1995年に刊行され、世界的なベストセラーとなったリチャード・プレストンの『ホット・ゾーン エボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』は、私たちが想起するこのウイルスのイメージをつくりあげ、広く浸透させた。
それだけに、エボラウイルスについて新たになにかを書こうとすれば、『ホット・ゾーン』には避けて通れないところがある。たとえば、サイエンスライターのデビッド・クアメンの『エボラの正体 死のウイルスの謎を追う』、最近の記事で取り上げている感染症専門医/人類学者のポール・ファーマーの『熱、諍い、ダイヤモンド』、医学史家のマーク・ホニグスバウムの『パンデミックの世紀 感染症はいかに「人類の脅威」になったのか』、医療人文学教授のカリ・ニクソンの『パンデミックから何を学ぶか 子育て・仕事・コミュニティをめぐる医療人文学』は、エボラウイルス、あるいはそれを含むパンデミックを扱った本であり、いずれも『ホット・ゾーン』に言及しているが、それぞれに異なる視点からプレストンがつくりあげたイメージを払拭しようとしている。ちなみに、『エボラの正体』の第9章は「正確さ欠く『ホット・ゾーン』」であり、『パンデミックから何を学ぶか』の第10章は「『ホット・ゾーン』の罪――いかにしてひとりの作家がエボラ出血熱の恐怖をあおるキャンペーンを始め、それが今もパンデミックの封じ込めを妨げているか 1994年」である。
そんな異なる視点を比較しつつ積み重ねていけば、エボラウイルスのイメージの精度が上がり、それが引き起こすアウトブレイクの意味も深まることだろう。
ということで今回は、最も基本的な部分をおさえているクアメンの『エボラの正体 死のウイルスの謎を追う』を取り上げる。本書は、クアメンが2012年に発表した『スピルオーバー――ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』のエボラの章をベースに加筆し、新たな資料を付け加えたものだ。
以下の記述は、本記事の前提にもなる。「私と同じく『ホット・ゾーン』を出版時に読んでいたなら、あるいは広く流布されているエボラウイルスに対する一般の人々の印象を鵜呑みにしていたなら、このウイルスがひどく恐ろしいものだという観念を植え付けられていることだろう」。それを踏まえ、イメージを払拭し、エボラウイルス病の典型的症状を確認していく。
クアメンは、プレストンの描写を執拗に引用し、彼がつくるエボラウイルスのイメージを凝縮してみせる。
「リチャード・プレストンは迫真の描写が得意なベテラン作家で、しかも研究熱心なことで知られている。ただでさえ不気味なこの感染症を、異常なまでに恐ろしい存在として描くことが彼の目的だった。ウイルスが『ベッドからベッドへと飛び跳ね、左右の患者を殺していった』、スーダンの病院における場面を思い出すかもしれない。それは病院に狂気と混乱を巻き起こし、患者の命を奪うだけでなく死に際に大量の出血を発生させ、『ベッドに横たわる死体が分解するまで』臓器を溶かし続けてゆく。特にエボラウイルスが『死体のあらゆる箇所を消化して、スライム状に変えてゆく』というプレストンの描写には、多くの人が身震いするはずだ。(中略)薄暗いスーダンの小屋で死んだ人物を描写する際に用いられた表現が頭に残っている人もいるだろう。その人物は『昏睡状態で身動き一つせず、全身から出血し尽くしていた(bleeding out)』。単なる”出血(bleeding)”とはまったく別物のようだ。それは身体からの出血が止まらず、全身の血液が失われたことを連想させる。エボラのせいで眼球に血液が満ち、失明以上のものをもたらしたと書かれた箇所もある。『まぶたに一滴の血が浮かんでいる。次は血の涙を流すのだろう。血液は目から頬へと流れ落ち、いつまでも凝固しようとはしなかった』(後略)」
ここでクアメンらしいのは、まず、実際に死にゆく患者を直視してきたふたりの医療関係者から証言を得るところだろう。ひとりは、過去15年にわたってエボラやマールブルグに関する対策チームに何度も参加し、エボラウイルスの取り扱いについては世界でも有数の経験を持つ、CDCのウイルス特別病原体部門で副部長を務めるピエール・ローラン。
「私はアトランタのオフィスにローランを訪ねた。ものすごい量の出血を引き起こすという一般に広まっている認識について質問すると、彼は柔らかく遮ってこう言った。
『――それはたわごとですよ』
またプレストンの描写に触れた後、『それらは溶け、壁に血しぶきが飛び散る』とおどけた口調で言い、不満げに肩をすくめた。そして、もしもその作品がフィクションであると謳っているのなら、プレストン氏には好きなように書く権利があるのだが、と言った後でこう続けた。
『でも、実話と銘打っているのならば、本当のことを書かなければいけない。プレストン氏はそれを怠った。あっちこっちに血を飛び散らせて恐怖を与えたほうが面白い本になりますからね』
中には出血のせいで死に至る患者もいる。しかし『彼らは破裂もしなければ、溶けたりもしません』。”エボラ出血熱”という頻繁に使われる用語自体、エボラウイルス病の誤った呼び方であるとローランは言う。患者の半数以上はまったく出血しないからだ。呼吸不全や内臓の機能不全(決して溶解ではない)など、ほかの原因で死に至る。ローランが指摘したとおり、WHOが『エボラ出血熱』の名称を『エボラウイルス病』に改めたのもこれが理由だ」
もうひとりは、エボラウイルスの出現が最初に確認されたときに、CDCの特別病原体部門の室長として、国際対応チームの指揮をとった先駆者のひとり、ウイルス学者のカール・ジョンソン。
「(前略)そしてインタビュー中、『ホット・ゾーン』が話題に上るのは避けられなかった。
『血の涙なんてばかばかしい。誰もそんなもの流しはせんよ』
ジョンソンはこうも言った。
『死んでも形のないスライムになんかなりはしない』
血というものが強調されすぎているという点で、ジョンソンもピエール・ローランと同意見だった。本当に血まみれの感染症を見たいのなら、クリミア・コンゴ熱がうってつけだという」
クアメンは、ふたりの発言を紹介したうえで、現実の世界におけるデータに基づくエボラウイルス病の主な症状を確認していく。
「腹痛、発熱、頭痛、咽頭痛、吐き気と嘔吐、食欲不振、関節痛(関節炎)、筋肉痛(筋痛)、無力症(衰弱)、頻呼吸(過呼吸)、結膜充血、そして下痢。結膜充血は『ピンク・アイ』を意味し、血の涙のことではない。これらの症状はいずれも、ほとんどの死亡例に見られる。また胸部痛、吐血、歯茎からの出血、血便、注射針を刺した箇所からの出血、無尿症、発疹、しゃっくり、耳鳴りといった症状を示す患者もいる。キクウィットでのアウトブレイクでは、59%のケースで目立った出血がまったく見られず、出血の有無は患者の生死を指し示す指標とはならなかった。一方、頻呼吸や尿が出ない、あるいはしゃっくりの症状が現れると、死に近づいている不吉なシグナルとなる。出血が見られた患者でも、自発的に中絶した妊婦以外では、出血量はそれほど多くなかった。死亡者のほとんどは、昏睡状態のまま、あるいはショック症状を示して息を引き取っている。つまりはこういうことだ。エボラウイルスで人が死ぬとき、そこにあるのは死に際の泣き声だけで、破裂や血しぶきなどは見られない」
《参照/引用文献》
● 『ホット・ゾーン エボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』リチャード・プレストン[kindle版] 高見浩訳(早川文庫NF、2020年)
● 『エボラの正体 死のウイルスの謎を追う』デビッド・クアメン[kindle版] 山本光伸訳(日経BP社、2015年)
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● 『ホット・ゾーン エボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』リチャード・プレストン[kindle版] 高見浩訳(早川書房、2020年)
● 『エボラの正体 死のウイルスの謎を追う』デビッド・クアメン[kindle版] 山本光伸訳(日経BP社、2015年)
