」という言葉を知った。
「実際、老衰で死亡した高齢者を解剖すると、かなりの高確率でがんが見つかります。そして、がんにかかっていたにもかかわらず、本人も家族も医師もそうとは気づかぬまま、がんではなく老衰で亡くなった、すなわち天寿を全うできたという意味で、このようながんは『天寿がん』と呼ばれているのです」
さらに、誰がどのような経緯で「天寿がん」と名付けたのか気になり、著者が巻末に参照元として挙げている「天寿がん|健康長寿ネット」もチェックしてみた。名付け親は、公益財団法人がん研究会がん研究所名誉所長、北川知行で、そのきっかけが興味深いので引用しておきたい。
「1968年、若手の助手であった筆者は、98歳の男性の特志解剖を行った(東大では自ら希望して病理解剖が行われる場合を特志解剖と呼んでいた)。この方は生来ずっと健康で医者にかかったことがなく、この年まで頭脳明晰で体もよく動いていた。亡くなる3か月前から食が細くなり、次第に衰弱して、本人も家族も”大往生”と喜ぶ中で安らかに亡くなったのである。
亡くなる前にこの方は、往診の医師に「自分の体には健康長寿の秘訣が宿っていると思うので、死後、大学に運んで解剖し、それを明らかにして医学の進歩に役立ててほしい」と遺言した。解剖すると、胃の幽門部と噴門部にそれぞれ10cm大の胃がんがあった。噴門部のがんによる食道出口の狭窄が死因であった。この時、筆者は「こんな死に方なら、がんで死ぬのも悪くないな」と強く思った。この方は牧野長太郎さんという名前であったが、”天寿がん”第1号となり大きく世の中に貢献をしたのであって、常に本名を記してその名誉を讃えている」
詳しいことは、このサイトだけでなく、以下の動画でも名付け親ご本人の言葉で確認できる(個人的には視聴回数が少ないのが意外だった)。
サイトでも動画でも取り上げられているが、がんと合理的につきあう道を広げようとする天寿がんの考え方を普及するための、6項目からなる「天寿がん思想」を列挙しておきたい。
1. 人は天寿を授かっている(必ず死ぬ)
2. 安らかに天寿を全うすることは祝福されるべきことである(死因は不問)
3. 超高齢者のがんは、長生きの税金のようなものである(年齢とともにがん発生のリスクはうなぎ登りに増える)
4. 超高齢者のがん死は、人の一生の自然な終焉の1パターンと考えられる(3分の1はがんで死んでいる)
5. 天寿がんなら、がん死も悪くない(認知症や不随になり、人に迷惑をかけながら、いつ果てるとも知れずベッドで生きているよりはずっとよい)
6. 天寿がんとわかれば、攻撃的治療も無意味な延命治療も行わない (自然死に近いのだから、自然に徹する)
これは頭に入れておいて損はないだろう。
話は『がん劇的寛解』に戻るが、著者の和田が天寿がんに言及したのは、安らかな死に方ではなく、「天寿がんが物語る真実から見えてくる新たな視点」を説明するためだ。
突き詰めれば、標準がん治療には「治る」か「治らない(死ぬ)」の二者択一しかないが、天寿がんの存在は、「治る」と「治らない」の間にもうひとつの概念があることを教えてくれる。それが「寛解」で、根本的な治癒には至らないものの、病勢が進行せずに安定している状態を意味する。標準がん治療の限界を乗り越える全く新しいがん治療の地平を切り拓くには、天寿がんのように寛解状態がずっと続く状態を実現させる必要がある。そこで著者は、劇的寛解を「標準がん治療ではおよそ考えられない寛解状態が長く続くこと」と定義し、それを具体的に提示していく。
つまり、天寿がんに対する独自の解釈、視点が劇的寛解のひとつのポイントになる。
ここで話はさらに、冒頭で引用したアクティピスの『がんは裏切る細胞である』に戻る。アクティピスと和田のがんのとらえ方や視点はまったく同じではないが、明らかに繋がりがある。アクティピスは著書で、フロリダ州にあるH・リー・モフィットがん研究センターの放射線腫瘍学者ロバート・ゲイトンビーが行っている「適応療法」を紹介しているが、和田も巻末の参照文献一覧を見ればわかるように、第4章でゲイトンビーの論文を参照している。
そこでここでは、和田と同じようにがんに対して二者択一的な対応をとることに疑問を呈するアクティピスの記述でまとめとしたい。
「がんに関しては、戦争で使うような言い回しがよく用いられる。たとえば患者はがんと『闘い』、『勝つ』か『負ける』かする。確かに戦争の比喩には大きな影響力と強い説得力があるので、がん研究に対する支援を取りつけるうえでも、人類を共通の目標に向けて団結させるうえでも効果はあるかもしれない。その反面、誤解を招く表現だともいえる。本質的に自らの一部であるものを、完全に根絶やしにすることなどできない。そういう攻撃的なアプローチが名案に思えるのは、私たちが『滅ぼすべき敵』としてがんを捉えているからである。だが実態はどうかといえば、多様な細胞からなる集団が、私たちから浴びせられるあらゆる治療法に呼応して進化している。それががんの本当の姿にほかならない。そういう見方をしない限り、私たちはひとつのリスクを冒すことになる。実際にはもっと攻撃性の低い治療法が存在するのに、それを軽視するか完全に無視してしまうかするおそれがあるのだ」
《参照/引用文献》
● 『がんは裏切る細胞である――進化生物学から治療戦略へ』アシーナ・アクティピス 梶山あゆみ訳(みすず書房、2021年)
● 『がん劇的寛解 アルカリ化食でがんを抑える』和田洋巳(KADOKAWA、2022年)
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● 『がんは裏切る細胞である――進化生物学から治療戦略へ』アシーナ・アクティピス 梶山あゆみ訳(みすず書房、2021年)
● 『がん劇的寛解 アルカリ化食でがんを抑える』和田洋巳(KADOKAWA、2022年)