[※「リチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』がつくったエボラウイルスのイメージを払拭する意味について その3:マーク・ホニグスバウム著『パンデミックの世紀』の視点」のつづきだが、本記事だけ読む場合もあるかと思うので、導入部は同じテキストの繰り返しになっている]
1994年に刊行され、世界的なベストセラーとなったリチャード・プレストンの『ホット・ゾーン エボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』は、私たちが想起するこのウイルスのイメージをつくりあげ、広く浸透させた。
それだけに、エボラウイルスについて新たになにかを書こうとすれば、『ホット・ゾーン』には避けて通れないところがある。たとえば、サイエンスライターのデビッド・クアメンの『エボラの正体 死のウイルスの謎を追う』、最近の記事で取り上げている感染症専門医/人類学者のポール・ファーマーの『熱、諍い、ダイヤモンド』、医学史家のマーク・ホニグスバウムの『パンデミックの世紀 感染症はいかに「人類の脅威」になったのか』、医療人文学教授のカリ・ニクソンの『パンデミックから何を学ぶか 子育て・仕事・コミュニティをめぐる医療人文学』は、エボラウイルス、あるいはそれを含むパンデミックを扱った本であり、いずれも『ホット・ゾーン』に言及しているが、それぞれに異なる視点からプレストンがつくりあげたイメージを払拭しようとしている。ちなみに、『エボラの正体』の第9章は「正確さ欠く『ホット・ゾーン』」であり、『パンデミックから何を学ぶか』の第10章は「『ホット・ゾーン』の罪――いかにしてひとりの作家がエボラ出血熱の恐怖をあおるキャンペーンを始め、それが今もパンデミックの封じ込めを妨げているか 1994年」である。
そんな異なる視点を比較しつつ積み重ねていけば、エボラウイルスのイメージの精度が上がり、それが引き起こすアウトブレイクの意味も深まることだろう。
その4で取り上げるのは、新型コロナウイルス感染症が拡大するさなかに医療人文学者カリ・ニクソンが書きあげた『パンデミックから何を学ぶか 子育て・仕事・コミュニティをめぐる医療人文学』。まずは概要を確認しておこう。
「2020年に新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起きてから、私たちは現実の否定とパニックを行き来し、仮想敵をつくり、真偽の不明な情報や統計データに一喜一憂してきた。
感染症をめぐる言説を研究しつづけてきた医療人文学者の著者によれば、これらの反応は歴史において繰り返されてきたという。この50年ほどのあいだの科学の進歩はパンデミックを回避する知識を私たちに与えたが、皮肉にも、実際にパンデミックが起きたときに何をすべきかについての先人の知恵を奪ったのだ。
デフォーが『ペスト』で描いた強制隔離のむずかしさ、人々の病気への意識を根底からくつがえした「細菌」の発見、一冊のベストセラーがアメリカを恐怖のどん底に陥れたエボラ出血熱……。医学・科学史、心理学、行動科学、文学などの豊富な知見とともにパンデミック下の市民社会の反応を分析し、よりよい隔離生活のための30の教訓を導き出す」(みすず書房公式サイトの商品紹介より引用)
本書も、その3で取り上げたマーク・ホニグスバウムの『パンデミックの世紀』と同じく、エボラウイルスだけを扱うのではなく、18世紀の天然痘やペストの時代から新型コロナウイルスまで様々な感染症を取り上げているが、なかでも第10章の「『ホット・ゾーン』の罪――いかにしてひとりの作家がエボラ出血熱の恐怖をあおるキャンペーンを始め、それが今もパンデミックの封じ込めを妨げているか 1994年」は重要な位置を占めている。
この章では、タイトルにあるように『ホット・ゾーン』の影響が掘り下げられている。
「『ホット・ゾーン』でエボラ出血熱の特徴が歪曲されたことによって、今日でも、特にニュースでその言葉を耳にするとき、嫌悪感やパニックが呼び覚まされているように思う。これから説明するとおり、(わたしに言わせると)プレストンの本によって培われたこういう恐怖反応は、集団としての文化的姿勢だけでなく、身体にとっても大きな問題だとわたしは確信している。言い換えれば、約28年前に書かれた小さなペーパーバックの本、『ホット・ゾーン』は、今日のパンデミックを食い止めようとする人々の能力に大きな影響を与えていると思う(後略)」
この章が重要な位置を占めているのは、エボラウイルスだけでなく、それ以前の章で取り上げられた感染症に対する人々の反応とも結びつけら、集約されていくからだ。たとえば、梅毒やHIVに関する以下のような記述を頭に入れておくと、どんな影響なのかがよりわかりやすくなるだろう。
「人間社会の偏見は、病原体にとっては秘密兵器なのだ。わたしたちの内輪もめは、たとえ無意識の批判であっても、病原体が人間に感染する足がかりとなる。ノックを待つまでもなく、ドアをあけて病原体を招き入れているのだ。たとえば、ヴィクトリア朝社会が性感染症である梅毒を、セックスワークに従事している人だけがかかる病気だと考えている期間が長いほど、梅毒がヴィクトリア朝社会に広がるチャンスは大きくなった。誰もが、自分たちでつくり上げた偽の情報に気をそらされているあいだに。
つまり、異性愛を規範とする社会がHIVを悪習である同性愛の病気として扱い、これを正当な根拠と考えて公衆衛生上の危機を無視し続けた結果、ウイルスがますます広がっていったと考えると納得がいく。HIVは、人間が人間にいだく偏見を利用して、さらに多くの人々のあいだに広がっていった」
第10章では、このような偏見が、「風土病」という言葉の操作を通して説明される。
「ある病気をある地域の”風土病”と呼ぶことで、そこでの発生には問題がないかのように思われ、病気を”異なる”場所や人々にとってあたりまえにすることで、外国人嫌悪をあたりまえにしている。言い換えれば、何かを”風土病”と定義すれば、その病気を都合よく無視し、ある集団の”正常な”一部として扱うことができるのだ。
ここまでの話をきちんと理解した人なら、典型的な”風土病”が、権力者たちに”他者”と見なされている疎外された集団で発生していることに驚きはしないだろう。エボラ出血熱はアフリカの”風土病”で、HIVはゲイの人々の”風土病”、性感染症はセックスワーカーの”風土病”だ」
『ホット・ゾーン』の正確さを欠く過剰な描写は、エボラに対する読者の恐怖をあおり、外国人嫌悪の神話を生み出した。カリ・ニクソンはそんな影響を明らかにしたうえで、植えつけられたイメージを払拭し、根本に立ち返る。
「本書で繰り返し述べてきたように、好むと好まざるとにかかわらず、病気はあらゆる人を結びつける。それを信じようとしないなら、病気はさらに死を共有させることで人を結びつけるだけだ。死に対する恐怖があるからこそ、人はどんなに小さくても違い(性的指向、ライフスタイル、階級)さえあれば病気から守られるかもしれないと考えたくなる。しかしそうやってひとりよがりの幻想に浸っていれば、病原体をさらに広げるための扉をあけてしまうだけだ。ウイルスや細菌に対しては、ふたつの選択肢がある。ふたつだけだ。人類がともに生きるか――本当の意味でともに生き、発展途上国と先進国のあいだで平等をめざして努力し、自分の健康と同じように隣人の健康も気遣うか――あるいは、ともに死ぬか。ウイルスにとっては、どちらでも同じだ。人間にとっては違うというなら、行動しなくてはならない」
『ホット・ゾーン』とエボラから導き出されたこの記述は、本書の核心ともいえる。それは、序文の以下の記述と対比してみるとよくわかる。
「病気の社会的影響を長年研究してきたなかでひとつ学んだことがあるとすれば、それは、人がコミュニティのなかで互いに共有している微生物によって、よくも悪くも他者とつながった世界に生きているということだ。そして感染症による危機に瀕したとき、共有されたつながりを認識できなければ、間違いなく破滅するだろう。わたしたちの運命はひとつであり、全員を脅かす小さな粒子でつながっている」
《参照/引用文献》
● 『ホット・ゾーン エボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』リチャード・プレストン[kindle版] 高見浩訳(早川文庫NF、2020年)
● 『パンデミックから何を学ぶか 子育て・仕事・コミュニティをめぐる医療人文学』カリ・ニクソン著 桐谷知未訳(みすず書房、2022年)
● 『パンデミックの世紀 感染症はいかに「人類の脅威」になったのか』マーク・ホニグスバウム著 鍛原多惠子訳(NHK出版、2021年)
《関連リンク》
● 「リチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』がつくったエボラウイルスのイメージを払拭する意味について その1:デビッド・クアメン著『エボラの正体』の視点」
● 「リチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』がつくったエボラウイルスのイメージを払拭する意味について その2:ポール・ファーマー著『熱、諍い、ダイヤモンド』の視点」
● 「リチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』がつくったエボラウイルスのイメージを払拭する意味について その3:マーク・ホニグスバウム著『パンデミックの世紀』の視点」
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● 『パンデミックから何を学ぶか 子育て・仕事・コミュニティをめぐる医療人文学』カリ・ニクソン著 桐谷知未訳(みすず書房、2022年)
● 『パンデミックの世紀 感染症はいかに「人類の脅威」になったのか』マーク・ホニグスバウム著 鍛原多惠子訳(NHK出版、2021年)
