ハリエット・タイスのデビュー作『紅いオレンジ』の訳者あとがきには、「2019年にイギリスで刊行された本書には、”緻密なプロットで描かれたドメスティック・ノワール”といった賛辞が多く寄せられている」とあるが、裏表紙にある本書の謳い文句は、「家庭と法廷を行き来する主人公を数々の陥穽が待ち受ける、戦慄のリーガル・スリラー」である。日本では欧米のようにドメスティック・ノワールというサブジャンルがまったく定着しなかったので、この呼称を避け、リーガル・スリラーという既成のサブジャンルで埋め合わせているのだろうが、このギャップはなんとかならないものだろうかとは思う。
前の記事にも書いたように、ドメスティック・ノワールという造語は、2013年に同じイギリスの小説家ジュリア・クラウチによって生み出された。クラウチの作品はそれまで、サイコロジカル・スリラーとして売られていたが、彼女はスリラーと呼ばれることに違和感を覚えていた。Amazonのレビューでも、クラウチや彼女と同様の方向性の作品に、星ひとつをつけて、期待していたスリラーではなかったという不満を漏らす読者が少なくなかったという。
そこで、このギャップを解消するため、自分の作品に相応しい新たなサブジャンルの呼称を考案した。クラウチは自身のホームページで、それを以下のように説明している。ドメスティック・ノワールは主に家庭や職場を舞台にし、主に女性の経験に焦点を当て、人間関係を軸に据え、家庭という空間はそこに住む人々にとって困難で、時に危険な場所にもなりうるという、広くフェミニズム的な視点に基づいている。
その後、新たなサブジャンルは他の作家にも受け入れられていく。「クラウチと同時代のイギリス人作家で、その後自らの作品をドメスティック・ノワールだと定義した作家には、エリン・ケリー、ポーラ・ホーキンズ、エリザベス・ヘインズ、ポーラ・デイリー、ルイーズ・ミラー、ナタリー・ヤング、クレア・マッキントッシュ、サビーン・デュラント、アラミンタ・ホールらがいる」(サリー・クライン『アフター・アガサ・クリスティー 犯罪小説を書き継ぐ女性作家たち』)
では、ハリエット・タイスは自身の作品をどう位置づけているのか。Harriet TyceとDomestic Noirというキーワードで検索をかけると、「Harriet Tyce: Domestic Noir/Cultural Anxiety」というテキストが見つかる。タイスがいつどのような目的で書いたのかは定かでないが、この長文のテキストでは、ジュリア・クラウチが作ったこのサブジャンルの説明からはじまって、同時代の作家だけでなく、エミリー・ブロンテやダフネ・デュ・モーリア、パトリシア・ハイスミスといった先駆者たちにも視野を広げ、その系譜にジェンダー・ポリティクスがいかに反映されているかを明らかにするなど、ドメスティック・ノワールが多面的に掘り下げられている。
これを読めば、タイスがデビュー作でドメスティック・ノワールを意識しないわけがないと思える。そればかりか、本作をドメスティック・ノワールとして読むためのヒントも見出せるが、それについては後述する。
『紅いオレンジ』の主人公は、ロンドンで法廷弁護士(バリスタ)として活動する40代目前のアリソン。夫のカール、ひとり娘のマチルダと三人で暮らしている。カールは心理療法士だが、失業して自信が揺らぎ、パートタイムのセラピーをはじめたばかりであるため、妻のほうが家計の支えになっている。そんなアリソンに、弁護士として実績を積みながら待ち焦がれてきた初の殺人事件の事案が舞い込む。彼女が扱うのは、44歳の主婦マデリーン・スミスが、資産運用会社の共同経営者である夫エドウィンを何度も刺して殺害した事件だ。このアリソンという主人公は、物語のはじまりにおいて、あまりいい印象を与えないだろう。彼女は酒にだらしなく、酔いつぶれて記憶を飛ばすし、なによりも、殺人事件の事案の法廷弁護士として彼女を指名した事務弁護士(ソリシタ)のパトリックと不倫関係にあるからだ。しかしそんな彼女に、「おまえが何をやっているかわかっている。この尻軽女」というようなテキストメッセージが繰り返し送られてくるようになる。
本作では、アリソンの弁護士としての活動と家庭生活が並行して描かれていく。タイスは、マデリーンとアリソンの家族を巧みに対置し、異質に見えたふたつの家族のあいだに徐々に接点が浮かび、やがて重なることになる。
この家族を結びつけるものに関してヒントになるのが、先述のタイスが書いたテキストだ。その後半では、ドロシイ・B・ヒューズの1947年の『孤独な場所で』とクレア・ケンダルの2014年の『The Book of You』という新旧のドメスティック・ノワールを、”青ひげ”のモチーフを手がかりに対比している。ここでその内容に詳しくは触れないが、タイスが2作品で興味を覚えていることのひとつが、結末だ。どちらの作品でも、事態の終結に女性が主体的に関与することは認められていない。最終的に、青ひげ的存在を捕える、あるいは倒すのは、警官や他の男性の登場人物なのだ。
それを踏まえると、タイスの本作における事態の終結がより興味深く思えてくるはずだ。まず本作でタイスが青ひげを意識していることは、終盤にある「青ひげがついに仮面を脱いだらしい」という表現から察せられる。アリソンはその青ひげ的存在にどう対峙するのか。彼女は首根っこを押さえられ、手も足も出ない。
だがそこで、ふたつの家族が対置されてきたことが意味を持つ。アリソンは、マデリーンへの聴取や調査を通して、マデリーンや息子のジェイムズが、エドウィンから長期にわたって日常的に虐待されてきたことを突きとめ、さらにその先で難しい選択を迫られることになる。「正しい答えは何かわかっているし、わたしには弁護士としての義務があることもわかっている。ここでうなずいてしまえば、バリスタの行動規範におけるもっとも基本的なルールを破ることになる。そういった形で正義がおこなわれるのを妨げるのはわたしの仕事ではない。しかしマデリーンと息子が耐え忍んできた暴力や恐怖や怒りや心痛を思い、あらゆる年代の男たちが家族に対する虐待を繰りかえしながらも、罰を受けずにいる事実を考えると……」
対置されたふたつの家族が重なっていくということは、たとえ一線を越えても踏み出そうとする意志が、殺人事件の事案だけでなく、アリソンと青ひげの関係にも波及することを意味する。最後にアリソンが青ひげと対峙する場面では、確かに偶然が彼女に味方するが、ほんのわずかな時間ではあっても、彼女が青ひげの運命に主体的に関与し、悪夢をふり払うことの意味は大きいといえる。もちろん、ポーラ・ホーキンズの『ガール・オン・ザ・トレイン』のレイチェルやクレア・マッキントッシュの『その手を離すのは、私』のジェナ(ジェニファー)のように、青ひげを直接的に倒すという決着もあるが、本作の場合には、アリソンが「一線を越える」ことを印象づける表現がポイントになっている。
《参照/引用文献》
● 『紅いオレンジ』ハリエット・タイス 服部京子訳(早川書房、2021年)
● “Genre Bender” by Julia Crouch (Blog / August 25, 2013)
● 『Domestic Noir: The New Face of 21st Century Crime Fiction』edited by Laura Joyce & Henry Sutton (Palgrave Macmillan, 2018)
● 『アフター・アガサ・クリスティー 犯罪小説を書き継ぐ女性作家たち』サリー・クライン 服部理佳訳(左右社、2023年)
● 『ガール・オン・ザ・トレイン(上)』『ガール・オン・ザ・トレイン(下)』ポーラ・ホーキンズ 池田真紀子訳(講談社文庫、2015年)
● 『その手を離すのは、私』クレア・マッキントッシュ 高橋尚子訳(小学館、2020年)
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● 『紅いオレンジ』ハリエット・タイス 服部京子訳(早川書房、2021年)
● 『Domestic Noir: The New Face of 21st Century Crime Fiction』edited by Laura Joyce & Henry Sutton (Palgrave Macmillan, 2018)
● 『アフター・アガサ・クリスティー 犯罪小説を書き継ぐ女性作家たち』サリー・クライン 服部理佳訳(左右社、2023年)
● 『孤独な場所で』ドロシイ・B・ヒューズ 吉野美恵子訳(早川書房、2003年)
● 『The Book of You』Claire Kendal (Hemlock Press, 2014)
● 『ガール・オン・ザ・トレイン(上)』『ガール・オン・ザ・トレイン(下)』ポーラ・ホーキンズ 池田真紀子訳(講談社文庫、2015年)
● 『その手を離すのは、私』クレア・マッキントッシュ 高橋尚子訳(小学館、2020年)
