気候変動とダークツーリズム、人為的な災害に対する鈍感さを通して資本主義の冷酷な世界を浮き彫りにするユン・ゴウンのエコスリラー『夜間旅行者』

スポンサーリンク

韓国の女性作家ユン・ゴウンは1980年ソウル生まれ。2004年に大山大学文学賞を受賞して作家デビュー。2013年に発表した本作は、2020年に英訳され、2021年に英国推理作家協会賞のトランスレーション・ダガー(最優秀翻訳小説賞)を受賞。そして2023年にこの『夜間旅行者』として邦訳された。

『夜間旅行者』ユン・ゴウン

● 『夜間旅行者』ユン・ゴウン著

主人公コ・ヨナは、ダークツーリズム専門の旅行会社<ジャングル>にトラベルプログラマーとして勤めて10年になる。「火山、地震、戦争、干ばつ、台風、津波など、災害はジャングルの分類法則によって大きく三十三タイプに分けられ、そこから百五十二の旅行商品が生まれた」。かつて破竹の勢いで仕事をしていた彼女は、いま窓際に追いやられつつあり、故意にカスタマーセンターからの電話を回されたり、上司のセクハラの対象にされたりしている。鬱憤がたまった彼女が退職願を出すと、上司が休暇になるような出張を提案する。「ちょうど、このまま続行するかどうか検討中の商品がいくつかあるから、そこからひとつ選ぶといい。経費は出張費として処理しよう。君は旅行から戻って報告書を書くだけでいい」

ヨナは五つの脱落候補から五泊六日の<砂漠のシンクホール>を選び、ベトナムの沖にある”ムイ”という(架空の)島国を訪れる。結果からいえば、そのツアーは脱落もやむを得ない内容だったが、ホーチミン空港に向かう帰りの列車でヨナがトイレを使っている間に、車両の切り離しが行われ、彼女だけが別方向に向かってしまい、ムイで滞在していたホテルに戻るしかなくなる。ところが、戻ったその場所はツアーのときとは様子がまったく違っていたばかりか、魅力を失ったムイを立て直すために新たな災害を起こす計画に巻き込まれていくことになる。

『The-Disaster-Tourist』ユン・ゴウン

● 『The Disaster Tourist』ユン・ゴウン(Yun Ko-Eun)著

『The Disaster Tourist』として英訳された本作は、欧米では、エコスリラーやクライファイ(気候変動フィクション)として評価されている。たとえば、ニューヨーク公共図書館の気候変動フィクションのガイド(「Compelling Climate Fiction To Read Before It Becomes Nonfiction | New York Public Library」)では、キム・スタンリー・ロビンスンの『未来省』やオクテイヴィア・E・バトラーの『The Parable of the Sower』、セコイア・ナガマツの『闇の中をどこまで高く』、ピッチャヤ・スーバンタッドの『Bangkok Wakes to Rain』、ダイアン・クックの『静寂の荒野(ウィルダネス)』、オマル・エル=アッカドの『アメリカン・ウォー』、パオロ・バチガルピの『神の水』などとともに本書がセレクトされている。

本作は、気候変動と資本主義を思わぬかたちで結びつけたクライファイだといえる。思わぬかたちというのは、本書のなかには気候変動を示唆する表現がほとんど見られないにもかかわらず、それを意識させるということだ。

『エビデンスを嫌う人たち』リー・マッキンタイア

● 『エビデンスを嫌う人たち』リー・マッキンタイア著

本作の背景となる時代、あるいは主人公ヨナがジャングルで仕事をしてきた10年間に、地球温暖化や気候変動はどのように認知されていたか。この点については、前の記事「リー・マッキンタイアの『エビデンスを嫌う人たち』を読むと、バーバラ・キングソルヴァーの『Flight Behavior』に描かれた気候変動と科学否定の問題がより鮮明になる」が参考になる。この記事では、キングソルヴァーが2012年に『Flight Behavior』を発表するまでの数年間に、気候変動に対する認識がどう変化したのかを、マッキンタイアの『エビデンスを嫌う人たち』を参照して確認した。『夜間旅行者』が発表されたのは2013年なので、舞台は違うが、背景はある程度、共通していると見ることができる。

それを要約すると、2006年には、アル・ゴアの講演活動の成果である映画と書籍の『不都合な真実』が注目を集め、アル・ゴア(とIPCC)がノーベル平和賞を受賞し、気候変動への関心がそれまで以上に高まった。だが、その頃から、気候変動の否定を掲げる勢力による反撃が活発になり、ラジオ、テレビ、書籍、議会での証言などを通じて、懐疑をあおる広報活動がいっせいに繰り広げられ、気候変動の否定意見が国民のあいだに広まっていった。そして、科学者と市民のあいだに大きな隔たりができた。その状況は、「企業と政治家の利益のために作られた偽情報キャンペーンのたまものであり、こうして世間は間違った方向へと誘導されることになった」。

こうした気候変動をめぐる認識の変化とジャングル勤続10年のヨナはどう関わるのか、あるいはまったく関わらないのか。

本書の後半では、泥沼にはまっていくヨナの心の動きが以下のように表現されている。「すべては分業化され、人は自分に与えられた仕事だけに集中した。ヨナも同じだった。計画の修正プランを聞いたときはショックを受けたが、数日もするとそれも徐々にやわらぎはじめた。ヨナはときどき、この件の全体像について考えることがあった。その先には決まって、自分にできるのは事件後のツアープログラムを編成することだけだという言い逃れ、または自己弁護がついて回った。その手で人を穴に突き落とせと言われていたなら、ヨナは即刻この仕事を断って立ち去っていたはずだ。だが、みずから手を下すのではないというだけの理由でヨナはここに残り、状況に慣れてくると、この件が及ぼす影響について鈍感になっていった」

そこから本書の導入部を振り返ると、ヨナは「鈍感になっていった」のではなく、物語が始まる時点ですでに鈍感だったのではないかと思えてくる。たとえば、以下のような記述だ。

「ヨナはただ、あらゆるものを数値化することに慣れていた。災害の頻度・規模、人命・財産被害がカラーグラフとなってヨナのデスクに貼られていた。その隣には世界地図と韓国の地図があり、地名の上に書き足されたメモのほとんどは、災害を読むのに必要なものだった。いまやヨナにとって、一部の地名は災害と同義語だった。ニューオーリンズではハリケーンの痕跡を、ニュージーランドでは都市を壊滅させた大地震を垣間見ることができ、チェルノブイリでは放射能放出によって生まれたゴーストタウンとフォールアウトによってできた赤い森を、ブラジルの貧民街では経済危機の現実を、スリランカや日本、プーケットでは津波の威力を、パキスタンでは大洪水を経験できた」

この記述は、災害が単純に羅列されることによって、逆に災害について考えさせるような作用がある。気候変動が注目されるようになるまでは、自然災害と人為災害の区別はそれほど難しいものではなかったが、いまでは気候変動の影響が地球規模になっているため、誰もが無関係とはいえない人為的な災害が拡大している。ヨナはそんな変化を一切考慮せずに、災害を区別することなく羅列する。さらに、この引用のすぐあとに出てくる以下の記述にも危うさがある。

「昨年、自然災害で死亡した人は二十万人近くにのぼる。この十年の年平均死亡者数が約十万人だったことからすれば、災害の頻度や規模が増大しているのはたしかだった。技術の向上により防止可能な災害の種類も増えてはいたが、同時に、新たな災害も生まれつづけていた」

このヨナのいう「自然災害」には、間違いなく気候変動による災害も含まれているが、彼女にとってはたとえそれが人為的であっても、重要なのは、その災害が観光資源として商品化し、消費できるかどうかなのだ。そんな彼女は資本主義の冷酷な世界のなかで、新たに起こる人為的な災害に飲み込まれていくことになる。

≪参照/引用文献≫
● 『夜間旅行者』 ユン・ゴウン著、カン・バンファ訳(早川書房、2023年)
● 『エビデンスを嫌う人たち 科学否定論者は何を考え、どう説得できるのか?』リー・マッキンタイア著、西尾義人訳(国書刊行会、2024年)




[amazon.co.jpへ]
● 『夜間旅行者』 ユン・ゴウン著、カン・バンファ訳(早川書房、2023年)
● 『The Disaster Tourist』 Yun Ko-Eun (Counterpoint LLC, 2020)
● 『エビデンスを嫌う人たち 科学否定論者は何を考え、どう説得できるのか?』リー・マッキンタイア著、西尾義人訳(国書刊行会、2024年)