女性作家シャーロット・マコーナギー(Charlotte McConaghy)は、1988年、オーストラリアのダーウィン生まれ。Australian Film Television and Radio Schoolで脚本の修士号を取得後、ヤングアダルト向けのSF/ファンタジー小説の分野で作家としてのキャリアをスタートさせた。そして2020年に発表した本作『Migrations』で大人向けのスペキュラティブ・フィクション/クライファイ(気候変動フィクション)へと移行し、つづいて2021年に『Once There Were Wolves』、2025年に『Wild Dark Shore』(邦訳『野生の暗き岸辺』)を発表している。
『Migrations』の舞台は、地球温暖化によってほとんどの野生動物が死滅しかけている終末的な世界。かつて大学の鳥類学研究に関わっていた主人公フラニー・ストーンは、世界で最も長い距離を飛ぶ渡り鳥キョクアジサシの渡りを追跡調査する計画を実行に移そうとしている。キョクアジサシは、1年のうちに北極圏と南極圏のあいだを行き来するが、環境の悪化によってこれが最後の渡りになるとも考えられている。
物語のはじまりはグリーンランド。キョクアジサシの群れを見つけ出したフラニーは、そのなかの3羽に追跡装置を装着する。それから南東部にある町タシーラクを訪れ、目星をつけていた漁船「サガニ」号の船長エニス・マローンと乗組員たちを探す。彼らは、魚の激減によって生活を脅かされ、環境保護団体からの批判にさらされながらも、しぶとく漁をつづけていた。フラニーはエニスに、温めていた計画を説明し、彼女を船に乗せてキョクアジサシを追跡して南下していけば、キョクアジサシが船を魚の居場所に導くと粘り強く説得し、最初は渋っていたエニスも提案を受け入れる。
こうしてグリーンランドから南極圏を目指す過酷な旅がはじまる。その旅では、氷山に接触する、嵐に遭遇する、乗組員が重症を負う、ポンプが故障して水が底をつく、キョクアジサシの位置情報を確認するノートパソコンのバッテリーが切れる、上陸中に環境活動家に襲撃されるなど、さまざまな苦難に見舞われ、ついには警察に追われる窮地に追い込まれる。しかしこれは、単に鳥を追いかける冒険を描くだけの小説ではない。そもそも野生動物を守ろうとしているフラニーが、漁船に協力を求め、その乗組員になるしかないところに、彼女の複雑な立場を垣間見ることができる。しかも彼女は心のなかで、目的地に到達したらそこで死のうと決めているのだ。
マコーナギーのスペキュラティブ・フィクション/クライファイでは、家族の崩壊が重要な位置を占めている。キョクアジサシを追跡するフラニーの旅からは、回想や手紙などを通して彼女が背負う重い過去や葛藤が少しずつ明らかにされていく。そこで見逃せないのは、フラニーの軌跡が鳥と結びつけられていることだ。
フラニーはオーストラリアで、アイルランド人の母親とオーストラリア人の父親のあいだに生まれた。前半部では、その父親についてはほとんど触れられないが、母親は父親に捨てられたらしい。母親は幼いフラニーとともにアイルランドに移り、フラニーはゴールウェイで育った。だが、フラニーが10歳のときのある行動が原因で、母親が失踪する悲劇が起こる。ひとりになったフラニーはオーストラリアで父方の祖母に育てられる。やがて成長した彼女は、アイルランドに戻り、母親を探す。フラニーは、オーストラリアでもアイルランドでも異邦人で、どちらにも帰属意識を持てない中間的な存在だと感じているが、それは、北極圏と南極圏を行き来するキョクアジサシを想起させる。
フラニーが帰属意識を持てないのは、単に家族が崩壊し、オーストラリアとアイルランドで育てられたからだけでなく、彼女には、抑えられない衝動というレベルの放浪癖があったからだ。母親が失踪する原因となったフラニーの行動というのも、まさにその放浪癖なのだ。だが、そこに話を進める前に、伏線ともいえる体験に触れておくべきだろう。フラニーは6歳のときに、母親から禁じられていたにもかかわらず、庭に飛来するワタリガラスにひそかに餌を与えるようになった。その4年後には、ワタリガラスも彼女に贈り物を届けるなど、特別な絆を培っていた。それが母親が失踪する原因となった行動につながる。フラニーは、ある少年から聞かされた、羽を吐きだしつづけて最後に黒い鳥に姿を変えた女性の伝承に刺激され、衝動が抑えられず冒険を求めて家出し、家に戻ってきたときには母親が姿を消していた。
この黒い鳥になった女性の伝承は、フラニーが見る悪夢に出てくるだけでなく、彼女の泳ぐ能力に影響を及ぼしているように思える。彼女は極寒の海でも平気で泳げる。本作の導入部にユーモラスな場面がある。フラニーがタシーラクでエニス船長や乗組員を探して酒場に行くと、酔ったエニスが店の前に立っている。店に入った彼女は、エニスが店の前に広がる極寒の海に消えたことに気づく。水面に彼の姿はない。フラニーは迷わず海に飛び込み、彼を水中から引き上げようとする。ところが彼はそうやって酔いを醒ましているだけだった。エニスも常人ではないが、フラニーの瞬時の行動は際立っている。彼女は飛ぶことはできないが、その願望を水中で叶え、飛ぶように泳いでいるという印象を受ける。そんな泳ぐ能力が、過去と現在を通して何度となく彼女の運命を変えることになる。
大人になったフラニーは、大学で清掃員として働いているときに、鳥類学の教授ナイル・リンチと出会う。ふたりを結びつけるのはもちろん鳥への関心だが、ナイルが彼女に強く惹きつけられたのは、彼女が溺れかけた少年を救うのを目の当たりにしたからでもある。彼らは急接近して結婚するが、フラニーの衝動やトラウマが夫婦を追いつめていく。彼女は放浪癖でどこかに姿を消すだけでなく、夢遊病でナイルの首を絞めたり、彼の母親が飼っている鳥たちを放してしまう。そして取り返しのつかない事件が起こる。
現在と過去が複雑に入り組みつつ進行する物語で、重要なポイントになるのは、フラニーが刑務所に4年間服役していた事実が次第に明らかになることだろう。そのことによって、マコーナギーが描こうとするイニシエーション(通過儀礼)が鮮明になっていく。出所したフラニーはいわば空っぽの存在であり、彼女とナイルを結ぶキョクアジサシの追跡が彼女に残された唯一の目的になる。だから彼女は目的地に到達したら死のうと決めている。これまで慣れ親しんだ世界から自分を切り離し、孤独に彼方の空間を目指すのは、イニシエーションの出発点にふさわしいが、彼女が空っぽのままであればイニシエーションは成立しない。イニシエーションとは簡単にいえば、これまでの人生で形作られた自己を破壊し、新たな自己を確立するということである。だから回想や手紙などを通してフラニーの軌跡が明らかにされていくことには大きな意味があるが、彼女は必ずしも正面から向き合っているわけではない。彼女は喪失感や罪悪感に揺れる信用できない語り手でもある。
そこで興味深く思えてくるのが、フラニーとサガニ号の船長エニス・マローンとの関係だ。サガニという船の名前は、イヌイットの言葉でワタリガラスを意味し、フラニーの過去とつながっている。そのワタリガラスは、フラニーとエニスが出会う時点ではすでに絶滅している。フラニーは、絶滅した鳥の名前を冠した船で、最後になると考えられているキョクアジサシの渡りを追跡する。船長のエニスは、そんな彼女の目的を旅のなかでうすうす察している。なぜなら彼もフラニーと同じように、自分の家族に対する喪失感や罪悪感に苛まれながら海で生き、魚の消滅によって漁師としての人生が終わろうとしていることを自覚している。だからふたりは深く共鳴していく。エニスの存在がなければ、フラニーは聖域にたどり着けなかっただろう。ある意味でフラニーは、ワタリガラスに導かれて、生と死の境界で未来を切り拓くと見ることもできる。
《参照/引用文献》
● 『Migrations』Charlotte McConaghy (Flatiron Books, 2021)
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● 『Migrations』Charlotte McConaghy (Flatiron Books, 2021)
● 『Once There Were Wolves』Charlotte McConaghy (Flatiron Books, 2022)
● 『Wild Dark Shore』Charlotte McConaghy (Flatiron Books, 2025)
● 『野生の暗き岸辺』シャーロット・マコーナギー 高橋尚子訳(小学館文庫、2026年)