オーストラリア出身の女性作家シャーロット・マコーナギーは、まずヤングアダルト向けのSF/ファンタジー小説の分野で作家としてのキャリアをスタートさせ、その後、2020年に発表した『Migrations』で大人向けのスペキュラティブ・フィクション/クライファイ(気候変動フィクション)へと移行し、つづいて2021年に『Once There Were Wolves』、2025年に本作『野生の暗き岸辺』(原題『Wild Dark Shore』)を発表している。
この3作は題材に限れば共通する方向性の作品に見えるが、前2作と本作では作風が大きく変化しているため、それをどう受け止めるかによって好みや評価が分かれることだろう。
本作の舞台は、タスマニアと南極の中間に位置するシーアウォーター島。物語は、これまでにない激しい嵐が島を襲った日に、ひとりの女性が海岸に漂着するところから始まる。瀕死の状態だった謎の女性ローワンは、島の灯台に暮らす父親ドミニク、長男ラフ、長女フェン、末っ子オーリーのソルト一家に救助され、一命をとりとめ、徐々に回復していく。島には、灯台の他に、人類の危機に備えて世界中の種子を保管した貯蔵庫、観測基地、実験室、食堂、宿泊施設、避難小屋などがあり、ドミニクは島にある建物を管理する仕事をしていた。最近までそこには研究者たちのコミュニティが存在していたが、いまは無人になっている。というのも、急激な海面上昇によって島は沈みつつあり、研究者たちはすでに島を去り、残っていたソルト一家もある作業を終えたら、7週間後にやってくる予定の砕氷船で島を離れることになっていた。
この物語は、ソルト一家とローワンという5人それぞれ視点を入れ替えながらつづられ、そこから次々に謎が浮かび上がる。シーアウォーター島は絶海の孤島なので、ローワンがこの島を目指したのは明らかだが、彼女はその目的を語ろうとしない。それでも子供たちは次第に打ち解けていくが、ドミニクは警戒を緩めない。ソルト一家のほうもなにかを隠しているように見える。風力タービンや太陽光発電機など、嵐による被害は甚大で、本来なら無線で本土と連絡をとり、救援を要請する必要があったが、何者かによって通信装置がすべて破壊されていた。つまり、5人は砕氷船がやってくるまで島に閉じ込められることになる。動けるようになったローワンは、研究者の宿泊施設を訪れたときに、まだ新しい漂白剤の匂いが気になり、研究施設でルミノール試薬を調達し、多量の血液の痕跡を発見する。
本作は、エドガー賞最終候補にもなったように、緻密に構成されたミステリーになっているが、前2作のマコーナギーの世界を踏まえるなら、そんなプロットがネックにもなる。但し、前2作にもミステリーの要素がなかったわけではない。
1作目の『Migrations』では、地球温暖化によってほとんどの野生動物が死滅しかけている終末的な世界を舞台に、大学の鳥類学研究に関わりを持った主人公フラニー・ストーンが、世界で最も長い距離を飛ぶ渡り鳥キョクアジサシの最後になるかもしれない渡りを追跡して、北極圏から南極圏を目指す。彼女は、グリーンランドで漁船の船長と乗組員を説得して旅立つが、そんな彼女が実は研究者ではなく、しかも刑務所に収監されていたことが明らかになるとき、彼らはもはや後戻りができないところまで深入りしている。
2作目の『Once There Were Wolves』では、生物学者インティ・フリンと彼女が率いるチームが、スコットランドのハイランド地方で14頭のハイイロオオカミを再導入するリワイルディング・プロジェクトを進めるが、オオカミの側に立つインティと家畜が襲われることを危惧する地元住民のあいだで対立が深まっていく。そんな状況でインティは、森のなかで、彼女と対立していた農場主の無残な死体を発見する。オオカミが疑われることを恐れた彼女は、その死体を隠すことにする。
というように、2作品には、ミステリーの要素が盛り込まれてはいるが、わたしたちを引き込むのは、そうした謎ではなく、倫理から逸脱してどこまでも自然にのめり込んでいく主人公の執念だ。『Migrations』では、フラニーと母親、あるいは彼女と鳥類学教授の夫という家族の関係が、唐突にあっけなく崩壊し、すべてを失ったフラニーは、キョクアジサシと心中するつもりで南極圏を目指している。『Once There Were Wolves』のインティは、オオカミを追って雪に覆われた森をさまよい、ついにはそんな過酷な環境でひとりで出産をする。彼女は、オオカミとともに、性暴力で声を失い、トラウマに苦しむ双子の姉妹も守ろうとしていたが、結果的に自然は姉妹を引き裂き、彼女たちは異なる世界を生きることになる。2作品の主人公には、倫理から逸脱する狂気があり、人間中心主義からの脱却があり、自然に同化しようとすることによる覚醒があり、それらが強烈なダイナミズムを生み出す。
本作も、個々の登場人物に注目するなら、自然との特殊なつながりを見出せる。喪失の痛みに苛まれる長男ラフは、ハイドロフォンでクジラの鳴き声を記録することに救いを見出している。兄とは違うトラウマを抱えたフェンは、オットセイとともに暮らし、自分も完全にその仲間になることを望んでいる。9歳にして植物学に精通したオーリーは、種子貯蔵庫から本土に移送する種子の選別に関して、人間のためではない、独自のリストをつくってみせる。そこには脱人間中心主義が反映されている。こうした人物の造形はマコーナギーらしい。
しかし、それらはあくまで本作のディテールであって、物語の大きな流れを決定しているのは、緻密に組み上げられたミステリーのプロットである。物語から浮かび上がる謎はみな人間に起因するもので、謎解きは5人の登場人物のあいだで繰り広げられる人間ドラマにならざるを得ず、自然や気候変動の設定がどんなに壮大であっても、それは人間ドラマを際立たせる背景にとどまる。そのため、物語の終盤に描かれる座礁したクジラの母子のエピソードなどは、人間の母子の関係に重ねられているような印象を受ける。ちなみに、マコーナギーは、前2作と本作のあいだに自身が母親になり、それが作風や視点の変化に影響を及ぼしているようだ。そのため本作は、前2作に比べ、主人公たちに感情移入しやすくなっている。
本作が気候変動を反映したミステリーとして優れた作品であることは間違いない。だが、クライファイ(気候変動フィクション)やエコフィクションとして読むなら、前2作からいくぶん後退していることは否めない。
《参照/引用文献》
● 『野生の暗き岸辺』シャーロット・マコーナギー 高橋尚子訳(小学館文庫、2026年)
● 『Migrations』Charlotte McConaghy (Flatiron Books, 2021)
● 『Once There Were Wolves』Charlotte McConaghy (Flatiron Books, 2022)
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● 『野生の暗き岸辺』シャーロット・マコーナギー 高橋尚子訳(小学館文庫、2026年)
● 『Migrations』Charlotte McConaghy (Flatiron Books, 2021)
● 『Once There Were Wolves』Charlotte McConaghy (Flatiron Books, 2022)